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学校生活で一番大切なこと
以前から思ってることなんですが・・・最近つくづく思うんですよ。 学校に行く一番の意義、つまり学生にとって一番大切なことって、実は「毎日ちゃんと学校へ行く習慣を身につける」って事なんじゃないかって。 学生(生徒)にとって大切なことって沢山ありますよね。 もちろん勉強が一番に本分として存在します。 それ以外にも、身体を鍛えること、常識あるマナーや社会のルールを学ぶことETC でもね、実際に社会人として生きていく上で、実は「いくら眠くても、かったるくても、嫌なことがあっても“とりあえず朝起きて学校へ行く”」って凄く大事ですよね。 極端な話しサラリーマンなんて多少能力が低かろうが、性格が悪かろうが、まず「仕事の時間にちゃんと出社する」ってことが最低限のルールですよね(このリストラの時代では植木等のようには言えなくなってますがね)。 いや、もちろんね、例えば極端に凄惨なイジメに会っている子が、なんでもかんでもとにかく学校に行かなきゃいけないってわけでも無いとか、そういう難しい話は別ですが。 各教科に専門の家庭教師を付けられる程の大金持ちでも、やはり子弟を学校にやります。 これってやっぱり、学校って一番大事なことは勉強なんかじゃなく、まずは「イヤでも学校へ毎朝しっかり行き、そこで生活をする」ってことなんじゃないでしょうか。 ああ、別に議論とか、問題提議とかみたいな、大層な質問ではありません。 みなさんのご意見や、参考になるお話を伺いたいだけです。 どうでしょう? みなさん、学校って、この「いやな生徒や先生が居ようが、理不尽な校則や縛りがあろうが、そしてその日いくら眠かったりカッタルかったりしようが、とりあえず朝ボーっとした顔のままでも『まずは学校へ行く』ってのが凄く大事」ってことないでしょうかね。 ほんの駄質問です。まったり行きましょう
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>ほんの駄質問 いえいえ、これこそ大事な質問ですよ。 私は人事を兼任していますが本当に大事なのはその通り「毎日行くこと」です。 たぶん、学生生活でも社会人生活でも最も大事なのはそれだと思っています。 私は学生のころ、毎日いくことが当たり前でした。 休んだこともなくほとんど皆勤賞でした。 ところがどうでしょう、今は学歴があっても、実力があっても、何が出来ないっていうと「毎日の繰り返し」が出来ない人があまりに多すぎるのです。 学校も仕事も毎日の繰り返しです。 この習慣こそを学ぶのが学校ですけど最近は「無理」をさせないじゃないですか。 無理しないで休む、無理をさせない教育、不登校にはフリースクールなどもありますし、なんていうのか単位をとればいいという問題じゃないと思っています。 だから私の会社では成績が多少悪くても毎日学校へいく人を採用します。 ちょっとくらいデキル人よりもです。 こういった毎日の繰り返しが大事だと私も今、実感しています。 ちなみに、学校の校則や先生というのは「理不尽」だなと思いますが、これこそ上司の理不尽に耐えるための最初の訓練では? 私の高校はかなり無意味な校則もありました、私は反発する生徒ではありませんでしたが、社会にでて同じように、無意味だったり、理不尽なことは沢山ありました。 あれこそ、訓練だったんだなと今は「先生ありがとう」とすら思えます(笑)。
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- nogiku95
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高校の時は 自宅で宿題をちゃんとやってないと、学校に行くのがとても憂鬱でした。 行ってたけど。
お礼
告白します。 小学校の2年生だか3年生だかの、夏休み明けの9月1日。 私は「頭が痛い」とウソをついたことがあります。 そう、宿題をやってなくて、仮病を使おうとしたのです。 すぐに父親にバレて、泣きべそをかきながら、宿題を1日の朝にやっていたら、見るに見かねた父はついに私の宿題を手伝ってしまいました。 “今の自分のダメ人間の一端は、あの父の教育が悪かったんだー!” こう叫ぶことが「自分の恥」だと分かるようになった私も、当時の父より年上になってしまいました。 回答者さん偉いなぁ。ちゃんと行ったんだ。 回答ありがとうございました
私もそう思います。 毎日の日常の繰り返しは大事なのだと感じます。 私は大変身体が弱く小さな頃から学校を休みがちでした。 でも勉強は出来たので「勘違い」してましたね。 長いこと、どうして私は勉強できるのに、その評価がもらえないのかと。 例えば95点取っても成績は10段階の8とか7。 毎日来る「出席点」がもらえないのです。 そして毎日来る成績の悪い子が(32点)が4なんです。 すっごい納得できませんでしたね、大人になるまでずっと憎んでいました。 ある日、ふと思ったのですが、私の家は商店街の中にあり、毎日毎日同じ時間に開ける店は信頼があることに気づきました。 定休日以外にも休む、開ける時間がマチマチの店は信頼を得ることが出来ない。 そして学校に毎日行くことの大切さを実感しました。 毎日のことが出来ない人って駄目人間だと思います。 繰り返される毎日を、日常を放棄する人が多い中で一番大事なのは「継続」だと今は思います。 私の親がいつも言う言葉なのですが、 「外で働けない人は心が弱い」「会社勤めできない人は自営になるという考えは甘い、自営こそ、強靭な精神力がないと出来ない仕事だ」と言うのです。 母は、よく休む八百屋には行きません。父は、転職回数の多い人を認めません。 毎日行く、毎日を繰り返すことは信用だと私も今は思います。 ニートとかがダラダラしていることはやっぱりよくないと思います。 私の知り合いで無職は全員「生活のリズムがぐちゃぐちゃ」です。 夜型で、好きなときに遊んで寝てという人は駄目です。 毎日寝る、起きる、働く、遊ぶ、家事をするというのは毎日の繰り返しですから、私は基本の基本が大事だと「本当にそれこそ大事」だと思います。
お礼
体験からの貴重なお話しを伺えて感謝です。 No1の方のお礼にも書いたのですが、昔の職人や丁稚奉公ってのは「技術やノウハウの取得」という点からは、非常に不合理な制度です。 例えば寿司屋の小僧が、最初の3年は魚も触らせてもらえない、なんてのは「寿司屋の技術」としては、非常に遠回りなわけです。すぐにでも魚のおろし方でも教わったほうが手っ取り早いわけです。 しかし、奉公の「年季」が明けて、職人やさらには自分が主人と言われる立場になり、誰も自分を叱ってくれる人間が居ない立場になった時、そのとき初めて「毎朝、決まりきった仕事に出る」って習慣を身につけてるかどうかが差を生むわけです。 そのような、いわば「職業人としての性根」について、回答者さんのご両親は良くご理解なのだと思います。 ありがとうございました
素晴らしい意見ですね。 その通りだと思います。 毎日同じ事を繰り返すのが一番苦痛ですよね。勤続何十年、この道何十年っていう人は本当に素晴らしいと思います。 仕事をして、給料をもらって生活をするって事は本当に大変なことだと、仕事をして始めて気づきました。 その基礎を、学校に行くって事を通して学ぶんでしょうね。
お礼
社会人としての重みのあるお言葉だとおもいます。 「継続は力なり」って言い古された言葉がありますが、本当に真実の一端を現してるのかもしれません 回答ありがとうございました
>「イヤでも学校へ毎朝しっかり行き、そこで生活をする」 まず というより、社会生活を送る上での協調性・マナーを身にけることと同等と考えます。 でも”一番”といってもいいかもしれませんね。能力とかルールを守るとか必要だけど、そもそもその場に現れもしないんじゃ話しになりませんからね(苦笑) 些細な理由で出社しない人、予想以上にいるみたいですね。二日酔いでとか、酷いと雨が降ったら休むとか…。
お礼
同意いただけて嬉しいです。 あは。 それにしても、雨が降ったら休みってのは凄いですよね。 へたに本格的な梅雨時なんか、「第二のゴールデンウィーク」どころか、日本の企業の現状では「長期バカンス」になりかねません。 回答ありがとうございました
お礼
人事を担当されている、いわば専門の方にそう言っていただけると本当に嬉しいです。 実は私がこれに気付いたきっかけは、中学校の電車通学の駅でのことでした。 まだガキだった私は、駅の切符切りの駅員さんを見て思ってしまったのです。「毎日改札で、ただ切符を切るなんて人生つまんなさそうだな。こんな人生送りたくないな」なんて。 しかし、いつのことだったか気付いたのですね。 「あ、あの切符切りの駅員さんが、毎日毎日ああして暮らしていると、毎月ちゃんと給料を貰え、そして人生の総仕上げには退職金も恩給もつくのか。ああやって毎日を『しっかり』生きていけるって実はすごいことなんじゃないか」って。 中卒で土方をやっている人間が、毎朝ちゃんと起きて現場に行くのって、実は大学で毎日うだうだと暮らしたり、フリーターとか称してダラダラ生きてる人間に比べはるかに立派なんですよね。 昔の丁稚奉公や職人の修行ってのが、技術を教えるより、まず生活習慣の修行であったことがとても意義深いものなんだって気付かされます。 回答ありがとうございました