• ベストアンサー

国東半島の国とは?

国東半島には国見という地名もあります。 国とはどこのことでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tachiuo
  • ベストアンサー率32% (92/279)
回答No.3

『豊後国風土記』によりますと…  景行天皇の船が周防を発して当地に渡ってくる時に、遠くにこの国をみて「彼(そ)の見ゆるは、若(けだ)し、国の埼(さき)ならむ」とのたまったことにより、国埼郡というとあります。遠望して海岸線が突出している(埼の語でこれを表現している)(すなわち半島である)ことを確認できたという説話だと考えられます。  また「国見村」について、次のような記述があります。やはり景行天皇の話としていますが(こちらは陸路であり、上記とは矛盾するのですが)、遥かに遠く山がけわしく谷が深く、往来がまれであり、国(この場合は集落を意味します)を見ることができないとのたまったことによるとしています。  すなわち、『豊後国風土記』の地名説話に従えば、他の方の回答にある「山口県」は成り立たないし、「国見」をしたのではなく「国が見えない」という意味になります。

ipa222
質問者

お礼

ありがりがとうございました。 よくわかりました。

その他の回答 (2)

  • azuki24
  • ベストアンサー率49% (907/1826)
回答No.2

国東半島は豊後國(現在の大分県のほとんど)ですね。 古代の郡名は豊後國「國前郡」。和名抄では「國埼郡國前郷」となっています。時代によって「國前」「國埼」「國﨑」などの字をあて、「國東」は元禄の頃から。語源は豊後の東にあることから「さき」に「東」の字をあてたとされています。 現在の「東国東郡」「西国東郡」に分割されたのは明治22年の郡区編制から。ただし明治27年までは「國崎」と表記していたとする文献もあります。 「国見」は国内を眺望できる山の名前に多く、国東半島の国見町も、ここから国を見るという『風土記』の記述に因んで、昭和30年の合併時に命名されたということです。平成の大合併により、国見町と国東町ほかが合併して「国東市」が成立しています。 国東半島は豊後國全体から見れば東の端というより北のほうで、むしろ豊前國の東側に位置しますが、やはり他国ではなく自国を見る「国見」と解釈するのが妥当ではないでしょうか。 福島県や長崎県の国見町も、国を見渡すことができる山の名前を由来としています。古代の天皇が行った「国見の儀式」とは直接関係ないとのことです。

ipa222
質問者

お礼

詳細なご回答ありがとうございます。 国とは、豊後の国のことのようですね。 ありがとうございました。

回答No.1

現在の山口県のことではないでしょうか? 国見からは天気が良ければ山口県(たぶん周南市あたり)が見えると思います。

ipa222
質問者

お礼

国の東の半島ですから、国東半島よりも西に国があると思ったのですが、、、 宇佐は天皇が東征する前に居留地としていた地域ですから関連があるのかなと思いました。 ありがとうございます。

関連するQ&A