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信長公記の信頼性について、そして。。。

ええ 私という人って戦国時代については、いつも「信長公記」が最高に良さの史料と思っていました。「戦国時代について、もっとも信頼性ある資料と言われる信長公記によると。。。」って文章ならみんなさん、よく聞くことがあるんでしょう だが、近頃ショックを受けることがありました。ある方がこれようにおっしゃいましたから。 「信長公記」なんて、あくまでも三次史料ばかり! ああ 私はこの時、何でも分からない気持になって、バーかとなる気がしました 詳しくは私もちょっとですが、 それが本当なら戦国時代についてもっとも信頼性ある史料ということはなんですか

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  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.2

>もっとも信頼性のある史料 ですからそれを吟味するのが学問というものです。#1さんの挙げておられる当時の手紙にしても、 1.それは真筆か 2.どういう状況の下で書かれたか 3.それを書いた人の立場はどうか などが、考慮されないとそこに書いてある事がそのまま事実だという事にはならないわけです。 本当に人に見られて困るものは書き残さないかもしれません。ある人物を褒める文書があっても、それが読まれる事を期待した文書だと筆者が本当に褒めているのかそれともそういう態度をとっていただけかはわかりません。 また一般論のような文章があったとして、それが実際にどの程度時代的、地域的な広がりを持っているかは検証の余地があります。 一例を挙げると。網野善彦さんの研究にあるのですが「百姓」ということばがありますが、これが実は必ずしも農民をさしていないことがあります。ところが文書で百姓とあればすべて農民、と解釈すると当然ながらその時代の農業人口や経済力などを見誤る事になります。 史料というのはそのようなものなんです。 なお、質問の文章ですが少々日本語としてはおかしい表現があります。お節介かもしれませんが一応直しておきますね。 ええ(というのは普通この種の文章の中では使わないので削除した方が) 私という人って→私は  良さの→良い  みんなさん→皆さん あるんでしょう→あるでしょう  だが(このままでも悪くはないが、文体からいうと「ですが」の方が良いでしょう) これようにおっさいましたから→こうおっしゃったのです ああ(これも文中では使わないのが普通なので削除) 私は~しました→私はこの時何もわからなくなったような気がしました ちょっとですが→ちょっとわかりませんが 史料ということはなんですか→史料はなんでしょうか というように直された方がよろしいかと。

ressise
質問者

お礼

はい そうです 日本人はいませんが。 直しにもまことにありがとうございます

その他の回答 (4)

  • GuiZhi
  • ベストアンサー率20% (5/25)
回答No.5

こういう研究って面白いですね。他の方もご指摘の通り、資料には目的や経緯があります。事実は1つしかありませんが、真実は視点の数だけ存在するのではないでしょうか。 信長公記は信長の立場で記載をしているので、信長に敗れた敵側の情報は適切か、判断できません。信長公記が貴重な資料だとしても裏が取れなければ、信憑性は低いものという形で進めなければ、事実を追求する立場としては、誤認するかもしれません。 面白いのは、当時の日本人が話していた言葉やその意味は、日本の資料より実は日葡辞典の方が誤差が少なく、網羅性があったりします。意味が自明の事として言葉を利用している日本人は説明の必要がないからです。こう言った例のように一見2次資料でも客観性のあるものや有効なものはたくさんあります。信長公記の中でも、当時の人々の風俗などは信長公のために特別創作する必要はありません。3次資料だったとしても十分通じる貴重な資料です。 結局、遠回りするようでも、目的に応じた色々な資料を眺めて、比較するというのが、一番信頼性を担保しやすいと思われます。

ressise
質問者

お礼

まことにありがとうございます

  • jk7
  • ベストアンサー率18% (46/247)
回答No.4

最も信頼性のある史料は、古文書です。 『信長公記』のすべてが信頼出来るかと言えば、そんなことはありませんが、太田牛一という作者の立場、編纂年代などを考えた場合、多少信長贔屓の文面があったとしても、信長の立場からみた歴史と考えれば信憑性の高い史料だと思います。 『信長公記』が「三次史料ばかり」というのは、その人の研究においては三次史料と言うことでしょう。同じ史料でも観点によっては、一次史料にも三次史料にもなるのです。 例えば、古文書で感状の写しが残っていますよね。はっきり言って感状の写しは、偽文書である可能性が大きいです。自分の家柄を誇るために偽造されたと考えられるからです。しかし、感状に関わる研究をしている人にとっては、この偽文書ですら一次史料になるのです。

ressise
質問者

お礼

まことにありがとうございます

  • mn214
  • ベストアンサー率23% (306/1302)
回答No.3

昔の史料に関して果たしてどれほど正確か?ということに関しては、後世の人間には全く判断できないことかと思います。 何故なら、『信長公記』はあくまでも信長を主人公としており、信長を正当化する目的で記された書物である筈であって、信長側の見方で当時の情勢を記している訳であって相手側の見方はされていない筈です。 例えば『徳川実記』では徳川家を主人公にして記されている訳で、このようなことはどの史料にも言えることなので、同時代の多くの立場で記されたたくさんの史料を判断しない限り“当時の真実はこれだ”という結論は出ないと思います。 しかしながら、実際には歴史を積み重ねて残っていくのは勝者側の言い分だけであって、敗者の言い分は歴史から抹殺されていくのが常ですから、現在我々の知り得る歴史は正確なものだとは断定できないのが実状ですね。

ressise
質問者

お礼

まことにありがとうございます

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

そういう風に言えば残された手紙などしか確実な史料はないでしょう。

ressise
質問者

お礼

まことにありがとうございます

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