個人的な精神についての考えをとの事のようですので、
そのように割り切って回答させて頂きます。
思うに、「精神」と「肉体」が別に存在できるものであるとするならば、
いわゆる宗教でいわれるところの「霊魂」の話に自然と向かってしまうと思うのですが。
個人的には、いろいろな宗教で言われるところの、「霊魂」としての「精神」というものに関しましては、僕は信じることができません。
いわゆる肉体なしに存在する「精神」ってやつですね。
つまり、僕は「幽体離脱」などしたことはありませんし、その他の宗教的奇跡体験も、生まれ変わりもしたことがないので、信じるにおいて証拠が足りなすぎるからです。
このような僕が体験していることとしては、いわゆる「心ここにあらず」って状態ですか?
何かを一生懸命しながら、別の事を考えてどちらにも支障のない状態。
これなら体験したことがあります。
これは、習慣的動作もしくは日常業務的な手慣れた作業を行っている状態のときに、体験することが多いように思えます。
これを、肉体と精神の分離状態とするにはやや無理があるかと思われます。
要するに手慣れた作業であるがゆえに、他の事を考える余裕があるからに他ならないのではないかと思うからです。
また、いわゆる、トランス状態もしくはナチュラル・ハイな状態においても、別に神が降りてくるわけではなく、脳内麻薬の影響の結果ではなかろうかと思ってしまいます。
では、次に「病は気から。」ってアレです。
確かに気持ちが張っているときには病気をしません。
で、気持ちが弱っているときには、簡単に病気をします。
これを、精神がおよぼす肉体への影響とすることも可能なんでしょうが、
どうなんでしょう?
いわゆる宗教的な奇跡体験とかとはちょっと違うんではなかろうかと思います。超越的奇跡体験ってやつです。
体内のホルモンバランスが崩れると精神のバランスが崩れるとか、
また、その逆とかがあるのは臨床的に証明されているようで、
ある程度までならば、人間は気のもちようで病気を治せるようです。
プラシーボ効果ってやつです。
これは体内の自己治癒能力(免疫能力)の結果であります。
特別に精神の力ってやつではありません。
で、考えられるこれらの材料ではいわゆる「霊魂」を信じるわけにはいきません。
また、個人的には、宗教などで説かれる精神について、また霊魂及び神仏の話については、すべて「よりよく生きていきましょう」と言わんが為の例え話だと思っております。なにも、それらが実在するなどという話ではないと思うのです。
以上のことから、僕は、「精神」というものがあるとすればそれは肉体に附随する幻想ではなかろうか?「精神」は「肉体」の反応の集積がもたらした脳に蓄積された反応の総体では?などと考える次第です。
あくまでも、仮定の話ですので、抽象に過ぎたかもしれませんが、御参考になりましたら。
補足
肉体を動かす原動力って具体的に何なのでしょう・・・自分考えてみましたがやっぱり解りません。mimosa2001さんはお答えをお持ちだったりしますか?