こんばんは
中国軍の参戦時期の誤解については、#2さんご指摘の通りです。
「中国の国連加盟」案については、そのような「案」は確かにあったようです。しかし、1951.6.13付の「毛沢東→高崗(毛沢東側近、中国東北部指導者)および金日成」宛の電報では、下記のように言っています。
「中国の国連加盟問題については、中国が、国連は事実上侵略の道具となっていると言っているため、条件としてこの問題を提議することはできないと考えている。このため、中国は、現在、国連加盟問題に特別な意味を与えていない」
中国としては、ほとんど問題にしていないと思えます。
>中国側が撤退をしたくないので
中国(毛沢東)としては、できるだけ戦争を長引かせたかったのは事実です。その理由は、戦争継続を口実にして、軍近代化のためソ連から武器・海空軍建設・軍需工場建設など(原爆技術も含め)様々な援助を最大限引き出すことがありました。
またソ連に代わって戦争の主導権を握ることによって、ソ連に対しての立場、アジアにおける共産主義国としての力を誇示しようとしたことがあるでしょう。(すでにスターリンと毛沢東は、対立関係に入っています。スターリンは毛沢東が「第二のチトー」になることを恐れていたと言われています。)
なお、休戦交渉の議題は、38度線を休戦ラインとすること、中立地帯の設定について、休戦監視などについては早期に合意をみます。最後まで(1年半)もめたのは「捕虜の帰国問題」でした。中国軍捕虜2万余のほとんどは「旧国民党軍兵士」でした。もともと毛沢東が送り込んだ「義勇軍」には多くの旧国民党兵士がおり、ある意味では「邪魔者を始末する」戦争でもあったわけです。その捕虜の送還(帰国)については、アメリカは「帰国するかしないかは本人の希望にそって」実施する方針でしたが、中国は頑なに「全員の一括送還」を要求しました。(結果的に、捕虜のうち2/3は、共産主義中国ではなく台湾に向かいます。中共にもどった人たちはほとんどが厳しい迫害にさらされます。)
余談が長くなりました、ご参考までに。失礼します。
お礼
そう言う事だったんですか。なるほど納得。 戦争の前に色んな国の勉強が先ですね・・・ どうもありがとうございました^^