うわっ。すごい!
起きてるジャン!
私は、もう日が昇ってきて眠れなくなりました。朝日もみて、やることも解りました。ここでビギナーさんと話していて、さらに、ちほこさんに、魔法の言葉をかけてもらい、なんかテンションあがってきた。で、彼を追おうと思ったわけです。っていうか、すでに追ってる。だから、パソコンがなくなるどころか、私も日本からいなくなりそうです。
Southern Arcticから、Taiga Shieldにかけての地域にある、ある小さい村周辺に、冬の間はいると言っていたので、そこに行きます。彼は、すごい防寒もって行ったけど(冬山で練習もしてた。泣き事言ってたけど(笑)、だいじょうぶかな?マジでもう死んでるかも、。「ギター引きの指がなくなったらどうしよ?」って、本気で心配してました。(凍傷の事)
でも、彼とオーロラ、みれたらいいな♪仲間は見つかるとわかってる。あったことない仲間に会いに行くだけだから、悩まないでいいよね、。苦しくても。引力を知ってるから。
私が日本にいる間は、助言できそうですが、それ以降は無理っぽいですね。
>あなたがいいとする確証は何でしょうか。
あなたがあなたに近づくことです。
>そして、1塁、2塁、3塁と区切っていることは、対象の比較ではないでしょうか。
野球は、方便。あなたが、比較概念の使い方しか知らないために、同じフィールドで語るべきだと考えたからです。以前のような回答じゃダメだったでしょ?
>満たされる前に満たす前の瞬間があると思います。
瞬くような間は、時にはありません。時には間が無いのです。時とは今のことであり、今とは、あなたが時の流れと共にある事で自覚されます。今は永遠ですので、瞬間のように小さい者、また、数えられるような単位を幾ら足しても追いつけません。今、あなたはすでにあるでしょう?そういうことです。「何時からあなたはありますか?」と問われても、それに答えようとあえぐのは、出口のない迷路を踏破しようと試みる事です。そう問われたときはこう答える。
「私はすでにある」←デカルトじゃないよ!ゼッタイ誤解しないでっ!
> >現在と言う幻を追ってもダメです。
では、どのようにすればよいと思いますか。
幻でない者を求めるべき。そのためには、幻を知らなければならない。消えるものと、消えない者を考えてみてください。生じるものと、生じない者を考えてください。生じるものは、消えるものです。すでに生じているものは、すでに消えています。すでに生じているあなたや、今、また、あなたにとって、「君」と呼べうるような者を求めるべきです。
>私は私、どこにいても私だと思います。
実にその通りです。世界の果てに行っても、あなたは実に、
「あなたという場所に立っている」
>ただ、時間と共に変化するのですが・・・
では、例えば記憶のない時、眠っている時は、あなたはドコにいるのか?
>そう考えると、ランチさんは哲学を極めた上で私を評価しているように思えます。
深いところにいるものは浅い所を知っています。なぜなら、浅い所のものは、深いところがないと存在できないが、深いところのものは、浅い所がなくても存在できます。ただ、深いという形容があてはまらなくなるだけです。
私がソクラテス、プラトンと話をすると、彼らの先輩学友になり、キリストに逢うと、「私はあなたの中に生きている」と言われ、釈迦に逢うと、「あなたは私の子どものような者」と言われます。←ごかい、へんけんのないよう。別に、釈迦思想とイエスを比べているのではありません。
もう時間は少ないことがわかったので、あまり気を使って、顔色をうかがうことはしません。
私の位置付けは、野球で言う所の、サードとベースの間です。ベースはすでにみえています。ただ、踏んではいないので、至っていません。
でも、私の評価に囚われてはいけない。その評価は、あなたを束縛する者ではなく、あなたを支える者だからです。
>繰り返し読んで、わかったつもりでいます。
それは、意味を解っていない。繰り返して読むのは助言として読むのであって、答えを読むのではありません。何故なら、答えはあなたにあるからです。あなたの答えを私が知ることが出来ないように、あなたも私の答えを知ることが出来ません。しかし、その答え、真であるため、来る所は同じです。ですから、あなたと私の答えは、出てくるところが同じなので、同じ世界に生きることになります。
自己満足とは、幸せの事ではありません。
別の概念です。混同してはいけない。
例えば、彼と私、どっちかが先に死ぬでしょう。彼に至っては、本気で死んでいるかもしれません。寒いから。でも、自分で、次の時代に生きることになると言っていたので結構無事かも(笑
それでも、どちらかが死んでも、又、逢う事がわかっています。生まれ変わりを説いているのではありません。心中を言っているわけでもありません。死に囚われないものは、こういったようなことを言います。
自己を考察すると、永遠と言う者が、解るからです。
「僕らはすでに行って来ている」
彼はベースを踏んだようです。しかし、彼はサードとベースの間にいると言います。私は、一点入ってるジャン!と思うのですが、。ベース踏んで又戻ったんでしょうか(笑
「皆がしんがりである」
これも同じところのものですね。ずいぶん私の助言は異質のように思えるでしょうが、二塁に進めばそれもそんな事はなくなります。三塁に着けば、異質とは思わなくなるでしょう。なぜなら、三塁とベースの間から話しているからです(笑
「近くのものは小さく、遠くのものは大きく見えます。」
知らない人には見向きもせず、知っている人には親近感を覚えるようなものです。
親しみをもてばもつほど、二人の距離は近づきます♪
もう一度いいますが、自己満足と幸せは違います。
自己満足は埋めても埋まりません、。なぜなら、すでに埋まっていないからです。
しかし、幸せは、宿る者ですから、すでに幸せにあるということになります。
幸せはいかに宿るかと言うと、放たれた自己と、結びつく他との、結び目に宿ります。その結び目は、科学的に言うと、異点ですが、実は点ではありません。最初は点のように見えますが、時空よりも大きい者です。また、はかれない者です。永遠と言う所にあります。
自己が放たれると、同時に、引力が放たれます。その人が出逢う「べき」人や現象が、その人に訪れます。それは、勝手にまわる運命とは違います。あなたという風がまわす風車です。風が輝いておれば、風車も輝き、風が弱ければ、風車もまた小さいものになります。風車が大きければ、弱い風では回りませんから。
大きい引力は小さい方を引きつけ、小さいほうは大きいほうに寄せられます。
彼や友人達は集団で、私よりも総合的に大きかったので、私は彼らに引き寄せられます。しかし、私が出逢うべきだったのは彼であったので、彼と出逢ったのです。
そのように、あなたにも事象や人と、出逢います。そうなる事が、風車がまわると言う意味です。
自己を解放するとは、束縛している者を如実にみつめ、認識する事で徐々に放たれていきます。引力も、徐々にその姿を取り戻していきます。大きく解放されているものの引力は大きく、狭いものは小さい。つまり、出逢いや、遭遇する出来事が少ない。
それは、人生の規模(真実性)の、小さい、低い事を意味します。率ではかるような者ではありません。なぜなら、すでに小さいものは小さくないからです。あるべき姿であろうが、なかろうが、関係ナシに風車は回ります。
しかし、引力の出るところの根源的な所は、私もあなたも、彼も、あらゆる人、あらゆる存在は同じで、その大きさに限りはありません。小ささにも限りがありません。計ることが出来ません。なぜなら、それは全性を持つからです。すべてに属さないものはあるでしょうか?
すべてを手に入れたという人がいます。
ではその手も、その手の中に入っているのでしょうか?
そのようにして、私たちは同じ世界に生きています。孤独な者など誰一人、なに一つありません。ですから、風車を自ら回すことです。風はあなたであり、風車はあなたの心の希望する者、生です。
暴風は、風車をうまくまわせません。風車ががたがたとなり、波乱の人生になります。暗闇の風は、闇に消えるような風車を回します。人生も、闇の中です。
しかし、風というのはあなたという引力の事でもあるので、選ぶ事は出来ません。
どれだけ純粋かということがあるだけです。
選択と言うのは、風が自由に吹くのを妨げます。
すでに吹いていることが自由です。
闇の黒い風も、暴風も、光る風も、七色の風も、やさしい春風も、ありとあらゆる風が、比べる事の出来ない者であるため、濁りはありません。ですから、闇を嫌ったり、暴風を嫌ったりする意味は全くない。それはそれであるので、すでに自由です。
幸せとは、あなたの根源的な部位にある心(意識ではありません)が希望する所なので、風車の事です。あなたの心は、風を熾す引力の根源ですので、あなたの幸せは、あなたから発せられている事がわかります。引力の根源は皆同じ所であるので、あなたを否定するものは誰一人いません。
濁りは、引力を変質させたり防いだりするので、人生を濁らしたり、小さくしたりします。悪い風というのは濁った風のことであり、やはり、悪い風車を回します。
闇であれ、黒であれ、濁っていなければ幸せです。
濁りは数多くあり、数えれば数えるだけ目に映るので、「数えれないものを求めてください」数えれないものは何かを考えてください。あなた自身を一人と数えることのないように。数えれないものは根源的ですから、深いところに行くべきです。
唯一や、無二と言う言葉はあるなしであり、1か0ですので、気をつけるべきです。
1は数えれるものですので、濁りです。0は数えれませんので、透明色のように澄んでいます。
ですから、希少価値はもちろん、世界で最後の一人の生き残りにも、囚われてはならず、地球が一つしかないと言う、考え方にも囚われてはいけません。
どのようにするかというと、
それらすべて、すでにあるものとしてとらえてください。
あなた自身についても同じです。その由来が、なんといわれようが、それは、すでに今、あるというところから由来しているのです。理由が事実です。
自己の考察の最終局面では、このような話が、当然のように語られます。
このようなことを語るのは、私だけでは無いのです。
自己の考察を深めたものは、同じように、それぞれの仕方で語ります。
それを聞くのはよいことです。
なぜなら、濁りのない風車を、濁りのない風が回すことに繋がるからです。
風はあなたであり、風車は、あなたが遭遇する人や事象です。
この助言は、私の限界でもあるため、私が最も努力してきた部分の結晶と思い、無下に扱わないで下さいね。
よろしくぅっ!(笑
又、言ってくれたら時間あれば来ます。
あと追加。
嘘は、世界が進むための原動力です。嘘は濁りのことです。
嘘は、この世がある理由です。そういう意味で、濁りは純粋です。
追加の部分は考察が甘いし、まだよく見えていないので、あまり気にしないで下さい。
2時間ぐらいかかっちゃった
これ書くの(笑
自己の次にも世界があります。
お礼
ランチさん、ありがとうございます。 餞別代りに、じっくり考えて補足させていただきます。彼の後を追うものよいでしょう。彼が亡くなっていたなら、1回だけザオラルを唱えてあげます、その後は経を唱えてあげましょう。 Au revoir!
補足
ランチさん、ありがとうございます。 私は復讐の鬼と化しました、「ありがとう、やさしいネ(ハート)」と申されようが、ビシバシいかせて頂きます。 beginnersanの思い出~小学校編~ 授業中… beginnersan:人は生きるために、死ぬんだ。 生徒A:違うよ、死ぬために生きるんだよ。 beginnersan:何言ってんだよ、生きるために死ぬに決まっているだろ。 生徒A:何もわかっちゃいね~。死ぬために生きるんのがわからないの。 しばらくして… 先生:はい、これを本末転倒と言います。これは国語ですね。 先生:理科は、人間が生きる仕組みを学ぶこと。例えば、息を吸う仕組みとか。 beginnersan:じゃ~、何で死ぬの? 生徒A:じゃ~、何で生きるの? 先生:う~ん。それは、哲学ね。あんまりよくわからないんだけど。 哲学で一番怖いのは本末転倒になること。 気をつけてね。 beginnersan:は~い。 生徒A:は~い。 休み時間~ beginnersan:なめなめ~ 生徒B:いくいく~ 生徒C:キャ~ヘンタイ!セクハラよ~ beginnersan:何言ってるの?ナメクジがセクハラなの? 下校にて~ beginnersan:私は生きている。 生徒D:なに、頼ってんだよ。お前が生きてるってことは、空気様のおかげでいきているんだぜ。むかつくぜ!まぁ、がんばれよな。 beginnersan:なんで~?今の状態をいって、なんでこ~なるの! beginnersanの思い出~昨日~ インターネット上にて 私の名はビギナー。スタイルは、まあいいほう。成績は「ゆ・う・しゅ・う」昨日も学校でほめられちゃった。教授に「君の論文発表するのもったいないよ、是非私の名前で出さしてくれないか?」な~んて言われちゃった。 そうそう、私には「彼女」がいます。「彼女」が言うには、「人は息をはくために吸う」と言います。その通りだよね。昨日友人に、そのことを言ったのだけどわからないようだったから。「繰り返し、言えばわかる」と言いました。だって、「人は息をはくために吸う」これが真理だから。 「彼女」ってプラトンやソクラテスを超えてるよね。だって、彼らの思索を読むことができるのだもの。だったら+αで超越しているのは完璧! それと、昨日、近くのおっさんに「NordとPicardieの境にある小さなレストランで働いている彼女に逢いに行く」と言ったらね。「そこどこ?なんでそんなに詳しく言うの。俺に行って欲しいわけ?」って言われた、感じ悪すぎだよね。 そうそう、人って、はかるべきじゃないよね。だけど、私はスタイルは、まあいいほうだと思う。 そうそう、話それるかもしれないけど、高層ビルって面白いね。高層ビルの定義は地上60m以上で航空障害灯をつけなければならないんだって。この前地上170mの高層ビルの屋上(展望台)に行ったけど、あの中で音楽を演奏できたらロマンチックなのに…(風が強すぎ…)まぁ、中層ビル程度なら、非常階段からよじ登って屋上に行けるんだけど。(でも、蜘蛛男さんってすごいよね) beginnersanの現在~実社会にて~ 実は、私は、3x歳のおね~さん♪いつもネットでネナベしているのが趣味なの。昨日は仕事、学校はさぼりまくってたよ♪ ―――――――――――――――――――――――――――――― これが私の意見です。可能な限り読みやすく書いたつもりです。 なお、現在の私はこのように思っていませんが、5年ほど前の私であればこのように思ったと思います。 ちなみに私が原因だと思う箇所もあります。原因を作ってしまい、申し訳ございませんでした。しかし、私の思考の基礎の1部分となっている本を読んで欲しく思い、わざわざ本の名前まで出したのです。 私自身、あまり引用は好きではございませんが、いつも原点に戻ろうとするとき、あの本を読んでいます。