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昭和30年代にはやっていた工業デザインについて
工業分野で結構良く見る印象的な雰囲気のデザインがあるのですが、おそらく昭和30年代の流行なのかなと思われるものなのです。曲線を優美に見せて今でも斬新さを失わないような感覚があります。「未来的」という印象を特に感じさせるものです。 昭和30年代に登場した車両、バス、あとボウリング場のレイアウトにもみたことがあります。 こういう流行の発祥というか理由は何だったのでしょうか。
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昭和30年代(1955~1965)といえば、わが国でもやっと工業デザイナーという職業が独り立ちし、また企業や一般社会にその必要性が認知された時代といっていいと思います。 まず世界規模で見れば、当時のアメリカでは#1さんがお書きのようにレイモンド・ローウィなどは先端を行くデザイナー、そして傾向は戦前から続いたストリームライン(流線型)に加えて、時代の華であったジェット機がモチーフ・・・。クルマでいえば長く低く幅広く、そしてジェットエンジンのエアーインテークをイメージさせるスピンナー(回転部分の尖んがり)や垂直尾翼をイメージさせるテールフィンといった、無駄は多いが伸び伸びとしたデザインに特長がありました。こうしたイメージは同時に家電製品などにも見られます。 一方ヨーロッパでは、この時代にはそろそろ余計な飾りやムダを廃したスリムで機能的なデザインに移行し始めています。同じくクルマで比較するとポルシェをはじめ、ピニン・ファリーナやミケロッティといったイタリアのデザイナーたちが30年代の後半にかけてアメリカ以外の国々のクルマを一気に直線的でスリムなスタイリングに変えてしまったといってもいいかと思います。もちろん家電製品もこうした影響を強く受けましたし、たとえばオリベッティのタイプライターなども一気に今日的な実にスッキリとしたデザインが施されています。とは言え、石が主な建築資材であったヨーロッパでは、当時とて、いえ今日でさえ、美しい曲面やカーブの表現にはマネ出来ないほどの優れたものがあります。 いずれにせよ、世界的に見てもこの年代は工業デザインのトレンドも大きな曲がり角にあったと言えると思います。 こうした影響を受けたわが国ですから当然スタイリングデザインがそのまま販売実績や社会評価につながる大切な要素であると考えられるようになりました。 ただ、わが国には、それまで工業デザインという概念はなかったとはいえ、それでもエンジニアや職人さんたちはそのまま大変優れたデザイン感覚を持っていたものでした。日用品や工具、あるいはゼロ戦にしてもホンダのスーパーカブを例に挙げても、今日の目で見ても合理的で大変均整が取れた優れたフォルムを持っています。 問題は当時の材料(素材)と、構造強度の解析や機構の開発程度にあったと思います。当時は鋼板もまだ品質が低く樹脂素材などはまだ黎明期、アルミダイカストなどの鋳造技術もまだまだ精度が低くかったものでした。また内蔵する機構もまだまだコンパクトには出来ず、効率も低く、電子機器などに至ってはやっとトランジスタが実用化されたとは言えまだ真空管が残っていたもの。なかなかデザイナーがイメージしたスタイリングを実現するにはほど遠いものがあった時代でした。 こうした事情を背負いながらスタイリングデザインをするということになると、今日のように直線的なデザインは適していない、というか、デザイナーがイメージしてもそんな風にはまだ作れない。必然的に曲面やカーブを持たせたフォルム(姿)になってしまいます。そこでデザイナーたちはこの微妙な「丸みやカーブ」をいかに上手に生かすかということに心血を注いだようでした。 しかもデザインの先駆者アメリカやヨーロッパ諸国からクルマをはじめいろいろな工業製品が流入してきた時代、その影響を受けて、片や装飾的で肉感的で伸び伸びとリッチなイメージに、そしてその一方で簡素で機能的なイメージをとデザイン界も二分されたかの様子、しかし結果的には同じ30年代でも初頭と終わり頃ではまるで見違えるようにわが国のデザインは進歩して行くことになりました。 もともと日本人は無駄がなく、直線的か微妙なカーブを持ち、スリムでスッキリとしたフォルムを好む傾向があります。工業デザインやマーケットリサーチなどによって消費者の嗜好が明確になり、その一方で製品に内蔵するメカも電子機器もコンパクトに出来るようになり、しかも販売競争から生じたコスト感覚が重要視されるようになると、「合理的」という言葉のもと「贅肉を落とす」ということがデザイナーたちへの命題になって行きました。 そして今日、機能的で知的でクールで遊びのあまりないスタイリングが主流になる一方、あの当時のまだまだ未熟ではあったとはいえ、どこか暖かみと言うか人間味のあるフォルムが次第に消えてしまったように思います。 日本人のデザインに関する嗜好はどちらかと言えばアメリカよりもヨーロッパ諸国と共通しているように思いますが、それを表すかのように、とかく嗜好はまずアメリカ製に飛びつき、やがてヨーロッパ製に移行していくといった傾向が見られます。あのストリームラインの美しかった万年筆のパーカー51はモンブランやペリカンに、どこかジェット機を思わしたロンソンのガスライターは四角なダンヒルやカルティエにと。 今、横浜のあるショップで往年のアメリカンデザインを復刻したようなラジオなどを売っていますが、はっきり言ってひとつ欲しいですね。
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- char2nd
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レイモンド・ローウィかな? 彼の有名な著書「口紅から機関車まで」が出版されたのが昭和26年ですから、その影響が日本に及んだのが30年代でしょう。 蒸気機関車に流線型を用いたのは、彼の手法です(空力的には全く意味がなかったそうです)。 http://www.asahi-net.or.jp/~GM2S-ISI/dangun/loewy/loewy.html http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventMar04/ http://www.metropolitan.co.jp/designers/de_loewy.cgi
お礼
ローウィは2段目で紹介していただいた展覧会で初めて知りました。簡素化と力強さというものを兼ね備えた美意識を強く感じました。 彼が発端だったのでしょうか。そういわれると納得するところがあります。
補足
余計なことですけど、彼こそ米仏連合の立役者だと思ってしまいました。やっぱり思想の底を流れているのは、ヨーロッパ特にフランス的な美意識なのかなと、それがアメリカの風土にマッチして行ったのかなと。
お礼
あの伸びやかさは、アメリカンな感覚だったのですね。そういわれてはっと思いました。ヨーロッパでは独自のアメリカではまた独自のという、デザイン先進国の影響を受けながら、日本の技術とデザインが琢磨されていったということらしいですね。 しかし、あの無駄ともいえるような伸びやかさ、鮮やかさは、なにか不思議な印象を今日でも感じます。