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己の刻

江戸時代に使っていた "巳の刻" などという呼び方は 太陰暦の時間の読みでしょうか? また中国もそうだったのでしょうか

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  • eqw-102
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回答No.2

これは、時刻と言うより方位 (角度)を表示する物です。 十二支自体が中国から輸入された物で、 竜、羊などは中国や、大陸系のものです。 太陽は、1時間に約15度移動します。 12/360=30(度) 12支では、2時間と言う、大雑把なものです。 犬猪の方位(犬と、猪の間)と言う呼び方もあり、 実際には、相当細かく分けたようです。 一刻を4分割し、ひとつ、ふたつと呼びました。 草木も眠る丑三つ時は、 牛(2時)+3つ=3時半になります。 太陰暦も、天文学の輸入で、 太陽の運行で補正を加えるようになります。 (太陽太陰暦) 彼岸の中日は、春分の日、秋分の日です。 旧正月は、春、農家が田植えの準備(田起こし)をする前(1月29日)です。 この頃から、梅の木も咲き始め、忙しくなります。 迎春ですね。 更に、1の日の海の満ち引きも必ず一緒なので、 漁師、海運にも持って来いだった訳です。

Jun2005
質問者

お礼

早速のご返事ありがとうございます とても参考になりました

その他の回答 (1)

  • Jodie0625
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回答No.1

時刻の呼び方には、中国から伝わった十二支と延喜式の二通りあり、太陰暦が太陽暦になるまでの間使われていました。中国でも十二支を使った制度があったようです。 http://www.geocities.jp/afi_651/japantime.html

Jun2005
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございました とても参考になりました

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