- ベストアンサー
仕事をすることの意義、仕事への攻めの姿勢
仕事をする意義や仕事への攻めの姿勢とはいったいどのようなものなのでしょうか。なぜ人は仕事をするのでしょうか。学校の先生に聞いても何を言っているのか分かりませんでした。社会人の方でこれが分かる人いますか?
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
仕事には面白いという側面があるのです。 スポーツやゲームと同様、集中して継続すると能力が上がって今まで見えなかった部分まで見えてきます。 そして社会のなかで自分の役割が見えてきます。 また、専門家としての能力が上がる事で収入も廻りの信用度も増して行きます。 つまり 仕事を通して社会に関わってゆける事が面白くなります。 そして自分の考え方や思想を仕事を通して社会に反映させる事になります。
その他の回答 (7)
世の中には「一生遊んで過ごせるだけのお金があっても仕事をする」という人と、「仕事をしなくてもいいならしない」という人がいて、「仕事の意義」などというのは基本的に前者の主張なのですが、それを後者のタイプの人が聞いてもピンとこないのだと思います。あなたは後者なのかもしれませんね(私もそうです)。もしそうなら、「仕事の意義」とかなんとか言う人がいたら「自分とは基本的に違う人なんだからわからなくて当然だ」と思っておけばいいですよ。 ただ、できれば仕事なんかしたくないと思っている私のような人間でも、生きるために仕方なく働いているとそれなりに学ぶこともあるので、それを「仕事の意義」と言えないこともないのですが。 なお、間違っている方がいたのでつけたしておきますが、日本国憲法には勤労は国民の「義務」として明記されています。
仕事をしたいから、する。 もっと言えば、自分の役割に気づくためにするのでしょう。 職業選択の権利はあっても、義務はありません。
- ele_sheep
- ベストアンサー率18% (287/1525)
食べて パートナーをみつけて 子作りをするためです 考えすぎて わけがわからなくなったら、 ちょっと知能のある野生動物をみると ああこういうことか!と、シンプルに理解できたりします。
- 畑山 隆志(@deltalon)
- ベストアンサー率39% (733/1864)
一本調子で考えないように。 まず社会へ出たら、仕事に就きます。理由の一番は他の人も言っている、生きていくためです。この段階はいわば「適応」ということですが、仕事に慣れてくると周囲を自分で動かせるようになってきます。それがマネジメント(=管理=経営)といい、経営に携わるようになれば信用を得て、ヒト・モノ・カネが動かせる段階、すなわち「主導」へと向かいます。 この適応から主導へ向かうときは、自ら積極的に動く、つまり本人の意思と努力が必要です。つまり攻めの姿勢です。 (具体的には、指示を待つのではなく、できることは自分から始める。困難な仕事であっても工夫し、自分の体力、知力を尽くして目標を達成すること。)
- tachin
- ベストアンサー率29% (136/458)
最近、その手の本が良く出てますので、悩んでいるなら読んでみてください。 質問にて、「仕事への攻めの姿勢」という事と「何故人は仕事をするのか」と言う事がございますが、視点が二つで混在していると感じました。 後者においては、あなたが資産家家庭でないならば、自分で収入を得て生活する為ではないですか?。まだ学生ならピンと来ないでしょうけど、一人で生活していく事にいずれなるわけでしょうし、家族を持てば養わなければならないのですから。 前者においては、仕事を通じての面白みが味わえると言ったことになるでしょうか?。 趣味の延長で仕事(収入が得られる)になった、なーんて人がいますよね。趣味は楽しいからこそ趣味になっているわけで、それが仕事として成立したとなれば、一石二鳥じゃないですか。また、趣味となれば、とことん追求するとか熱中もしますよね。それと同じで、仕事への追求や熱中が出来る事もあります。軽い気持ち、知人からなんとなく誘われた趣味が、いつしか本気になっていた。仕事もそういったことあります。意義とはかなり違った回答になってしまいましたが、学生期間を抜ければ、誰しも社会人にならざるを得ません。社会人として仕事を通じて、何かを得る・・・・それが意義につながるのかもしれません。多くの友人ができた。取引先の人と趣味を通じて毎日楽しい。仕事そのものが楽しくて人生も楽しい。そんな楽しいことばかりではないですが、仕事も人生という時間の一つで過ごす方法として何かを得るというのが意義と言えば意義かもしれませんね。定職につかずに毎日パチンコ行っている人が楽しい毎日を過ごしている人ばかりとは思えませんし、ホームレスの人とて、職が見つからず仕方なく悶々と暮らしていると言う人もいるわけです。そういった方々が生活で意義を見出せているかと考えるといないように思えます。社会人である以上、資産家で無いならば仕事をするしかない。仕事を通じて意義を見出せと先生は言っているのかもしれませんね。
全員に共通する意義はひとつ。 「自分でお金を稼いで、生きていく」 これだけです。 でも人間は我儘なので、大体の人は仕事を選びたがります。 そして収入もそこそこ上を目指したがります。 休日も欲しいでしょう。 たまには美味しいものを食べたり、娯楽的なことをしたいと思うでしょう。 病気になったら医療機関にかかりたいでしょう。 そこで、「こういうことがやりたい」というものがあるならば、攻めの姿勢…要はやりたいことをやるための努力というのが必要になってきます。 質問者さんにやりたい仕事も趣味も楽しみも何も必要なくて、お金がもらえるならサイコロの目に色を塗り続ける仕事であるとかトイレを素手で掃除する仕事であるとか、そういうものでも全く問題ないということであれば、特に攻めの姿勢を取る必要はないと思います。 もちろん、携帯もパソコンも、場合によってはテレビやエアコンも所有できない生活になります。 ただ寝て起きて最低限のものを食べ、仕事をして帰ってきて寝る。 結婚もできないしどこにも出掛けず友達もいない、そういう人生を死ぬまで続けても問題ないなら。 少しでも選びたいなら、どう攻めたらいいのかを考えなくてはなりません。 質問者さんの選択肢の幅がどういうものかわからないので、ひとまずはこういう説明になります。 ただひとつ、仕事の意義には抜け道があります。 それは「自分が稼がなくても充分な資産を他者から譲り受けられる場合」。 一番わかりやすいのは親ですが、もし親の資産があなたの一生を終えるまで充分なほどあり、なおかつ親が「お前は働かなくてもいい」と断言しているようなら、働く意義というのは全く別のものに姿を変えます。 もしそうなら、ちょっと違った説明がいるかと思いますので補足下さい。
何故仕事をするか。 生活するための収入を得るためです。 働かなくても生活に困らない。というなら、働かなくてもいいでしょう。 攻めの姿勢というのは、今の生活より、もっと裕福な生活をするために、収入を増やすことで、そのための努力をすることです。 少ない収入でいい。という人は、攻めなくていいです。 極論すれば、ホームレスの人は、完全に守りですから。 何の努力もしない。ただ生きている、息をしているだけです。 学校では、道徳とかあって言葉を濁しますが、結局のところ、そういうことです。
お礼
分かりやすかったです。先生にひろたん1879さんの回答と自分の考えを踏まえて説明したいと思います。ありがとうございました。