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「存在すること」とはどうということか
世の中には色々な物があります。ペン、机、細胞、宇宙、遺伝子…。世の中には色々な心があります。怒り、悲しみ、喜び…。それは存在でしょうか。いや、存在の程度の問題でしょう。なにか、その核となる成分があり、それによって構成されるもの、それが世に言う「「物」「心」という存在」に当たるのではないでしょうか。一見、あり得ないことのように見えても、少し回り道して考えれば「理解」できると思います。世の中は全てが均衡に、等しいものです。それらのバランスの元にさらに「存在する」「存在しない」があり、それがいわば「神の創った世界」です。なにか、ご意見・ご感想等ありましたらお寄せください。
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noname#44432
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noname#17872
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補足
現世が存在するか否かという話は別にして、実際僕も、この説明が正しいのかは分かりません。ただ、あなたの仰る事が、少なくとも僕の説明よりも浅いものであることは分かります。例えば、 >この世に「在る」ものが在るのはそのもの自体が「在る」ために互いに「在る」を必要とするから在るのではないでしょうか? これは非常に抽象的ですよね。必要とは何なのか、もっと奥深くではどうなのか、そういうものがはっきりしていません。でもこれを無理やり解釈すると、僕の説明と一致するものと考えられます。「必要があるからだ」→「その必要なものの相互関係はどうなのか」→「互いに等しいからではないか」→「それはいわば存在のバランスだ」→「存在とは個々のものか、それとも核のある程度のものなのか」→「個々のものとしても説明はつくが、そのもう一つ奥までいくと「事実的要素」「精神的要素」が両存するものではないのか。→「愛と能力」、「自由と束縛」、それらの相互関係に等しいのではないか。 神はいないというのも、やはりあなたの固定観念ではないでしょうか。それは決して分からないんですから。まあ、あくまでも「そんな気がする」だけなんですけどね。