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憲法の保障する権利と公共の福祉について
大峯山の女人結界区域に、女人禁制開放を求める女性活動家3人が 強制的に踏み込んだというニュースを見ました。 うちの地域には、祭りの中で女性の行動が制限されるものがあるので、 こういうトラブルは人事ではない感じです。 憲法第14条で、男女の平等が謳われており、 これを根拠に文化や昔からの風習の中の性差解消を求める声がありますが、 同時に憲法には第12条13条で、「権利の乱用はしてならないこと」 「権利は公共の福祉にのみ利用すること」とあります。 「公共の福祉」の定義がよくわからないので少し調べてみたのですが、 「権利は他人の権利を侵害しない程度に制限される」ということでいいのでしょうか? 例えばうちの地区の祭りの女性の制限をとっぱらうとすると、 祭りのやり方を変えていかなければいけません。 そうしていくと、祭りの質そのものが変わってしまいます。 それを嫌がる人の権利は、憲法では守られるのでしょうか?
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NO1の方が言われるように、憲法と言うものは「国家対一般私人」間に適用されるのが原則です。しかし、一般私人間に適用される場合もあります。例えば、一般企業が定年の年令を男性と女性で区別していて、女性の方が早く定年させられるような社内規定がある場合、最高裁の判例では、これを違憲としています。一方で、同じく一般企業への就職希望者が「共産党員」と言う事だけで不採用とされたことについて、「憲法違反」であると訴えた裁判では、「思想の自由がある一方で、一般企業も一私人であり、営業の自由があるので、ある思想の持ち主を採用しない、とする自由がある」として訴えを棄却した最高裁の判例もあります。 ご質問の「地区のお祭り」と言うものの主体が何かにもよると思いますが、主体が「市町村」等の地方公共団体である場合には、「国家に対するもの」としての考えが準用される可能性が高く、「男女差別はダメだ」とされる可能性も出てきますが、これが「自治会」とか「有志」のように「一般私人」と判断できるレベルだと、その人たちにも「誰をどのように制限するか」の自由があるため、「女性を制限する」としても「憲法違反」とはならない方向になっていきます。女性の行動を一定限度制限している理由は、他に何かないのでしょうか?「女性だと危険だから」等という他の理由があれば、その制限は止むを得ないものとされる可能性もあります。ただ、大相撲の土俵上は女人禁制である等、昔からの伝統ではあるが、現在の価値観からはあまり納得がいかない風習等が、現状では堂々と残っている事も事実ではあります。 「公共の福祉」については、例えば、「幸福追求権」と言う権利が憲法で保障されていますが、あるXという人が「Aと言う奴を殺せば俺は幸せになれる」と思っていても、その幸福追求のために、Aさんを殺せるかと言えば、それは当たり前ですが、許されません。なぜならXに「幸福追求権」が保障されているのと同様に、Aさんにも「幸福追求権等の人権」が保障されているからです。つまり、この場合、AとXの人権同士のぶつかり合いになります。このときに判断基準とされるのが、「公共の福祉」なのです。つまり、「幸福追求権」を行使するのにも、「公共の福祉」にしたがって権利行使しなければならないので、「殺人」を犯してまで「幸福追求権」を行使することは、「公共の福祉」に反し許されない、と言う事になるわけです。
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- businesslawyer
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「公共の福祉」については、前述した「Aさんを殺せば幸せになる云々・・」の事例で示したとおりであり、「思想・信条により就職が不採用になった事例」は、「公共の福祉」とは直接関係が無く、就職希望者側の「思想・信条の自由」と企業側の「営業に自由」(どのような考えをもつ者を採用するかどうかは、営業するその企業の自由である)という「人権同士」の対立であると考えられます。 そして、その判断基準は、「どちらの人権を保護した方が、公平か」であるところ、「個人々々が、どのような思想を持つかは自由である」一方で、そもそも常識的に考えれば、どのような人物を採用するかは、その企業の自由であることは明らかであり、不採用とされたからと言って、「その思想自体を持つな」と言っているわけでは当然無いため、その就職希望者の「思想の自由」を侵害したとは言えず、逆に、もしどのような思想の持ち主でも採用しなければならないとすると、返ってその企業の「営業の自由」を著しく侵害してしまう事が明らかだからだ、と考えられます。 この判断基準の「どちらの人権を保護(優先)させたほうが公平か」という事自体が、「公共の福祉」の一つと考えられなくもありませんが、そうではなくて、この判断基準で判断する時には「公共の福祉に反しないように判断しなければならない」と言う事なのではないかと考えられます。つまり、現在の一般人の通常の価値観の中で、「どのように判断したら公平か?・妥当か?」という事が「公共の福祉」ではないか、と私は考えています。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 どこかのサイトの、「公共の福祉とはぶつかり合う権利を調整するもの」 と書いてあった意味が、ようやく呑み込めてきました。 詳しい解説を本当にありがとうございます。 とてもためになりました。
- jyuzou
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#2ではありませんが、直接回答がないようなので、勝手に補足です。 まず#2さんが挙げている例の事案名 (有名な事件なので、検索をかけるとたくさんヒットします。ご参考までに) ・男女の定年の年齢が問題になった事案:「女子若年定年制事件」 ・思想・信条によって就職不採用になった事案:たぶん「三菱樹脂事件」 (原告が共産党員かどうかは知らないですが、たぶんこれ) #2のお礼のところで質問されていた判例についてですが、質問者さんの理解であっていると思います。 ただし、あくまでも民事間の争いなので、基本的人権のぶつかりあいであっても、民事には直接憲法を適用することなく、憲法の趣旨を汲んで、民法条文を解釈するにとどまります。 よって、もし憲法の趣旨に反しているとしても「違憲」という判決にはならず、「違法」という判決になります。 三菱樹脂事件について言えば、最高裁は「違法」ではないと判決しています(つまり三菱樹脂(株)会社の行動は合法であると判決)。 しかし、この判決には批判もあります。 #2さんも触れているように、民事には憲法が適用されないのが原則ですが、公権力に順ずるような力をもった私人(大企業など)には憲法の趣旨を間接的に適用するという考え方が一般的にあります。 そして、侵害される権利も思想の自由という重要な権利である以上、憲法の趣旨をもっと積極的に及ぼしていくべきだとの考えです。 このように考えれば、憲法の趣旨を積極的に及ぼしたとはいえないこの判決は、憲法の人権保障機能を実質的に失わせるものだという批判です。 ※この批判文は私がわかり易いように適当に書いたもので、正確ではない言い回しです。 Wikipediaの三菱樹脂事件の解説ページ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E6%A8%B9%E8%84%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6 質問者さんは「公共の福祉」の話をいろいろ考えたかったのだと思いますが、憲法の話は全体的には理想論な部分があります。 実社会、かつ私人同士の話ともなれば、憲法のでる余地はかなり限定されているはずです。 また、人権のうちで最重要なのは自由権(国家からの自由。対になる概念は社会権)ですが、これを強調すれば、私人同士の対立に国家が口を出さない方がよいということです。 つまり、憲法なんて大上段のものを持ち出しても、あまり物事の解決にはつながらないということです。 もちろん、憲法の理念はとても大切で、長い歴史をかけて国民が手にした成果なので、いろいろ考える分には有意だと思います。
お礼
再度のご回答、ありがとうございます。 >質問者さんは「公共の福祉」の話をいろいろ考えたかったのだと思いますが そうですね。この言葉から自分がイメージするものと、 実際の意味にかなり隔たりがあり、理解がうまくできずに悩んでいました。 ご丁寧に解説してくださったおかげで、だいぶ感覚的にわかってきたと思います。 ありがとうございます。
- jyuzou
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私は素人で、雑談参加気分で書き込んでいます。 書いてる内容は話半分で読んで下さい。 法律は 私人対私人 私人と国家 の場合をわけて考えなければなりません。 基本的には(例外あり)憲法は私人と国家の関係を規定したものです。 大峯山の女人結界区域の所有者が国なのか私人(お寺など)なのかでかわってきます。 私は所有者が誰なのか知りません。 質問者さんの意図が憲法問題を知りたいようなので、仮に国所有のものとして考えます。 (お寺などの個人所有の可能性の方が高いと思いますが、今回はあえて) このように国所有のものだと考えると、国が男女差別をしていることになります。 すると憲法14条違反の可能性が出てきます。 この14条の平等とはなんでしょうか。 もちろん平等は実質的平等(形式的ではない)を指します。 では、この実質的とは何でしょうか? 実質的の意味にはかなりの解釈の幅があると思いますが、差別によって生じる損失、差別される側が少数者か、歴史的背景、等々を総合的に考慮して決められるべきものだと思います。 総合的に考えて、個人的には平等違反にはならないような気はしますが、微妙なところだと思います。 (重ねて書きますが、禁制区間の所有者が国家の場合です。あとこの場合の政教分離の話は置いときます) ご質問の「公共の福祉」ですが、平等原則の場合、実質的平等・形式的平等の話になるので、あまり公共の福祉の話にはなりません。 公共の福祉として問題となるのは、例えば 男が大峯山に入ろうとしたら、伝染病患者であることを理由に入山を断られた場合、これは公共の福祉による制約となります。 また、質問内容の、地区の祭りの女性の制限の方ですが、これは完全に私人間の話です。 私人間の話なので、基本的にはどんな制約をつけてもかまいません(憲法はあまり関係ありません)。 あまりにその制約が理不尽で、少数者迫害につながるものであれば、憲法の趣旨を民事に適用させることもありますが、お祭りの女性制限はこれにはあたらないと思います。 最後に公共の福祉の意味ですが、「権利は他人の権利を侵害しない程度に制限される」との理解のようですが、大雑把にはそんな感じでいいと思います。 ただ、人間は生きていれば必ず他人の人権を侵害しています。 例えば、夜中に音楽を聴きたい人の権利と夜中には静かに本を読みたい人の権利は両立しません(アパートで部屋が隣同士の場合)。 結果、音楽を聴きたい人は我慢します。 つまり、静かに本を読みたい人は隣人の権利を侵害しているといえます。 もちろん、これが昼間であれば、本を読みたい人は隣人のある程度の騒音に耐えなければいけません。 これを国家が「夜は静かにしましょう法」として成立させた場合、夜もうるさくしたい人にとっては人権侵害ですが、公共の福祉による制約として受け入れなければいけないということです。 よって、「公共の福祉」とは「人権は矛盾や衝突するものなので、妥協・調整をしてみんなが同程度我慢しましょう」ということだと思います。
お礼
雑談参加でも、詳しい解説をどうもありがとうございます。 とてもわかりやすくて引き込まれて読んでしまいました。 法律も、単なる規制の集合じゃなくて、おもしろいものなんですね。 祭りに関しては、憲法はあまり関係がないとのこと。 こういうことも知っておくのと知らないのとでは全然違います。 とても参考になりました。ありがとうございます。
お礼
わかりやすい説明をありがとうございます。 >女性の行動を一定限度制限している理由は、他に何かないのでしょうか? こちらの祭りは、いわば「男の祭り」といえばいいでしょうか。 パフォーマンスに力もいるし荒々しいし、もちろん危険も大きいです。 だから「危険から守るため」というのはもともとの理由にもあるんでしょうけれど、長い歴史の中で形作らてきた決め事なのだろうし、今更そういうことを明文化するのも野暮な感じです。 女だからといって何も仕事がないわけではないのですが、要するに裏方だったり男の後ろに付いていくことだったりで、封建的に映り、気に入らない人がいるかもしれません。 近隣の市で同じような祭りに実際に抗議があって、女性にも一部をやってもらうようにしたそうですが、なかなか対応に困るような要求も多かったそうで、「そのうちこっちの方にもくるのかなぁ」と少し憂鬱です。 最初の共産党員の就職希望者が訴えた例の判決は、 「思想の自由」という権利を追求したとき、 「営業の自由から特定の思想持ち主を雇用しない自由」とがぶつかっているので、 「公共の福祉」に反している、ということなのでしょうか?