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社会学は似非科学か?

社会学は憶測の学問のような気がします。 素人の私から見て,これまで何一つ法則性を見出してこなかったように見えます。心理学ほど科学的になりきれていないところに問題があるような気もします。むしろ,哲学と事なり,下手に科学を装っているところが胡散臭く感じます。 1)社会学はなんらかの科学的手法を持っているのでしょうか? 大衆心理だったら,心理学の領域だと思いますし,社会学は科学になりきれないグレーゾーンを扱っている気がします。 2)社会学の成果には,どんなものがあるでしょうか? 私は哲学があれば社会学はいらないように思います。社会学のカテが無いので,普段お世話になっているここにしました。社会を哲学することならば,できると思いますが。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

>社会のように,複雑な要因が絡み合って出来たものに対して,なぜ,検証できると思うのでしょうか? 複雑であっても反証可能な仮説として提示されていれば、誤りを排除できる可能性はあります。最初は単純なモデルであっても、反証されより複雑な要因が考慮されていくことはあります。これは社会科学でも自然科学でも同じです。 確かに、社会科学の場合、自然科学よりも反証のためのテストが難しいことがあります(最近では自然科学でも反証のためのテストが難しいことはよくあるようですあが)。しかし、そこでさじを投げずに計量社会科学ではさまざまな工夫はなされています。 仮説のテストに時間がかかるのは自然科学でも同じことで(超ひも理論のテストは我々が生きている間にはできないだろうと言われています)、我々にできることは、科学を組織的な営みとすることではないでしょうか。 ディベート目的ではなく、真にこの問題に関心があるのであれば、大上段の議論で論じるよりも、ご自身で科学的方法に敏感な計量社会科学の論文や方法論のテキストを検討してみてはどうでしょうか。大学等の計量社会科学の演習に参加できればベストです。私も学部生のときに同じような疑問を抱き、計量社会科学の演習に参加していました。学んだのは初歩的な知識でしたが、随分と考え方が変わりました。判断するのは一度自分で参加してみてからでも遅くないはずです。 これ以上は哲学カテゴリの<注意>に違反してしまう恐れがあるので、この質問へのコメントはこれで最後にします。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 マルクスも社会学者らしいですが、共産主義が科学であるというのはどうしてもわからない。 半鐘主義にのっとるのなら、すでに共産主義は反証例が幾つか集まっているのに、反省している様子もない。指導者が悪いだとか、解釈が間違っていたとか、いいわけばっか。

その他の回答 (5)

回答No.5

1)について >ウェーバーさんの言っていることは,仮説ではないのか。検証可能性はあるのか。 とNo.1の回答に対するお礼で論じておられますが、仮説だからこそ検証可能性があるのではないでしょうか。 科学哲学についての著作はすでにお読みになっているでしょうか。 ある学問が科学かどうかは、科学哲学抜きでは語れないと思います。 さて、社会学の古典とされる ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 も デュルケーム『自殺論』 も議論の筋道は科学的に追うことができます。この点については 高根正昭『創造の方法学』 で詳しく説明されているので一読されてみてはいかがでしょうか。ちなみにウェーバーの仮説と日本についての研究(R.Bellah)についての記述もあったと思います。 他に、KKV『社会科学のリサーチデザイン』 など社会科学の方法論についての著作なども参照すると参考になるかもしれません。 「社会学はなんらかの科学的手法を持っているのでしょうか?」という問いに答えるならば、答えはYESになるでしょう。 2)について 私は社会学専攻ではないので適切な例が挙げられているか自信はありませんが、例えば、マスコミュニケーション理論の研究や、選挙研究などは20世紀初頭から意識的に科学的手法を取り込んでいます。その知見は科学的手法による社会学の成果ではないでしょうか。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 1) >仮説だからこそ検証可能性があるのではないでしょうか。 社会のように,複雑な要因が絡み合って出来たものに対して,なぜ,検証できると思うのでしょうか?そこが私の知りたいところです。仮説だから検証できるというのは幼稚すぎる考えだと思います。 科学では,一回ぽっきりの現象について検証はできません。なぜ,社会になると出来るのか。社会のように複雑なものを理解するのには,人間の寿命スパンでは到底無理で,何千年も見渡して,再現性や反証可能性を検討できる人でないと無意味ではないかしら。 私には,社会学については,どうも人間のおごりのようなものを感じてしまいます。社会について主観的に判断したものをそれは科学だといい,自説(自分のイデオロギー)を広めたいだけじゃないのかしらん。 再現性や反証可能性が,科学では大事な手続きだと思います。社会に対して,果たしてそんなことできるのでしょうか? 2)手法に科学的なものを用いただけで,それを知見と言うのは,余りにもお粗末ではないでしょうか? 社会を分析する手法に科学的なものを導入しても,社会をどう理解するかは,人間の主観や思い込みに頼らざるを得ないと思う。再現性や反証可能性について検討もせずに,それは果たして科学になりえるのだろうか?

回答No.4

自然科学に対する学問上の分類として社会科学があります。その社会科学の中で最も科学的であると見なされているのが、経済学と心理学です。 経済学は、計量経済学や数値経済学に代表されるようにモデル化と数式化において科学的な検証や応用が可能となっています。 心理学は、行動学において数値的統計など実証性の有無が客観的に証明されます。 これらの学問に対して社会学はモデル化や数値化、応用や実証性の面で非常に遅れていると言えます。ある意味、科学というよりは文学の世界に近いような気もします。 社会学の祖のコントやマックス・ウエーバーなど、その著書を読むと目からウロコのような斬新さが満ち溢れていますが、科学的であるかという観点からは?マークがつきます。直感力と想像力と文章能力がすぐれた天才だからこそ出来た業績ではないのかとさえ思えてしまいます。 その後の社会学者はパーソンズの「構造機能分析」などに代表されるようにいかに、社会システムをモデル化、数式化するかに苦労しているわけですが、モデル化は単純化を意味し、単純化することで別の複雑な要因を無視できなくなってしまっています。そのため現実社会の分析は非常に限られた局面でしか利用できず、悪くいえば数式を使ったお遊びをしているかのようです。 とはいっても、社会学の成果がゼロというわけではなく前述した「構造機能分析」などは部分的には社会システムの有用性を検証するのに有用な面もあります。 心理学や経済学は社会学に比べれば科学的ではありますが、といってそれも万能ではありません。心理学実験でのマウスの行動が、どれほど人間の行動に応用できるかも人間社会特有の複雑な要因によって大きく変化します。 経済学での「経済人」というモデル化は自己の利益が最大になるように行動すると単純化されていますが、実際の人間は心理的側面から不利益となる行動もします。 これらの諸問題を解決するために、ゲーム理論やカタストロフェ理論など新しい理論化・モデル化も導入されていますが、まだまだ発達段階の学問に違いはありません。 質問者さんは哲学があれば社会学はいらないと言われています。確かに古代ギリシアに発達した哲学は自然科学・社会科学を含めたすべての学問の祖ではありますが、個々の学問に細分化されたのもそれなりの必然性があったわけです。(細分化されすぎていることにも問題が発生していますが、今は学際的な協力ということで各学問の専門家が共同研究を始めています) 細分化された各学問はその複雑さに応じた形で努力・進歩していると思いますので暖かい目で見守っていただきたいと思います。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 私は社会学の面白さは,雑学の面白さに近いんじゃないかと思っています。なんでもござれの世界ですね。 社会学は不思議な学問で,文学とかの文系の学問だと思うと,そうでもない。まさに,学際的なことを扱うための学問分野なのかもしれません。 社会のように複雑なものを扱う手段として,科学的手法は余りなじまない気もします。一応,複雑系を扱う科学としてカオス理論などもありますが,それにしても定式化できないものは扱えません。 社会の中から,法則を抽出しようとするには,余りにも例外が多すぎると思う。かといって,科学的手法を捨てることも出来ない。 私も見守りたいと思いますが,社会学の始祖コントの師が社会主義者のサン・シモンと言うこともあり,イデオロギーにもとづいた社会学の流布についても正直なところ心配しています。

  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.3

私は素人なので勝手な憶測なのですが、 社会学も人類学の延長ですから、「人類の集団行動」という枠組みでの科学的検証ではないでしょうか。 生物学のなかの猿学は「人類とはなんであるか」という検証に向かう方法のひとつだと教授たちは語っています。 社会学も「人類の行動様式」として、その検証へのアプローチのひとつではないでしょうか。 社会学者の多くが、細分化した専門分野に没頭してそういった本来の目的を忘れているかのような状態が問題なのであって、 社会学そのものが科学的価値が無い、ということではないと思います。 いつか、大局から全ての科学分野を総括して哲学できる人物が登場し、 全てをデータとして活用できる日が来ることに期待しましょう!

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 猿学は日本オリジナルな研究ですね。日本の霊長類研究の創始者である今西錦司は,「ダーウィン進化論」に対して,生物の棲み分け研究をもとにした「今西進化論」というものを提案していますね。保守主義の中川八洋は今西進化論を支持しているようですが,まさに温故知新で,フロイトや今西進化論のように時代遅れとみなされる研究に光を当てる。 ところで,保守論客の西部邁は,社会学などの方法論を導入して新古典派経済学に対する批判を行い注目されたようですね。中川八洋によれば,もともと社会学は,ルソーを始祖とするサン=シモンとコントにより発達してきた擬似学問の世俗宗教と言われいています。狂人ルソーの乞食の哲学が,社会学を生み,それを保守派(西部邁)が利用するとはなんとも皮肉なことだと思う。 ルソー教がヴァンダリズム(破壊主義)のフランクフルト学派を生み,文明破壊を目指すポストモダンの思想家を生む。日本の憲法学は,宮沢俊義や樋口陽一などのルソー教徒により赤く染まっている。 マルクス主義により,真っ赤に染まった日本に,保守によるデドックスがどこまで進むのか。保守と社会学の関係についても興味がわいてきました。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.2

1) 心理学が科学であるのと同様に、多くの科学的方法を持っています。ただ、心理学はどちらかといえば小集団までに研究対象が向けられる傾向にあるのに対し、社会学は社会全体、例えば国全体や世界全体などに向けられる傾向にあります。 代表的な方法は、たとえば計量的・実証的な研究方法などです。これらは、調査対象が人間というだけで、化学などにおけるフィールドワークとほぼ同様の手法に従って分析が行われています。 また、経済学・心理学・法学などとの接点も多く、特に経済学や心理学との接点ではこのような計量的な研究が行われていることが多いようです。 とはいえ、科学ではない社会学の方もいらっしゃいます。現状を「解釈する」学派と言えば良いのでしょうかね。この方々にとっての社会学は科学ではなく、むしろ哲学に近いものといえます。この点では質問者の方の理解は正しいものだと思います。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 心理学も黎明期ではだいぶ胡散臭く見られていたように思います。しかし,最近,E. カンデルなどの神経科学者により,フロイトが再評価されています。脳研究の飛躍的な発展は,fMRIやPET,光トポグラフィーなどのツールの発展によります。 社会学の発展にも,学際的な分野での研究や,異分野からの視点が重要になってくるのかもしれませんね。まだまだ黎明期の中にある学問の胡散臭さが,逆に魅力でもあるのかな。

  • biwako1215
  • ベストアンサー率13% (177/1302)
回答No.1

マックス・ウェーバー(1864-1920)の著作を読んだことありますか?ドイツの社会学者・経済学者です。 一度、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をお読み下さい。その上で、「社会学は似非科学か?」どうかご判断ください。 なかなか面白い著作ですよ。必読の書です。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 機会があれば手にとりたいと思います。しかし,結局のところ,読まないと分からないのものなのでしょうか。 ウェーバーさんの言っていることは,仮説ではないのか。検証可能性はあるのか。例えば,彼の説を日本に当てはめて説明することができるのでしょうか。 勤労精神だったらアジア儒教圏も負けていません。資本主義の発展過程のようなものの原因としては,一元化しすぎていると思う。 養老猛のバカの壁も社会学になるのか。

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