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作詞してます。「零れ出(い)で」という表現について
僕は現在中(3)で、作詞&作曲をしています。 その中で、 「零れ出(い)だ泪に真っ白な栗の花が匂う此の季節」 という部分を作ったのですが、 多分「零れ出(い)だ」って正しい表現ではないと思うんです。 この部分は、東京事変の「修羅場」という曲の 「喉を使えば貴方が零れ出で溢れよう」という所からインスパイアされたのですが、 「零れ出で」を過去形にして「零れ出(い)だ」と出来るのでしょうか。 くどいですが、これって多分正しい表現ではないですよね・・・。 では、これが間違っているとしたら、どのような言葉が相応しいですか。 ちなみに「出(い)」という文字は必ず使って表現したいです。 どのような表現が相応しいか、是非ご回答下さい。 何卒、よろしくお願い致します。
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#8です。 「零れ出でし泪に真っ白な栗の花が匂う此の季節」が成立しない所以を説いておきましょう。 まず注目すべきは「この」という近称。「その」でも「あの」でもなく「この」であるから、「此の季節」は発話者にとっての今此処、現在です。 それは「匂う」を「にほひし」と置くことが不可能であると、まともな語感の持ち主なら感じることからも分かるはずです。 そして「此の季節」にはその前ぜんぶが掛かっています。涙がこぼれるのも栗の花が臭うのも、「此の季節」すなわち現在においてたぶん同時的に起きています。ですから「零れいづる泪」はOK。 二つの事象、落涙と匂いの感知とがが同時にではなく近接もしくは重複して継起するものと取るならどうかと言うと、これもとくに細工は要りません。 現代語で例を挙げるなら「朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、学校へと向かった。」などという言い方からも即座に分かるように、語順が出来事の順序をそのまま表すからです。 しかし、助動詞を用いて二つの事象が継起する順序を明確にすることはできます。涙が落ちる、拭われも吸われもせずにそこに水滴として残っている、そこへ栗の花の臭いがかぶさる、ということなら、どの助動詞を選ぶかと言えば「たり」です。 「たり」は「動作・作用が終わってその結果が存在している意を表す」と旺文社古語辞典にあります。まさにこれがぴったりです。よって「零れ出でたる」も可。また「たり」をその末裔である「た」に差し替えても許されるでしょう。 で本題の「零れ出でし泪」がなぜ駄目か、です。「し」は連体形で終止形は「き」です。「き」は過去の助動詞だと言うではないか。栗の花の臭いに鼻を撃たれる以前に遡るために用いていいのではないか。とchikkun05さんはおっしゃるかもしれない。 駄目です。「き」を過去の助動詞と呼んではいかにもミスリーディングであるから「回想」の助動詞と呼ぶべきだ、とも言われます。「き」によって表されるのは、いいですか、ここがポイントです、「記憶の中にあること」なのです。 記憶の中にあることは当然ながら過去のことです。だから過去の助動詞と読んでもあながち間違いとは言えないのだけど、いま眼前で次々に継起してゆく事象ですでに終わったことは、過去のことでしょうか。違います。 現在とは厳密に言えば点であり瞬く間に過去へ送り込まれ逃れさります。認識においては現在は近過去でしかありえません。今ここへと至るひとつながりの事象が継起した時間を現在として扱うことになります。そうするしかありません。 「零れ出でし泪」などと言ってしまったら、それは目の前でついさっき起こったことではない、ということを表現してしまうのです。それは記憶の中にあること、いつか昔にそんなことがあった、と言うことになるのです。それがあなたの言おうとするところですか。涙は目の前にあるんでしょ。 これでもまだ先生がそう言ったんだもん、で済ませますか。自分の頭で考えなさい。それができないうちはこういう大人のための場所に出てきてはいけません。 余計なことながら#11の回答部分は倒錯してませんか? 口語の「た」はぜんぜん厄介じゃありますまい。厄介なのは現在にカウンターパートを持たない古語でしょう。「き」や「けり」やがちっとやそっとじゃ理解できないという。 なにしろ我々にとって古文は読めればいいので書く必要はありませんから。まあ読んでいるうちに大体はおのずと書けるようになってしまいますが。
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- mannequincat
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もう一度#12を読み直してごらん、としか答えようはない。見ず知らずのもんにあんまり甘えなさんな。
お礼
考えた結果、 「零れ出づる泪に」に決定いたしました。 ご回答、ありがとうございました。
- kogotokaubewe
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以下は回答です。 「中(3)」ということですから、この時期ともなれば口語文法は、ほぼ一通り学習されていることと思います。よって、(学校文法では)助動詞の「た」は、過去・完了・存続の3通りの用法があるとされているのはご存じだと思います。 しかし、この「国語」のカテゴリーでも「た」は過去の助動詞だという限定的な思い込みからくる質問、あるいはそれに対する的はずれな回答が散見されます。「た」はそれほどやっかいな助動詞といえます。 まもなく、高校に進学されると、文語文法を学習することになりますが、口語の「た」が持つ意味を担う助動詞として、 「き」・「けり」(過去) 「つ」・「ぬ」(完了・強意) 「たり」・「り」(完了・存続) の6つがあります。しかも「き」と「けり」には、明確な使い分けがあり(時代が下がるほど、その使い分けに無頓着な文章も多くなりますが)、「つ」と「ぬ」の間にも微妙な用法の違いがあります。まだ中学生のあなたがこれらをご存じないとしてもそれは当然のことですし、今回の件で質問なさった国語の先生にお尋ねになれば、そのあたりを詳しく解説してくださることと思います。 まず、こういった知識を身につけ、さらに、実際に幾多の用例に当たって語感の理解を確かなものにする、その上で作詞に臨む、そういうステップが必要ではないか、そう申し上げたいのです。ご理解いただけないでしょうか。
お礼
ご回答、ありがとうございました!
- mannequincat
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ぶー。「こぼれいでし」こそが誤りなのでした。
お礼
国語の先生にもあっていると言われたので、 確かです。 零れ出でしは間違っていません。 あなたが間違っているのです。
- kogotokaubewe
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お尋ねの件に関しては、「零れ出だ」は明らかに誤った言い方で、他の方がおっしゃっているように「零れ出づる」「零れ出でし」あるいは「零れ出でたる」などとすべきです。 ただ、「零れ出だ」が正しい表現ではないとお感じなので、それなりの言語感覚はお持ちだとは思いますが、他人に頼らなければ正しい言い方が分からない状態で、文語表現を口語の中で使いこなそうとするのは無謀だと(私も)思います。(前回の質問でも同様の意見があったと記憶しています。) たとえば、先に挙げた「零れ出づる」」「零れ出でし」「零れ出でたる」、さらには口語を交えた「零れ出でた」という表現の違いがきちんと認識できるようになってからでないと、自分のこの作品の中ではこの言い方でなければならない、という判断ができないと思うのです。 文語を交えて歌詞を書く、とある有名歌手がいて、私もそのファンの一人なのですが、文語の部分に文法的誤りがあると、曲調からそういう言い回しになる必然性は理解できる場合でも、私はやはり看過できず、画竜点睛を欠く思いを抱いてしまいます。そのくらいの厳しさを持っていてもいいのではないかと思います。 現状では、 > もし、その簡単に真似出来ないような歌詞を真似できたとしたら・・・ というのは、まったくの僥倖(ぎょうこう)でしかなく、顰(ひそ)みに倣(なら)うことになってしまうのがオチでしょう。 なお、老婆心ながら、「自慢」という語は形容動詞として使えるか、「並大抵」という語はどういう言い回しをするのかを辞書で確認されることをお勧めします。「確信犯だ」とおっしゃるのなら、何をか言わんやですが。
お礼
ご回答ありがとうございました。 僕は、あなたが僕に対して、指摘してくださった部分の事に対しては、 指摘してくださってうれしい反面、 その部分は会話文的な感覚で打った文でしたので、別にイイぢゃん。って感じです。 それに、たとえば、人との会話中に 「それはまったくの僥倖(ぎょうこう)でしかなく、顰(ひそ)みに倣(なら)うことになってしまうのがオチでしょう。」なんていちいち言ってたら自分も疲れるし、相手だって「マジ、意味不~。」ってな感じで嫌な気分になるじゃないですか(爆笑) 確かに僕の勉強不足もありますが、 例え、他人に聞いたとしても、その聞いた言葉を正しく使えれば、いいと思います。 ってか、他人にわからない事を聞いて何が悪いんですか。 第一、このサイトは、わからない事を、質問して、わかっている人に答えてもらうものじゃないですか。 それに、難しい文語調の言葉だけ並べて、全くの意味が無いよりかは、 ちゃんとそれなりの意味があって、 例えば、バンド「東京事変」の「修羅場」という曲では、すさまじいダブル・ミーニングが使われていたり、↓(下記URL参照) http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1930503 まぁ、修羅場の場合はちゃんと、難しい日本語を使いこなしていますが。 ようは、難しい言葉だけが必ずしも言いという訳ではありません。 あくまで、僕としての考えですが。 長々と書いてしまいました。 重ねて御礼申し上げます。 ご回答、ありがとうございました(*^^)v
補足
下のお礼の文章の中で、 URLの記載が間違っていました。 正しくは、http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1774918です。 失礼致しました。
- macbain
- ベストアンサー率37% (147/391)
私は知らないのですがその「修羅場」という曲ではこの歌詞をなんと歌っている(発音している・読んでいる)のでしょうか? 「零れ(る)}は普通は「こぼれる」と読みますので「零れ出で」は「こぼれいで」であり、過去形にするのであれば当然に「こぼれいでた(零れ出でた)」が正しく、「こぼれいだ」とは言いません。 「零れる」に私の知らない別の読み方があるのであれば別ですが、ちょっと手元の辞書を見てもわかりませんでした。
お礼
「のどをつかえばあなたがこぼれいであふれよう」と歌っています。 とても、奥が深い歌詞ですよね~ ご回答、ありがとうございました(*^^)v
- luune21
- ベストアンサー率45% (747/1633)
「出づ」は下二段活用ですから連用形は「出で」になります。 したがって「零れ出で溢れよう」は正しい表現です。 「泪」にかかるのでしたら連体形になります。 したがって「零れ出づる涙」となるでしょう。さらに現代カナ使いにして「零れ出ずる涙」とするのが一般的ですね。 「生まれ出ずる悩み」、「日出ずる処の天使」と同様です。
お礼
ご回答、ありがとうございました(*^^)v
- boxwood17
- ベストアンサー率41% (107/256)
修羅場の歌詞は文語(古典)表現が使われていますので、 「零れ出で」は「零る(あふる)」という動詞と「出づ(いづ)」 という動詞がくっついたものと考えていいでしょう。 ですので、「零れ出で」の基本形は「零れ出づ」となります。 「出づ」は下二段活用という語尾変化をします。下二段活用とは、 「出づ」を例にとりますと、 未然形→出で 連用形→出で 終止形→出づ 連体形→出づる 已然形→出づれ 命令形→出でよ という語尾変化になります。 質問者様の作詞した歌詞のフレーズ 「零れ出だ泪に真っ白な栗の花が匂う此の季節」ですと 「零れ出づ」が「泪」という名詞(名詞のことを体言と言います)に 連なって使われるので、連体形(体言に連なる形)をとる ことになります。 よって、「零れ出づ」という文語的表現をあえて使うならば 「零れ出づる泪」にするのが正しいと思われます。 これは文語の現在形の表現です。 さらに、「零れ出づ」を過去形にしたい場合は、過去の助動詞 である「き」をつけなければいけません。 助動詞の「き」は特殊な活用(語尾変化)をします。 未然形→(せ) 連用形→× 終止形→き 連体形→し 已然形→しか 命令形→× (×のところは変化形がなしということです) そして「き」の前にある動詞は連用形になりますので、 「零れ出づ」の連用形「零れ出で」に連なり「零れ出でき」 という基本形になります。それが「泪」という体言に連なり ますので、連体形をとり、「零れ出でし泪」という形になります。 もし口語(現代語)表現にするならば、現在形ならば「零れ出(で)る泪」、 過去形ならば「零れ出(で)た泪」になります。 ※ちなみに「修羅場」の歌詞では、「溢る」という動詞(動詞は用言と言います) に連なるので、連用形(用言に連なる形)をとりますから、 「零れ出で」という形になります。 かなりややこしい説明になったかと思いますが、高校に 入学すれば「古典」という授業で勉強すると思います。 もしこの説明でわかりにくければ、学校の国語の先生に 説明をしてもらってもいいかもしれませんね。
お礼
とてもわかりやすくて詳しい説明ありがとうございます。 とても参考になりました。 僕も、もっと勉強して、日本語を知るように努力します。 高校に入ったら、あなた様が仰るように、 古典をたくさん学んで、先生に聞いたりして、 がんばります。 重ねてお礼申し上げます。 ご回答、ありがとうございました(*^^)v
補足
あなたの回答、とても参考になりました。 ですが、さらに質問です。 結果的には、どの表現が相応しいのでしょうか。 相応しい例を全部書いていただけますか。 何度も質問、ごめんなさい。 よろしく御願いいたします。