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生きるとは…
大病を患っている友人がおり、よく私で力になれることがあればと思い、話をしにいったりしています。 治る見込みはあるらしいのですが、友人はちょっとネガティブぎみです。 それで昨日、 「何で人って生きるのかな」 と聞かれました。 その回答を本当に求めている様子で、 私も真剣に考え、 色々浮かんだ事は浮かんだのですが、 いいと思う答えがみつかりませんでした。 誰かどうか知恵をお貸し下さい。。 生きるってどういうことなんでしょうか・・・
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長文失礼します。 私が思うのは、人間は生きるのではなく、神様に生かせれていると思います。 そして神様は人間に様々なテスト(試練)を与えられ、人間はそのテストを回答していきます。勿論出来なければ、神様は何度でも同じテストを繰り返します。 しかし、そのテストは絶対に解けないテストではありません。必ず解けるテストになっています。 神様から課せられたテストをクリアすることが出来れば一回り成長した自分に会えるのです。 なので、生きるというのは『人間が神様から与えられた試練を乗り越え勉強して成長してく』ことだと思います。 友人さまはつらいかも知れませんが友人様にもっと成長して新しい自分を見つけて欲しいから神様は今回の試練をお与えくださったのだと思います。 これは、ある本で読んだんですが、もし嫌な事があったら『ありがとう』と言ってください。 友人様であれば『病気にして下さいましてありがとう』とか、そうしたら今まで起こった不幸なことが断ち切れますから。 ネガティブなことばかり考えたら、ネガティブな事ばかり起こりますよ。 それに『ありがとうと』いうと不幸の鎖が切れるばかりでなく良いことが起こりますよ。災い転じて福となす。って言う諺があるように・・・ どんな不幸な状態であっても幸せに変えてくれる・・・ ありがとうは魔法の言葉です。 ちなみにありがとうを漢字で書くと・・・有り難うです。 難が有るときに言うから有り難うです。 あとは病気が治りました。感謝します。←これも効果ありです。 感謝も大事です。 あともう一つ、良かったら友人様に毎日、ツイてると聞いてもっらて、友人様にツイてると言ってもらえますか?(このときにツイてないなどネガティブな発言はNGです) そしたら、有難う同様にいいことありますよ。 様はポジティブな事ばかり言わせて、ポジティブなことばかり考えさせるという事ですね。 詳しく『五日市剛さんのツキを呼ぶ魔法の言葉』を見てくださいね♪ 僕もこの有難うやツイてるや感謝しますデハッピーな生活送ってます♪ この拙い文章が少しでも役にたてば幸いです。 それでは(^^)
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- comodesu
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「私で力になれることがあればと思い、話をしにいったりしています」とのこと、心やさしきあなたとよい友を持たれたあなたのご友人に幸あらんことを願っています。 「何で人って生きるのかな」 「何でだろうな。僕にもすぐにはわからないな。前にも考えたことがあったけれど、少なくとも〈何かのために生きなければならない〉ということは決められてはいないと思うよね。 ・・・だいたいが、僕たちが生まれてきたときは何も知らないんだ。そして小学校くらいでも遊ぶのが生きることだっただろ。もちろん勉強もするけど、生きることは無意識だった。それはある意味幸せだった。 ・・・だけど将来の進路を考えたり、自分という人間に限界を感じたり、ものごとがうまくいかなかったり、そんなときには「人生ってなんだろうな」と考えてしまう。でもそれに答えがあるとしても、人によって違うんじゃないかな。 ・・・たとえば今の僕は、こうして君の話し相手になっていることが生きるということの意味だし、君が悲しめば僕も悲しい。君が不安であれば僕も不安だ。話をして君が喜んでくれれば僕もうれしい。少なくともこの時間は二人でいっしょに生きている。 ・・・今の君は自分の思うようにいかないのはよくわかる。だけどそういう中で心のバランスを失ってはいないのはえらいと思う。そして今やれる中で何かやりたいことがあれば、僕も協力するよ。」 数年前、家人の友人が入院していたときのことをいろいろ思い出しました。日本の古典文学を読みたいとのことで、たくさんの本を差し入れしたものです。その平静な態度には私たちもずいぶん教えられました。
お礼
具体的なご回答をありがとうございます。 非常に参考になります。 私は全然心やさしいとは思いませんが、 友人の役に立ちたいと思います。 どうもありがとうございました。
これはご友人の質問への答ではありません。 ご友人は若くして大病を患い、いやでも死や生きることについて 考えなければならない状況になってしまったのでしょう。 友人の質問は「人というものは」という三人称の形をとっていますが、 その質問の本当に意味するところは「私は」(一人称)であり、 「あなたは」(二人称)であると思います。 つまり「何で自分は生きているのだろう」 「何で自分は病気になってしまったのか」 「何で自分は病気を抱えて生きなければならないのか」 「自分はこの病気で死ぬのだろうか」 という切羽詰った思いがあるのだと思います。 今生きていることがちょっと辛くなったのかもしれません。 そういう自分の気持ちを受け止めてくれということだと思います。 ですから、質問者さまが即座に答えられなかったのは当然のことです。 安易に「それは○○だから」と一般論的に答えてはむしろ 失礼になるように思えます。 ですから三人称的な答ではなく、「私は」「あなたは」という形で 答えてあげて欲しいと思います。 また答えることが出来なくても仕方のないことです。 友人の存在をかけた重い問いに上手く答えることが出来る人がどれだけ居るでしょう。 その思いを受け止めてあげるだけで十分なはずです。 頑張ってと励ますことがその友人にとって良いことかどうか分りませんが、 生きて欲しいと思う気持ちはうれしいはずです。 どうぞご友人の心に寄り添ってあげてください。 >生きるってどういうことなんでしょうか・・・ 質問者さまへの私なりの答です。 生きるって辛いこともたくさんあって、結構しんどいです。 それでも生きているのはまだ、生きるとはどういうことかが分らないからです。 (もう半世紀ほども生きているというのに…) 死ぬまでには答を見つけたいと思っています(^^;
お礼
そうですね。 友人の存在は、私にとって言葉にできないくらい、大きいです。 それを何とか伝えられたらと思います。 >それでも生きているのはまだ、生きるとはどういうことかが分らないからです。 なるほど、確かに。 心のこもったご回答ありがとうございました。
肉体を良い状態で生かすということは今の自分の役に立ちます。肉体は自然からの一時的な借り物であるので、死ぬと自然に還元され、残された命、次の世代の肉体にいつか利用され役立てます。 精神を良い状態で生かすことは、例え病気で自分に無益な状態でも、全体の希望となり生きながら生命の役に立ちます。 自分の生活よりも種族の幸福を優先し達成した場合、死はその人にとって脅威でなくなり、苦悩からもの救済であり、至福になります。周囲の人にとっても死がその人の存在の終わりにならず、無形の精神への感謝・敬愛は終われないのです。 生きる意義の対象を個人的相対的幸福とするか、全体の絶対的幸福とするかで生はつまらなくも、輝くものにもなります。 これを知れるのは稀な資質の持ち主に限られると思いますか?生きることは後退はせず成長を続けることなので不可能ということはないと思います。 生きていても全体の役に立てない。趣味や勉強をするのでも自分の為にはなっても誰も喜んでいない、そう信じてしまう状態が「辛い人生」なのでしょう。 でも宇宙からすると、無こそが普遍で帰すべきもので、物質的存在すら特殊事情で、ましてや精神の存在は更に異常な事態です。その異常なもの同士が予測の出来ないものを思案し苦しむとうのは無駄なような、奇跡的に尊いものでもありますね。 「生きる」とは、平等に流れる時間の中で、すぐ帰ってしまう人、長く執着したが堪能しなかった人。それぞれありますが、家(無)に帰る時までの暇の潰し方だと思います。
お礼
>家(無)に帰る時までの暇の潰し方だと思います。 これはちょっと盲点を突かれました。 とても参考になります。 ご回答ありがとうございました。
- pastorius
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小説家であった故・開高健が、写真家の高橋昇の娘さんに送った言葉で、何かのドラマにも使われた言葉があります。 明日世界が滅ぶとしても、今日君は林檎の木を植える ぼくなりの解釈は、生きるということは生きようとする意志の発現そのものだということです。 何で生きてるのかという客観的且つ本質的な意味は残念ながらわかりませんが、主観的には生きたいという意志があるから生きてるんです。理由のような姑息なものは必要としないんです。 だから、理由が何であってもあなたはその友達に生きていて欲しいと思うし生きてくれると嬉しいと思う、と言ってあげるといいのではないでしょうか。
お礼
>生きるということは生きようとする意志の発現そのものだということです。 すごく納得しました。 >理由が何であってもあなたはその友達に生きていて欲しいと思うし生きてくれると嬉しいと思う、と言ってあげるといいのではないでしょうか。 そうします。 ぴったりのいい言葉を頂けました。 ご回答ありがとうございます。 感謝しています。
難病治療の小児科の先生に伺った話です。先生の診ている子供たち何割かは大人になることなくなくなるのだいうことでした。正確でないですが、その先生が言われた言葉です。 病気といっても子供たちはエネルギーがあるんだ。だから、熱や痛みがなければすぐに何かを見つけて楽しむことができるんだ。子供の中には自分の運命を知っている子供もいる。でも、一瞬でも楽しい瞬間がある。親も辛いけど、子供と過ごした大切な思い出はいつまでも残る。それが彼らの生きた証だし、生きている意味なんだよ。 私自身、この言葉をまだ消化し切れていないのですが、もしも少しでも参考になるならと思って回答させていただきました。
お礼
>一瞬でも楽しい瞬間がある。親も辛いけど、子供と過ごした大切な思い出はいつまでも残る。それが彼らの生きた証だし、生きている意味なんだよ。 すごくじーんときました・・・。 >私自身、この言葉をまだ消化し切れていないのですが、もしも少しでも参考になるならと思って回答させていただきました。 ご回答本当にありがとうございます。 非常に参考になりました。
- chironero
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世の中に、無駄に生きている人は、一人もいません。 総ての生命は人を含めて自分の意志に関りなく『生』を与えらております。 『生きるって』言う事は、総ての生命に平等に与えられた権利をその命を全うするまで行使する事です。 例え、長期間、病床にあろうとも其処で生かされている事を教えてあげて下さい。 何か出来ることがあります。元気になって退院してから、こんな事を、あんな事を、夢を描く事です。 夢を現実にするための計画を立てるのです。 その計画こそパンドラの箱の底に残ってた希望です。
お礼
>『生きるって』言う事は、総ての生命に平等に与えられた権利をその命を全うするまで行使する事です。 なるほど。とても参考になります。 >何か出来ることがあります。元気になって退院してから、こんな事を、あんな事を、夢を描く事です。 夢を現実にするための計画を立てるのです。 その計画こそパンドラの箱の底に残ってた希望です。 ありがとうございます。少し涙が出ました。 ご回答ありがとうございます。
- camera_oyaji
- ベストアンサー率25% (109/436)
メンタルヘルスのカテゴリーの方が、あなたの求める回答が集まると思います。 長い肉体的な病気は、多かれ少なかれ精神的な煩いを引き起こします。 彼が「何で人って生きるのかな」と言ったのは、希望を失っている人のため息のように思えます。 彼には答えではなく、希望が必要なのだとおもいます。 哲学としての回答ではありませんが、アドバイスとして受け取ってください。
お礼
>メンタルヘルスのカテゴリーの方が、あなたの求める回答が集まると思います。 そのようなカテゴリーがあったのですか。 知りませんでした。また覗いてみたいと思います。ありがとうございます。 >希望を失っている人のため息のように思えます。 彼には答えではなく、希望が必要なのだとおもいます。 そうですね。そう思います。 希望。うーん・・・難しいですね。 ご回答ありがとうございました。 とても参考になりました。
- timeup
- ベストアンサー率30% (3827/12654)
色色な考えた型が有るわけですが、 肉体的には、子孫を残すこと。 精神的・魂的には、この世で精神・魂の修行をすることと、その中で生まれる前に自分で決定していた「遣るべき事」を見つけて、実行することです。 苦しければ苦しいほど、それに耐えられる精神だと言う事であり、 自殺する等して修行を放棄するのはこの世に出てくる前に、自分・魂の大きさ・レベルを見誤り、目標を作ってしまったと言う事でしょう。 修行とは、派手な見世物的な難行苦行だけではなく、単にヒッソリと社会の片隅で生きていく事自体の場合もあります。 これは色色な精神・魂の出所もあり、状態もレベルも有るからです。
お礼
早速回答を頂きありがとうございました。さきほど帰宅し、皆様の回答を拝見している次第です。 哲学的なご回答ありがとうございます。 とても参考になりました。
- 5ji55fun
- ベストアンサー率9% (45/491)
人は生きるために生きているのです。
お礼
早速回答を頂きありがとうございました。さきほど帰宅し、皆様の回答を拝見している次第です。 確かに、そうですね。 ご回答ありがとうございます。
- ZAZAN
- ベストアンサー率38% (287/748)
生まれてきたから・・・でしょうか。 生まれてきた以上生きることは義務であるように感じます。 世界中には生きたくても生きられない人がいっぱいいます。ですがこの一言だとそれが全然感覚になりません。 私は以前、ネットで公開されていた某国で人の首が斬られるムービーを観たときに痛感しました。 別段興味本位で面白半分に観たわけではありません。現実としてそこで確かに起こったことであるはずなのに、 そのリアリティを全然伝えない、まったく死を感じない現在の日本のメディアに疑問を持ったからです。 人の死を社会から隠しただけでなく、動物の死ですら身近なものではなくなっています。 食肉は商品としてパックになり、かつてどの農村でも行われていたはずの命を奪って食べるという行為から、命を奪いという行為だけを隠した結果、その重みを自覚する機会がなくなりました。 この人の目から死を遠ざける行為が最近の凶悪犯罪や自殺者の増加を呼んでいる要因のひとつになっているんじゃないかと思い、敢えてそれを直視しようと観てみたのです。 話がそれました。 観る人によってはトラウマになるような映像ですし、逆効果かもしれません。はっきり言って見せることはお勧めできません。ですが、私はそれを見て「生きなきゃいけない」と痛感したのは確かです。罵られようと辱められようとなす術もなく生きたまま首を斬られるような明日が訪れる確率の極めて少ないこの国に生活していることを幸せに思い、生きなきゃいけない、と何度も思ったのです。 とりあえず、こういう考え方もあるよとお話する分にはプラスになるかもしれません。
お礼
早速回答を頂きありがとうございました。さきほど帰宅し、皆様の回答を拝見している次第です。 確かに「生きなければいけない!」というか切羽つまって「生きる」ということを味わおうとする人は、今の日本には少ないかもしれないですね。恵まれていると、それがわからなくなるのでしょうか。でも、病気にかかっている状態とは違いますし・・・。 うーん。 非常に参考になりました。 ご回答ありがとうございます。
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お礼
早速回答を頂きありがとうございました。さきほど帰宅し、皆様の回答を拝見している次第です。 >もし嫌な事があったら『ありがとう』と言ってください。 友人様であれば『病気にして下さいましてありがとう』とか、そうしたら今まで起こった不幸なことが断ち切れますから。 ネガティブなことばかり考えたら、ネガティブな事ばかり起こりますよ。 それに『ありがとうと』いうと不幸の鎖が切れるばかりでなく良いことが起こりますよ。災い転じて福となす。って言う諺があるように・・・ どんな不幸な状態であっても幸せに変えてくれる・・・ ありがとうは魔法の言葉です。 とてもいいことを教えてくださってありがとうございます。非常に参考になりました。早速、私のみならず友人にも勧めてみます。 >この拙い文章が少しでも役にたてば幸いです。 いえいえ、とても勉強になります。 『五日市剛さんのツキを呼ぶ魔法の言葉』も読んでみます。 ご回答ありがとうございました。