兵( つわもの ) どもが夢の跡
東北道をひた走り宮城・岩手県境を越えて尚も北上すると、やがて進行方向右前方に衣川古戦場跡という看板が目に飛び込んで来ます。
御存じ若き源義経が自刃して果てた地ですが、その後数百年を経て平泉に立ち寄った松尾芭蕉が、義経そして奥州藤原氏100年の栄華を偲び、掲題の結句を含む余りにも有名な句を詠む事となります。
いつの時代も夢の跡には事欠かない、例えばスケールこそ遥かに落ちるものの、かつて単純労働力の一大供給基地として、それ以上に寄せ場・ドヤ街として名を馳せた山谷なんかそうではないでしょうか。
その名称が地図から消えて久しい山谷、漫画 『 あしたのジョー 』 の丹下拳闘ジムが存在した泪橋は、今現在交差点の名称としてのみその名を留め、岡林信康の 「 山谷ブルース 」に歌われた朝晩の風景は今はもう跡形もないようです。
その一方で安宿が集う風景こそ相も変わらずですが、主役の座は安価な宿を目指して集う国内外の旅行者へと移り行きつつあるらしい、これはもうしょうがない全ては時の流れですから・・。
かつての山谷の賑わいの主役達は、昭和中期以降の高度経済成長を肉体で支えた方々でした、その多くは地方出身者 ( 特に東北地方からの出稼ぎ ) であったと聞き及びますが、酒に溺れたのか或いは博奕に走ったのか・・、それ以外の止むに止まれぬ何かがあったのか。
何れにしても故郷に帰れない理由があったのでしょう、言わば高度経済成長の陰に咲いた徒花という事であったのかも知れません。
さて皆様が考える 「 兵( つわもの ) どもが夢の跡 」・・がありましたら、お聞かせ下さい。
お礼
参考になりました。 ありがとうございました。