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1人称・2人称・3人称の死について

心理とは少しずれるかもしれませんがお許し下さい。 よく死生学系の本を読むと「○○人称の死」という言葉を見かけますが、これは誰が一番始めに提唱したのでしょうか?また、「○○人称の死」を総称(?)すると何というのでしょうか? ご存じでしたら宜しくお願いいたします。

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回答No.1

こんばんは。 > 1人称・2人称・3人称の死 「(生命)倫理学」「死生学」「哲学」「社会学」「宗教学」 など哲学・倫理学系の分野の用語なので、 「心理学」カテゴリでは回答にはつらい質問かな、と思います。 ここのサイトですと「哲学」に質問カテゴリを変更すると、 もしかしたら専門家の方がいらっしゃるかもしれません。 管理側にカテゴリ変更の依頼を出されてはいかがでしょうか? (私もご質問の用語について詳しくは知りませんし、  別カテゴリで専門家の方々から詳しく説明していただいたほうが  ageha19さんにとっても、良いのではないかということで)

ageha19
質問者

お礼

「哲学」カテだったんですね!教えて下さりありがとうございました!そちらの方で質問してみようと思います!!

その他の回答 (1)

  • taked4700
  • ベストアンサー率37% (777/2050)
回答No.2

googleで引くと、次のような記事が見つかりました。 第三人称の死、第二人称の死、第一人称の死(ジャンケレヴィッチ)  第三人称の死──死一般、抽象的で顔をもたない無名の死。客観的な分析の対象。非人格的であり、非時間的である。  第二人称の死──近親の死、そこでは我々は死と差し向かいの状態で残される。愛する存在の喪失、心を裂くような悲しみ。この特質は現在である。  第一人称の死──未来。私の死は、わたしにとってすべての終末、私個人の実存在の決定的な全的終末であり、全宇宙の終末、世界の終末であり、歴史の終末だ。しかし、私が死んでも、世界はいわば微動だにせずに続いている。自分自身の死の客観的な無意味さ。  死をみとることは戦慄を呼び起こす。人間は決してそれに慣れることはできない。それがいかに日常的なごく正常な出来事であるにせよ。 よって、ジャンケレヴィッチと言う人が提唱したのでしょう。 また、総称は単に「死」でいいのではないでしょうか。

ageha19
質問者

お礼

「ジャンケレヴィッチ」ですね!その線で色々と検索をかけたら色々と出てきました!! 哲学カテでも質問してみようと思います!ありがとうございました!!

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