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中国と日本の国連加盟の関係
中学の授業で、先日 「日ソ共同宣言が出され、日本は国連加盟を果たした。」 というものを習いました。また、同時に 「中国(中華人民共和国)とは、国と国との正式な関係がないまま続いた。」 というものも習いました。 社会の担当の先生が、質問に答える形式で授業を進めていくことをやっているので、 (説明しづらいのですが) 僕は 「中国とも国交がなかったのなら、どうして中国は国連加盟に反対しなかったのか?中国も拒否権をもっているはずでは?」 という質問をしました。 それに対し先生の答えは、「おそらく、中国(あえて区別するために:中華人民共和国)は国連の会議に招かれていなかったのではないか。それなら、反対しないことも説明がつく。」でした。 その時は少しもやっとしながらも、多少納得し歴史の授業は進んでいきました。 そして先日、日中平和友好条約のページに、世界の動きという年表があり、その中に 年号があやふやなのですが・・・・ 1960 中国 国連代表権 復活 のようなことが書いてありました。 (教科書は 東京書籍です、現在中二のため、17年度版だと思います) つまり、それまでは ・中国に代表権が無く、常任理事国は4カ国だった。 ・したがって拒否権もないので、日本の国連加盟に口出しは出来なかった。 だった、ということになります。 質問1.この推測は正しいですか? (質問1が正しいという前提になってしまうのですが) 国際連合発足当初、中華民国が国連の代表でしたが、 質問2.この日本国連加盟の時、既に中華民国ではなく中華人民共和国が代表となっているのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
中国は清朝政府のあと中華民国できます。国際連合できたのは第2次世界大戦後(1945年)ですが、そのときの5常任理事国は中国、アメリカ、ソビエト連邦、イギリス、フランスです。中国は中華民国政府が代表しました。 その後中国大陸では中華人民共和国が成立(1949年)、台湾に逃亡した国民党政府は中国代表と言い張ります。両国とも中国は1つで一致していました。 国連でも常任理事国は中華人民共和国政府ではないかという声はあったが、それは米国や日本の妨害工作で遅延、1971年に中国政府が代表になりました。その時点では日本と中国の国交はありません。 国連発足のときは中華民国政府が常任理事国代表、日本加盟のときも中華民国です。中国(中華人民共和国)は国連に入っていない。
その他の回答 (1)
A1.正しくない。日本が国連入りした当時の常任理事国は、中華民国(台湾)を含めて5カ国。 1945年の国連発足当時は中華民国が中国だったが、中国内戦で台湾に逃亡後も中国として扱われた。 A2.答えが重なるが中華民国 中華人民共和国が中国を代表する唯一の政府として国連に迎えられたのは1971年です。(1960年という記述は??です)同時に台湾は国連から追放されました。
お礼
ありがとうございました。 日本加盟時は中華民国が国連の代表だったのですね。 わかりました。
補足
申し訳ありません。1960年ではなく、1971年の誤りでした。失礼しました。 どちらの方の答えも自分に理解できる簡潔でわかりやすい質問でした。 そろそろ締め切りをさせていただきます。回答、ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 中華民国が1971年に中華人民共和国政府が代わるまで国連の代表を務めていたと言うことですね。納得がいきました。