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黄忠のような元気な老人

三国志の登場人物、黄忠のように年をとってもなお元気だった歴史上の人物、偉人、有名人を教えてください。 それらの人物の有名なエピソードや名言なども添えていただけるとうれしいです。

みんなの回答

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.10

再登場。さすがに神話や伝説上の人物とかは省いた方がいいように思いますが。聖書の中とかなら中途半端にアブラハムやモーゼより(彼らは聖書の記録でも何百歳も生きてませんが・・・モーゼ120歳、アブラハム175歳でそりゃそのままの数字を信じるならむちゃくちゃ長命には違いないですが)メトセラとかそのあたりなら900年ぐらい生きてたりします。もうちょっと後になっても400年ぐらいざらなので一説によるとこれは歳の数え方がちがうんじゃないか(多倍年歴。1年に何回か歳を取る。月の運行(24倍)や季節ごと(4倍)だったり春と秋(2倍)だったり)というので彼らが実在したとしても本当に長寿だったかどうかは論の別れる所のようです。そういう観点からすると175とかいうのも実際はたとえば40歳ちょっとだったかもしれません。 この辺りを挙げるのなら古事記・日本書紀とかの初期の天皇なんていうのはどうですかね?このあたりも100オーバーはざらですが。 実在が明らかな歴史上の人物となるとこのあたりは私なら除外しますが・・・・・ ま、あとこれもどっちかというと伝説上の人物なのかな?Old Par。 ウィスキーの名前になった人物ですが。どんな人かというとちょっとあれなので関心のある方は調べて下さいな。

  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.9

補足も交えて・・ 南光坊天海は生まれた年に諸説あるので不明ですが、かなり長寿であったのは間違いないです。ただ、明智が1528年ごろの生まれ(天海の生年説より早い)とされているので・・・明智と同一人物説はちょっと無理があると思いますね。なお、この人前半生(特に徳川に仕える前)の大半が謎の人です。武田に仕えていたとか言いますが・・・ 龍造寺家兼は1454年ごろのうまれで1546年没ですね。一族惨殺の憂き目にあいますが再興を果たしました。 他には・・・ 北条玄庵 北条早雲の子。北条が滅亡する1年前まで生きていたという人です。有力説である1493年生の説を採ると96歳の長寿ですね。 長野業政 上野の国人領主。70までいきた人物ですが、名将として名を轟かせました。 朝倉宗滴 朝倉家最高の武将といわれる老将。寡兵で一向宗の大群を蹴散らすなど、武にいきた将。 フビライハーン 元の創始者。実はかなりの長寿であり、彼一人の代の間にほかの親戚国の代が3世代ほど変わってしまった。 なお、戦国時代、討ち死にとかで20くらいで死ぬ人も多いのですが、生きている人は70くらいはざらにいます。80,90代もいますね。 なお、人間50年というのは、下天とくらべて人間の50年は短い・・という意味なのですが、回答とずれるので・・・

noname#22986
noname#22986
回答No.8

大阪フィルの朝比奈たかし。指揮台で倒れた? アインシュタイン。年取っても天才。最後は自分の打ちたてた量子力学に対して懐疑的になり、それにばっかり拘っていた。 黄蓋も矍鑠たるものだったそうな?これも三国志ね。 エリザベス女王。治世が長い!「私は英国と結婚しました」 アブラハムとかモーゼとか。何百歳まで生きたと言われている。

回答No.7

 戦国時代の肥前の武将・龍造寺家兼(りゅうぞうじ・いえかね)。敵の策略によって多くの一族を失い自身も筑後に逃亡しますが、のちに戻ってきて一族の仇を討ち、御家再興を果たします。この時、家兼は90歳くらいだったはずです。  もう一人、戦国時代から僧侶・南光坊天海(なんこうぼう・てんかい)。この人は1536年生まれで死亡が1643年だそうで、つまりは108歳まで生きたことになります。「人間五十年~」の時代ですから驚きです。徳川家康の側近として政治に携わり、『黒衣の宰相』と呼ばれました。  あまりに長生きなので、この人と明智光秀が同一人物だ、なんていう説もあるくらいです。織田信長を倒したものの羽柴秀吉に敗れて天下を獲れず、その秀吉の死を待って家康に近づき江戸幕府を裏から操る、なんて夢のある話ですが、まあ眉唾ですね。

  • nagarjuna
  • ベストアンサー率36% (36/100)
回答No.6

レオナルド・ダ・ヴィンチ 怪力で有名で、高齢になってからも人前で太い鉄の棒を針金のように曲げてしまったそうです…。

参考URL:
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/davinci.html
  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.5

さらにもう1人。 伊能忠敬。 測量や天文の本格的勉強を始めたのが隠居した50歳のとき。(当時としては老人です) 56歳から測量開始。何度か旅立ち、72歳にして最後の第10次測量に旅立つ。74歳で死去するが喪を秘して地図製作を続行し3年後に地図が完成してから喪を発表、とある。 小説「四千万歩の男」(井上ひさし)にその姿が描かれている。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC
  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.4

あと、歴史上というには最近の人なんだけど。 音楽家(ピアニスト)でホルショフスキー。 100歳まで現役だったピアニスト。しかもその演奏が素晴らしいのです。 http://www.h7.dion.ne.jp/%7Eturtles/favorite/horszowski.html まあ音楽家を含め芸術家には長命の人も多く、同じピアニストのルービンシュタインとかアラウなんてのは80を過ぎてからの演奏が生涯の中で最も素晴らしかったりする。 ピカソも91歳まで生きたが現役であったし最後に結婚したのが79だったか80だったか・・・ まあここらは皆現代史の人物ですがね。

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.3

年をとってもなお元気、というのを矍鑠たる(かくしゃくたる)と言いますが、これの元になった人物、馬援なんかどうでしょうか。原典は後漢書。 http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Ednak/sangoku/baen.htm 要約すると http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%8F%B4 ここの48年のエピソードが有名です。 この人は他にも「井の中の蛙」の語源の一つ(荘子の秋水が大元のようですが)「囂に謂いて曰く、「子陽は井底の蛙のみ。而してみだりに尊大にす。意を東方に専らにするにしかず」」という有名なせりふを吐いています。名言の多い人です。

回答No.2

齋藤別当実盛が有名です。源平合戦の際、齢78歳で出陣しました。敵は木曾義仲。義仲が幼少の頃、父・帯刀先生と悪源太義平が対立し、父が殺されます。それを匿い木曾に逃がしたのが実盛です。平治の乱で源氏が敗北すると平家に降りました。源氏が旗揚げをしたため、惟盛を中心とする討伐軍に加わり、敗走する平家の殿を務めました。義仲は実盛は討ち取るなと厳命しましたが、実盛はジジイと馬鹿にされぬよう白髪を染めて戦いに挑み遂には討ち取られます。 これ以外ですと長岡藩の高野秀右衛門が有名です。77歳で戊辰戦争に参加、城に攻め来る官軍を火縄銃で15人討ち取っています。尚、彼の孫が山本五十六です。

noname#98991
noname#98991
回答No.1

多くの女性を愛したゲーテはどうですか。 73歳のゲーテは17歳の娘さんに求婚しました。そのことに関するゲーテ作の詩も残っているようです。 結果は、どうだったのでしょうか?? 私は知ってますが書くと味気ないので書きません、ごめんなさい。

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