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とても初歩的な質問ですが・・・
フランスの市民革命で、どうして市民は「三部会」に反対したのでしょうか? 僧・貴族・平民が参加できるということは、専制政治においてマイナスではないと思うのですが。。。 あと、その後に、どうしてバスチール監獄を襲うんですか。あまりにも知識がないもので、その場所を襲った理由が知りたくて質問してみました。 どうか、回答をお願いします。
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最初第三身分(平民)は、約170年ぶりにヴェルサイユ宮殿(パリから約20km)で開かれることになった三部会に、大いに期待しました。重税の緩和や政治参加を求め、特権階級に対抗しうると考えたからです。 第一身分の中には平民出身の聖職者もいましたし、第二身分(貴族)には改革に意欲的で、平民から絶大な支持を受けていた、ミラボー伯爵のような人物もいたからです。 しかし三部会が始まってみると、伝統的な議決方法に関して対立してしまいます。もともと三身分がそれぞれに分かれて意見をまとめ、最終的に一身分一票で投票して議決するが慣わしでしたが、それでは全く意見が通らなくなる第三身分部会が猛反発したのです。 結局第三身分議員は、自らが国民の真の代表であると主張して「国民議会」を名乗り、「球戯場の誓い」へと繋がるのです。 しかし、その後三部会がいっこうに進まず、特権階級と結んだルイ16世が議会に圧力をかけたり、第三身分に圧倒的な人気があった財務総監ネッケル(特権身分への課税を主張していました)が罷免され、さらに軍隊(将軍、士官=貴族)が国民議会を弾圧したという情報が伝わると、パリで市民達が暴動を起こしたのです。 7月14日、市民は軍に対抗しようと、銃や弾薬が保管されていたアンバリッド(廃兵院)の武器庫を襲います。しかし弾薬が無かったため、さらにバスティーユ牢獄を襲いました。当時パリ市民を威圧するように建っていたバスティーユは、専制政治の象徴とみなされ、市民の憎悪の対象だったからです。
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- koon1600
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1の人に補足です。 三部会の伝統的な投票法というのは、僧、貴族、平民の3部がそれぞれ個別に投票します。票の多さではなく各部ごとの投票結果が個別に反映される、つまり数が反映されにくいのです。 たとえば議案Aに対して賛成と反対の比率が 僧 4:1 貴族3:1 平民1:9 だったとします。数としては平民の賛成数が多いため反対の比率が多いのですが、三部会のばあいはこの議案Aは賛成となります。それはこの議案Aは僧では賛成多数、貴族では賛成多数、平民では反対多数です。 そして票の数え方ですが、賛成2(僧、貴族)、反対1(平民)で可決となります。 このため多くの(共通する)封建的特権を有している僧と貴族は同じ結果になることが多く、封建制撤廃、課税免除の撤回など、主に平民が望む議案は2:1で否決されることが多く、平民の意見がほとんど通らないという問題があったのです。
お礼
採決方法がとてもよく理解することができました。ありがとうございます。
お礼
とてもわかりやすい説明ありがとうございます。とてもよく分かりました。