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天皇
天皇の もともとは 韓国人だと聞きました よくわかりません 歴史に詳しい方 解説 お願いします
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- junra
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詳しくないですけど、天皇は初代桓武天皇から始まる系譜ですが渡来人という説です。韓国というより中国系の渡来のほうが強いかと思います。 いろいろな歴史の文献がありますのでそちらから調べていただいたほうがよろしかろうと思います。桓武天皇が初代になる統一のロマンを残したほうが良いのでは、答えになりませんけど、意外とヒントは中国史にあると思いますが・・・
- shuushi
- ベストアンサー率28% (2/7)
この疑問はイエスがユダヤ人であることが気にかかる、と同じだと思います。イエスのニーズがなんであろうと、本質的な意味、価値には全く関係ありません。 イエスはユダヤの王として処刑されました、ユダとは肉体で腹の虫で蝮の我利本能です。これを治めて生きることが、パラダイスへの道であると教えているのです。 創世記の49章11節(911に通ず)にシロが来るまでユダは栄えるとあり、シロはシロアムの池で目に塗られた泥を洗えば目は開く(ヨハネ黙示録9ー11)と書かれたヨハネ=與羽=48音の酉(十理)になる日本語の天能の智慧のことです。 これが西に一位の神の本願を向かる酉で、木(猿=土ロ衣=幼知=細意思=物欲=盲人)に日を迎えて東(日泊まる=人)進化することです。これを棟梁=円編羅明の天の働き、魂建設の総監督の天の能の智慧といいます。 皇はシロの王で、ユダの王の目を覚まし処刑から救うものである、と天皇の存在と役割は聖書にも書かれているのです。 人類の近未来の指標が天皇で棟梁で、人類の位置がダイ(代、台棟梁=殻田)統領の名と行動に示されています。この神人のギャップが摩擦で天変地変、戦争等の荒れ事を産んでいるのです。プレ、ジデントは前期の地臀戸で、殻作り(エッジプット=場痴漢=胎原の虫=夕唾野)の殿、王であると言霊されます。 なぜ日本に世界のバベルの塔建設の棟梁の皇室があるのか?これは世界地図に描かれています。世界はアフリカを頭とし、腰を米国とした人の形をしています。これをカマラ(果を生む間羅=神の子を育てるカマラート=友=母)と私は名付けました。 この腹の前に日本は心の字で据えられています。つまり世界の中心で、天の母主神から智慧の光という命の言を受けて世界に配る臍の緒であるということです。殻作りが完成して実魂作りに入るとき、月の光に替わって日の光が出されます。これがヨハネ福音書16章に予言された「真理の御霊の出現する時、聖書、イエスに光を当ててその奥義を教える」という予言に通じ、日出国の名が成熟するのです。 闇代で殻田作りに生きてきた私達には罪穢れという泥=大きくなった腹の虫が付着しています。これを日に当てて虫干ししすることは、月+日=明仁=平成で凹+凸=螺鈿細工で、憂様+便=螺鈿、ウサマ、ビン、ラディンの警告なのです。 東京都は、ブッシュ=物主台棟梁の頭の上にビン、ラディンの顔が乗っている形です。皇居はブッシュの頬にあります。 現、明仁天皇は、月に日、殻花に蜂として秘蜜を探り受粉、受精して実魂を結ぶべしの教えです。仁の二は天地の間で、精神と肉体、物と霊の葛藤です。これは神のイ意=天意=愛を布陣すれば勝利するという字です。 皇太子徳仁様はナルヒトで、人類は本物の人=神の子=天使になる時を迎えたということです。仁=愛が女の凹み、で終わってしまっては天脳は完成しない、これが皇室に九人の女子ばかりが誕生している理由です。後継者問題を起こして天の脳ー=神の愛の計画と願いを考えよと言われているのです。 皇太子様の鼻はユダヤ人特有の高い鉤鼻です。人の無神向の傲慢心は神にへし折られるという示しです。今、現代人はソロモン(神と結婚しない独り者=チョンガー=ゝの主神に偽我=丁髷を落として月代に生きる毒心=天膿)である、このままでは国(家巣=肉体)を奪われるという警告です。 天脳はニーズを越えた存在です。私達も何百回も輪廻して様々な国に産まれ、必要な魂研きをします。イエスも人は神の子であり、神の命を持っているといっています。物事を霊的に受け止めることが天視で、神の見方の味方の天使となれば、パラダイスに迎えられる道は開かれるのです。 がないように、天皇が何人であろうとその存在のいm
お礼
??? 宗教とか まったく 入る気ないんですけど... ここで 布教活動されても... カテゴリー違いでしょうか 質問は 歴史についてで 単にどの説が有力か知りたかっただけなんですが 宗教団体の リンク張られても なんとか宗教とか まったく 興味ないので イタイ人来ちゃったので 締め切ります 汗;
- tachiuo
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そんなことを言えば、日本人の先祖は全て韓国人になってしまいます。韓国から来た人の遺伝子を持たない日本人は一人もいませんから。 ええかげんな掲示板の「在日認定」に惑わされないでください。あんなのは「便所の落書」に過ぎません。 江上波夫の「騎馬民族征服説」を支持する日本史研究者は、ほぼ皆無です。 桓武天皇の母・高野新笠は、帰化人系ではありますが、韓国人ではありません。れっきとした日本人です。戦国武将などの中に、先祖を韓国からの帰化人としているものがありますが、彼らは日本人であり、韓国人ではありません。 先祖に韓国人がいるということになれば、元首相の羽田孜氏も秦氏の末裔ということですので、韓国人ですか? 韓国渡来系の陶工たち(薩摩焼・萩焼・有田焼など)も韓国人ですか?日本人です。
お礼
回答有り難うございました
- tatsumi01
- ベストアンサー率30% (976/3185)
有名な倭の五王(5世紀)は、南朝皇帝に「百済・新羅・任那」など六国の王として認めよと執拗に要求しています。宋の皇帝は倭王を「新羅・任那」他の王に叙しますが、百済王位だけは認めません(既に百済王を叙していましたから、二重には認められません)。 倭王が朝鮮半島諸国の王位を要求したのは、もしかするとこれらの国王と姻戚関係にあって、(順位は低いでしょうが)王位継承権を持っていたからではないでしょうか。 現在の天皇が倭王の子孫かどうかはわかりませんが、もし倭王が朝鮮半島の諸王と姻戚だったとすれば、天皇は半島の英雄(誰だかわかりません)の子孫ということになります。
お礼
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- buchi-dog
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No1の方の言われるとおり、桓武天皇の生母である高野新笠は、百済からの渡来人の子孫です。ただし、その時点で日本に来て100年以上を経ており、生活習慣などは完全に日本人になっていたでしょう。現在の天皇陛下は、桓武天皇の遠い子孫です。 それ以外で、日本の皇室に朝鮮系の人が入った記録はないと思います。 古代日本と、朝鮮半島の百済国との関係は極めて緊密であり、アメリカとイギリスのような「兄弟国」と言える関係であったようです。百済が滅亡する時、日本は朝鮮半島に派兵して共に戦っています。これは、近代以前の日本史上唯一「同盟国を助けるための海外派兵」の事例です。 日本の古代史についての根本史料である日本書紀には、なぜ百済にそこまで肩入れしたのか、なぜ親密な関係であったのかは書いていないはずです。そこで、例えば「皇室と百済王家は親族関係にあった」という想像が生まれることになります。これは、史料がないのでどこまで行っても証明することは出来ません。
お礼
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- mii-japan
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他の回答の様に、朝鮮半島を経由して渡来した人々の血も受け継いでいることとは思いますが 少なくとも1200年以上もの間、明らかに朝鮮半島を経由して渡来してから2・3代の人が天皇の親になっていることはありません 1200年以上も遡って「韓国人」と断言するのは牽強付会に過ぎると思います(百済人とか新羅人とか高麗人とかならまだしも) ひとつには、1400~1600年前、朝鮮半島の有力な部族は日本に渡来した、今の朝鮮半島の人々は、その後、西方や北方から移住してきた民族の子孫だ という説もあります
お礼
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日本の神話はもともと古い時代の権力者の話で神はその権力者だという説もあります。 そして、神の住む所高天原(たかまがはら)が朝鮮半島ではないかという事が言われています。 天皇もそういう血筋なのでひょっとしたらそうかも知れませんね。 でも、これは学説の一つでそうだという断定は出来ません。
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- ipa222
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元々日本にいたのは縄文人です。 弥生時代に、中国の江南地方や、朝鮮半島の東岸、南岸から、海洋民族や稲作民族が渡来しました。 縄文人は、蝦夷やクマソとして追い払われました。 つまり、日本人の大多数は、中国の江南地方か朝鮮半島から来ているのです。 神社のほとんどは、朝鮮半島東岸から来ている新羅系です。 天皇は、朝鮮半島南岸あたりから来たと言われています。 そもそも、神聖思想をもった満洲族の族長の子供が南に下がりながら、王朝をつくってきました。 彼らは末子相続なので、長男から順番に家を出てゆくのです。 ロシア沿海州から、満洲、北朝鮮、韓国、日本と、地元の風俗と混じりながら、やってきました。 韓国の古代の伝説にも、そのあたりが記述されています。 そうした思想のルーツは、ウラルアルタイ地方が根源ではないかとも言われています。 最終的に天皇が日本にやってきた地は、朝鮮半島ですが、その先もあるのです。 もしも、天皇が朝鮮半島からやってきていないなら、縄文人の酋長といういうことになります。 天皇の王朝は、蝦夷と長い戦いをしていますので、それはあり得ません。
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- pyon1956
- ベストアンサー率35% (484/1350)
記録の信憑性や、倭人とあった場合、それが現在の日本に続く人々をさすのか、それとも・・・・といった問題はあるのですが、尚書によると周の第二代のとき、倭人が貢献してきた、という記事があり、また隠岐の黒曜石がウラジオストックで見つかるとか、紀元前から主に大陸沿岸地方(日本海を囲む部分)と九州~出雲~越あたりの行き来はあったのがほぼ確実です。 また#2さんも書いておられますが、伽耶もそうですがいわゆる「任那」をはじめ、魏志倭人伝では「狗邪韓国」なる記述があり、少なくとも倭国の時代、行き来があったのは確実です。それが直接大和の王朝につながるかどうかは論争がありますが、おおまかに見て西日本一帯は南方系(南中国、東南アジア)と、日本海沿岸系(韓国の南部や北朝鮮の東岸、沿海州などを含む)がかなり長期間にわたってやってきた結果としてそれらの血統をひいているのは確かでしょう。つまるところ西日本出身ならなんぼかは韓国のひとびとと同じ祖先を持っていても不思議ではありません。 ただ、注意しておかなければいけないのは、民族主義的に韓国人だという主張とこれは無関係です。なぜなら、韓国に現在住んでいる人々のなかには、天皇家の先祖の渡来後に韓国にやってきた人々も含まれていますし、中国で政変ののち韓国へ逃亡した人とかもあるわけです。そういう意味では韓国人である、といういいかたにちょっと「民族主義」のニュアンスが入ってしまう(だからうちのほうがえらい、という。戦前は日本がこれをやっていましたが)わけで、基本は同根、つまり同じ木の根っこからでた二本の枝、といった理解が正しいと思われます。 もちろん#2さんがおっしゃるように、天皇家の出自については「伽耶による征服説」「対馬による征服説」「前記の征服ないし移住があった後の九州勢力(あるいはその一部、末端)による近畿の征服説」などいろいろあり、確定していません。確定しているのは、確かに桓武天皇の生母についてですが、桓武天皇についてはその奥さんの幾人かも百済や新羅系がいたようですし、側近にも渡来系がいます。(坂上田村麻呂とか)。そういう意味でこの政権はかなり渡来系の色濃いものでああったようです。 その後についてはわかりませんが、畢竟天皇家が西日本にずっと住んでいた以上、韓国から渡来した人々の血統がその後も入り続けたのはほぼ確実といっていいでしょう。 ただ韓国人といういいかたはやはり不正確だと思われます。
お礼
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三世紀の東アジアについて記した魏志東夷伝には、弁辰(朝鮮半島先端部)の風俗は、倭(日本)と非常に似ていると書かれています。その頃は、人種的・文化的に見て、日本と朝鮮半島との間に明確な垣根は無かったのです。 朝鮮半島先端部には、紀元前後から鉄器文化を持った小都市群が発達し、この地域は後に伽耶(かや)と呼ばれることになります。伽耶は6世紀に新羅に併合されますが、四世紀以前においては朝鮮半島および日本の鉄需要を賄った供給地であり、文化の中心地とも言える存在でした。 伽耶は記紀では任那と呼ばれますが、白村江の戦いに敗れるまで、大和政権は任那における領権を主張し続けました。既に国内で鉄を産生できるようになった大和政権が任那にこだわったのは、大和政権にとって任那が経済以外の理由で重要な土地だったことを暗示します。 日本における産鉄技術の発達は、伽耶が新興国の新羅や百済に圧迫され始めた時期と一致します。したがって高い技術を持った伽耶人の集団が、類似の文化を持つ日本に移住し、その際本国の王族から首長となる人を迎えたとしても、不自然な話ではありません。 しかし現時点では、天皇家の出自が伽耶の王族である、という明確な根拠があるわけではありませんから、あくまで仮説の域に留めておくべきだと思います。
お礼
お返事 有り難うございました! 詳しい解説に ただただびっくりです 参考になりました
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