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その確率は非常に高いでしょう。
ただ、誤解があるといけませんから2つの視点で私の考えを述べてみたいと思います。
<第1>
まず、「人を不幸にする(してしまう)」から「自分も自然にいつか不幸になる」という、「原因・結果」の関係ではありません。
「人を不幸にする」ということ自体がすでに「自分の不幸」なのです。
他人を不幸にすることで得られると考えられる代償は、多くの場合自分の幸福でしょう。
しかし、冷静に考えてみればわかりますが、「他人を不幸にしなければ得られない幸福」は偽物と言えるでしょう。
なぜなら、(恐らく)一時の感情に溺れて、不幸にした他人は自分と同じ人間であるということを忘れているからです。
つまり、「人間は人間を不幸にすることができる」という証明を自らしてしまうことになるわけですから、自分も他人からそのような仕打ちを受けるかもしれないと、【実感を持って】感じ続けなければならなくなるからです。
無意識上とはいえ、このような認識を持ち続けなければならないのは、不幸以外のなにものでもないでしょう。
その不幸をわざわざ自ら作り出すという意味で、「人を不幸にした瞬間自分も不幸になっている」ということが論理的に言えるでしょう。
<第2>
人を不幸にして自分の幸せを得たつもりでいる人は、多くの場合、上で述べたようなことに気付いていません。
つまり、『非常に大切なことを正しく判断する能力に欠けている』ということが言えます。
このような思考形態しか持ち得ない人が、その後の人生で幸せをつかむのは相当難しいのではないでしょうか。
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ただ、全く人を不幸にすることなく人生を送っている人は稀でしょう。
大事な事は、気がつく謙虚さと謝罪する勇気を持つことだろうと自戒を込めて思うわけです。