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奈良時代天皇の詔は、どうやって伝えられたのでしょう
子供につっこまれて困っています。奈良時代天皇の詔は、どんな方法で農民まで伝えられたのでしょうか。また下級官人たちには誰がどうやって伝えたのでしょうか?
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半分推測ですが、 天皇→都の役所→国司→郡司→里長→村人 といった経路ではないでしょうか。 国司は中央から派遣される、今で言う県知事です。それなりの役所を構えていました。また都から国司の所までの連絡をする「駅」のシステムがすでにありました。 郡司はその下にいる概ね町長クラスですが、その土地の豪族の子弟がなる場合が多く、奈良時代あたりだとまだ朝廷に代わってその土地の実質的な主権を持っているケースも多かったようです。 郡司の役所あたりまでは文書で伝わったとしても、そこから末端まではおそらく里長を集めて口伝てで伝えさせたのでしょう。江戸時代と違って高札を立てようにも村に字を読める人が一人もいないというのが普通だったのではないでしょうか。 都の役人は下級官人でも字は読めたようです。古代でも官僚機構は書類で動いていたので、文書が回って部署ごとに読み上げるようなことをしたのでしょうかね? 地方の豪族の子分あたりになると識字率はぐっと下がると想像しているのですが、戸籍制度があった位ですし地方の役所の遺跡から木簡がよく出てくるので(紙もすでにありました)、読み書きできる人も少しはいたのでしょう。 つい想像して書くのが楽しくて延々と書いてしまいました。 より詳しい方のフォローをお願いします。
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- Matudono
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詔(勅)がどのようにして広まったかといえば良いでしょうか。でも、答えはへいちゃんさんのが完全正答であるので何にも言うことはありません。 補足するとすれば、地方では街道や津に札が立てられていたのです。いわゆる高札ですが、古代の場合はボウ示札といいます。この実物は一昨年、石川県津幡町ではじめて発見されました。これによって文字の読めない人々に読み聞かせをした事(読み聞かせをせよとかいてあったのです。)が実証されました。
お礼
matudonoさんへ 経験者回答、自信あリの回答ありがとうございます。これでわたしも一つ賢くなれました。
お礼
heichanさん早々のお答えありがとうございました。とても助かりました。