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滝廉太郎の「花」の歌詞で
滝廉太郎の「花」の歌詞の中で、「われにものいふ桜木を」というところがありますが、この意味はどのようなことなのか分からずに気になっています。われにものいう?われ=自分?にモノを=なにか言う?・・・で、桜?うーん分からないっす。よろしくお願いします。何かが悪いと思うのですが。
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擬人化だと思いますが。 「われにものいふ桜木」「われさしまねく青柳」が対になっていますね。 桜が何かを語りかけ、柳が手招きしているように見えるというのでしょう。 隅田川に架かる言問橋が在原業平の歌の「みやこどり」を擬人化したことに 因んでいるのも関係有るかも知れません。
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- lilact
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回答No.2
作詞者の武島羽衣は源氏物語の胡蝶の巻から借りてこの詞を作ったように思います。源氏物語にも同じような場面が桜や柳や舟や櫂という言葉を使って描かれていますから。 この部分を意訳すると、「春、桜が美しく咲いている。朝は露に濡れた景色も美しい。そんな景色を見ると私を招いてくれているような気がする」といった感じではないでしょうか。 なお、「見ずや」は、「(私は)見るだろう」といったような意味のような気がします。命令文で「君見ずや」なんてのがあるので、よく知りませんが。
質問者
お礼
素敵な意訳をありがとうございます。 しかし、きっとこの歌詞についての意訳の論文とか出ているのでしょうね。 けれど、インターネットでは見つけ切れません。何か他に参考となるものはないでしょうか? 兎にも角にもありがとうございます。
補足
見ずや 夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を が 見てないの?夕暮れどき、自分に手招きするような青柳を とするなら、 見ずや あけぼの露浴びて われにもの言ふ櫻木を は 見てないの?夜空がほのかに明るんでくる頃、自分に語りかけるような夜露を浴びた桜の木を とすればいいのでしょうか。 実際、青柳が枝や葉っぱがゆらゆらする様子はまるでおいでおいでするような、といわれれば分かるのですが、桜の木が語りかけてくる様子・・・いまいち想像できないです。桜の花びらがひらひら自分に飛んできてそれがまるで話しかけてくるようだ・・・なのでしょうか? うーん。