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世紀末美術
ヨーロッパの19世紀末美術に興味があるのですが、 なぜこの頃は退廃的だといわれているのでしょうか? ただ単に終末思想からきているのでしょうか? 当時は産業革命があったり、科学・医学も発展し、 退廃的な美術が流行るとは考えにくいのですが・・・・。 また、性的・エロティックな絵画が 当時批判されたのは何故でしょうか?(クリムトなど) 女性の性をテーマにすることがタブーであったならば その理由も聞きたいです。 よろしくお願いします。
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- zephyrus
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簡潔に回答する自信がなくためらっていました。えい、やっ、で、はしょって書きますのでそのおつもりで。 世紀末芸術とは大袈裟に言えばヨーロッパ文明に対する内部からの反逆であり、直接には近代に対する批判なのです。世紀末芸術とひと括りにされるものの中にはさまざまな流派があり、またそれは絵画、造形美術はもとより音楽、文学に及ぶ広範大規模な芸術運動でした。 文明には必ず光と影があります。ひとつだけ例を挙げますと、産業革命とは大量に安価に商品が作り出されたということであり、それを売りさばきに持ちこんだ先(例えばインド、ムガール帝国)では地場産業の崩壊をもたらし、社会構造の激変を生み、それはすぐさま周辺地域(例えばイスラム圏、オスマン・トルコ)へ波及します。 けれども、もちろんその前に自国に深刻な構造変動が起きているわけです。これ一つをとっても、いわば恐るべき活性酸素なのです。(この辺、長くなるので省略します) 普仏戦争終結(1871年)から第一次世界大戦勃発(1914年)までは珍しく西ヨーロッパに平和が訪れた時代で、これを特にベル・エポックと呼んでいます。みずからがもたらした文明を享受し尽くした時代と言っていいかと思います。 こういう西ヨーロッパ人の大多数の感慨とは別に、それを個人的人格の圧迫、個人の自由への抑圧、いわば社会矛盾を感じる少数があって、その彼らが自己表現したものが世紀末芸術であったと、少々乱暴ですがひとまず言うことができるかと思います。 吉田健一は、ヨーロッパ観を一新させた一冊『ヨオロッパの世紀末』第7章目でこんなふうに言っています。 「十九世紀のヨオロッパの愚劣、偽善、粗雑についてここでまた詳しく書くことはない」 「我々は今日ではいわゆる、芸術家なるものが俗世間に敵対し、そうすることがその芸術家なるものの天分によるもののように考えるが、それが最初に起った十九世紀のヨオロッパでの実情は逆であって、この時代の俗世間が正常な頭の持主にとって反発せざるを得ないものだった」 また美術史家ハンス・H・ホーフシュテッターが『象徴主義と世紀末芸術』(種村季弘訳)の冒頭で、特にサンボリズム(象徴主義)に触れ、 「誇張された、攻撃的なアンチ・ブルジョア芸術として、あまつさえときには背徳芸術として成立した」と指摘し、 「サンボリズムは、すでに完結した一時代としてわたしたちの背後にあるのではなくて、現代のまっただなかに屹立している」 と喝破したのは1965年のことでしたが、40年経った今日でもあまり実情は変わらないように思います。 今いちど吉田健一の同書を引くと、 「例えば我々はボオドレエルの詩を読んで涙を流さない。あるいはもし涙が出るならばそれは心が真実に触れたと感じる時のもので流される先に心を潤すはずであるが、十九世紀のヨオロッパでは詩は読んで泣くものだった。そうすれば後腐れがなくて文学、あるいは美、あるいは何かに供物を捧げた後で安心して自分の商売に戻れるからだった」 現在は詩は流行らないから、この「詩」を「小説」あるいは「映画」「漫画」などに置き換えれば、そのまま今日のわれわれの姿になるのではないか。そんな危惧さえ抱きます。 世紀末芸術家たちが好んで取り上げた題材、トリスタン伝説とかサロメとかファム・ファタル(運命の女、罪の女)とか、あるいは錬金術やオカルティズムや神秘学への傾倒、また時代道徳への嘲笑や芸術至上主義は、公序良俗・淳風美俗を建前とする社会では頽廃的と取られても仕方なかったし、現に確かにデカダンと同義でした。 性的な絵画が批判されたということですが、クリムトの絵はしばしばその女性の表情は閨房におけるエクスタシーのそれで、これは今日の風紀でもあまり公然と掲げるものではないでしょう。(光琳派に通じる装飾性がパンフレットなどでは主体にされるのではないですか?) 同性愛は当時では絶対のタブーで、この性癖が表沙汰となった一代の寵児オスカー・ワイルドが一朝にして身を破滅させたことはあまりにも有名です。
文化や技術、思想などの爛熟期であり、過渡期でもあり、新旧が混沌としていたのではないでしょうか。 ニーチェさんなんか「神は死んだ」とまで。 私はよく理解してはいませんが、今までずっとキリスト教でやってきた文化圏で(今も影響は根強いんだろうけど)その発想は、大きな転換だったんだろうと想像します。 退廃を辞書で引いてみたら「風俗・気風がくずれ不健全になること」 国によって若干傾向は違うのでしょうが、パリの美術は華やかで優美で、きらびやかで享楽的で都会的・・・。 ↓ http://www.bunkamura.co.jp/gallery/event/mucha.html 退廃的ではないけれど、印象派もあの時代なのですよね。 新しすぎちゃって、「こんなものが芸術とは認められん。けしからん!」だったのでしょう。 クリムト、シーレ、ビアズレーなどは退廃的な感じがしますが(健康的とは言えないと思う・・・)、不思議な生命力もあります。 ロートレックも酒場・娼婦・夜遊び系(昼間の競馬場の絵なんかもあるけど)で、享楽的ではあるかもしれないけど、エネルギーはありますね。 刹那的ではあるのかもしれませんが。。 アールヌーヴォーのガラスや鉄は加工技術の発達の賜物。 あれも、時として装飾的過ぎて重くなってしまうデザインですが、昆虫や植物、日本趣味の軽やかさなど、生命力を感じされるデザインです。 (芸術というより工芸的か。工房だし) 今見るとなんてことないものでも、当時としてはセンセーショナルだったこともあるんでしょう。 パリに奔放な女性たちがいる一方では、淑女がコルセットを締めてドレスを着ていた時代でもありましたし。
- etwas
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個人的な意見かもしれませんが…。 19世紀のドイツはナチズムが大きな力を持った時期でした。ヒトラーは芸術に興味があったため、自分の気に入った作品を集めました。 その一方で、自分の思想、つまりナチズムに会わない芸術を国民を堕落させる退廃芸術と銘打って追放しました。彼のやり方は徹底しており、1937年には、見せしめ的に退廃芸術展を開いたほどです。 当時の芸術が退廃的というよりも、ナチスの策略で退廃芸術という言葉が普及してしまったのではないでしょうか。芸術的の良し悪しではなく。 現にナチスNo.2のゲーリングは、その機会に押収された芸術品をかき集めています。
> なぜこの頃は退廃的だといわれているのでしょうか? そんなことないと思います。 確かに19世紀末には「デカダン派」が活躍しましたが この時期は他にも象徴主義、アール・ヌーヴォー、ナビ派、分離派など 様々な運動が起こった時期です。 この様な多様化の背景にはヨーロッパにおいて「近代」が浸透した ということが大事だと思います。 > 当時は産業革命があったり、科学・医学も発展し、 > 退廃的な美術が流行るとは考えにくいのですが・・・・。 産業革命や科学の進歩は、それまでの素朴な自然感・道徳感を 揺るがすものであった筈です。 また、科学の進歩から写真などの新しい記録装置が生まれたことは それまでの絵画の存在意義を揺るがした筈です。 さらに19世紀というのは文化の担い手が貴族からブルジョア→大衆へと 大きく変化した時期です。 このような様々な変化が芸術にも多様化をもたらし 新しいものや革命的なものが求められる時代の空気の中で 詩人のボードレールのように退廃的で破滅的な生き方を 美学としてとらえようとする人たちが出てくる一方 それらに嫌悪を示す人も当然出てきて批判をするのも ある意味当然ではないかと思います。