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昭和50年代の鹿児島本線(小倉)
昭和50年代のことだと思います。まだ国鉄ですかね。 鹿児島本線の小倉ー門司をたまに利用していたのですが、 記憶では日曜の夕方に、電車ではなく銀河鉄道999にでてくるような茶色の車体で、 内装はニスべったりの木造の客車が運行されていたと思います。 たまに乗るのがたのしみだったのですが、今は無いようです。 そもそもどう車両、背景だったのか情報が載っているサイトが無いか検索してみましたが、見当たらなかったです。 どうかご存知の方がいれば、お知らせください。
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小倉駅で夕方に見かける客車列車ですが、昭和52年7月の時刻表では2747列車しか該当しません。 この列車は門司港17:37発原田行(筑豊本線経由)です。 筑豊本線の客車列車は昭和53年3月から基本的に赤色の50系客車になっていますから、それ以前と思います。 使用車両はわかりませんが茶色だとすればオハ35やオハフ33の可能性が大きいと思います。
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- FEX2053
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昭和50年代の「いつ」かが結構重要だったり・・・。 実は1978年から「50系客車」という赤い客車が大量生産されまして、それが筑豊地区に投入されたために、門司-小倉のほとんどの客車列車がこの「赤い客車」になっちゃったんです。それ以降、昔からの客車は「新聞・荷物輸送」がらみのモノだけになっていたはずです。 ですので、昭和50年代後半の話だとすると、筑豊方面には茶/青の古い客車は行っておらず、あるとすれば日豊本線方面の列車しか考えにくいです。確か宮崎方面から来る夕方の上り(この後、荷物列車部分を切り離して、夜行で山陽本線経由で大阪~東京に行く)はあったような記憶はあるんですが・・・。
お礼
ありがとうございます。 宮崎方面はあったかもということですね。 貨物主体の列車ならあったのですね。 そうそう。赤い客車は良く見ていた記憶はありますよ。 だいぶ昔になってしまったので記憶も薄れてきています。。 ありがとうございました。
- tefu1073
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こんにちは。 昭和50年代の時刻表が手元になくて自信がありませんが、鹿児島本線にも筑豊本線に向かう列車もあったはずですので、旧型客車が走っていたのではないかと思います。 あと、時間帯が異なりますが、門司港から長崎・佐世保へ向かっていた夜行列車「ながさき」号は、昭和59年に廃止されるまで旧型客車で走っていましたね。 ベンガラ色の客車も走っていました。
お礼
ありがとうございます。 書かれているとおり鹿児島本線とは限らないですね。 遭遇する機会がなかっただけで、他の時間帯にも走ってたのですね。 まさにベンガラ色です!
- sss457180
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キーワードは「旧型客車」「旧客」ですね。 かつては全国を走ってましたが戦前からの車両も多く 国鉄末期からJRになるころにはほぼ全廃しています。 小倉-門司ですと、その時代、そこを走ってた旧客は 日豊本線からの列車みたいですね。鹿児島本線の 普通列車(熊本-博多-門司港)はすべて電車に なっていたみたいです。(昭和54年の時刻表より)
お礼
そうですね。旧型客車です。 JRになってなくなったんですね。 鹿児島本線以外にもそういえば通ってましたね。 日豊本線の列車だったのですね。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 だいぶ昔の記憶ですからありまいですみません。 ググッてみると、形的にはオハ35かオハフ33の形ですね。 赤色は良く見ていましたね。