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連合軍最高指揮官

第二次大戦中、ヨーロッパでは、ただ一人、アイゼンハワー将軍が連合軍最高指揮官でした。 何故、太平洋では戦域を分けて、ニミッツ提督とマッカーサー将軍の二人の連合軍最高指揮官が存在したのでしょうか。 米軍内部の陸海の争いがあったのでしょうか。 個人的には、太平洋の戦は、マッカーサーに負けたというより、日本の連合艦隊がニミッツの太平洋艦隊に敗れたイメージがあります。

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  • 6dou_rinne
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回答No.4

もともと太平洋における攻勢(反攻)の指揮官はニミッツでしたが、海軍主導を快く思わなかったマッカーサーが陸軍の長老であることと、フィリッピンやオーストラリアがあまり考慮されていなかったために強く主張してそちらのルートも攻勢のルートとなり、マッカーサーが最高指揮官になりましたがあくまでも副次的なルートでしかありませんでした。 しかし、もともと陸軍はヨーロッパ戦線に全力を集中しており、太平洋方面は海軍にまかせる方針であったために、太平洋にまわせる兵力はあまりなく、そのためマッカーサーの攻撃は大規模なもことはできませんでしたし、海軍も精鋭はニミッツルートで必要であったので、マッカーサーに配属されたのはヨーロッパの戦線が片付くまでは二流の部隊ばかりで、あまりめだつものがないのはそのためです。

buck
質問者

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確かに、人も船も主力は、ニミッツの指揮下にありましたね。 回答ありがとうございます

その他の回答 (3)

  • alpha123
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回答No.3

二ミッツは1942年から太平洋艦隊最高指揮官。マッカーサーの部下ということになります。 アジアの海戦の勝利者で日本が降伏文書に署名したときの米側(連合軍)代表でもありました。 日本はマッカーサー(太平洋方面連合軍最高司令官)に負けました。 アイゼンハワーは欧州方面連合軍最高司令官でノルマンディー作戦勝利の立役者です。のちに大統領になった(アイクが出なければマッカーサーが有力視されていたようです) ノルマンディー作戦でもアイゼンハワーに批判的な将軍はいて36時間行方不明の英軍の将軍もいたようです(アイクがこけていれば後釜になれましたね(^^)) 二ミッツさんは1966年になくなりましたが自分の名前は艦船名にもなっていますし、海軍の方としては申し分ない処遇受けられたと思います。 マッカーサーは朝鮮戦争に負けそうになって中国に原爆落とせといったばかりにそれまでの業績は台無しです。歴史的には中国と米国は一度も(公式には)戦争していないです。

buck
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • ss79
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回答No.2

ヨーロッパでは陸上戦が主体でしたが、太平洋では陸上、海上戦が並行していました。 島嶼での戦闘は上陸戦でアメリカ海兵隊が担当し、上陸以前の艦砲射撃は海軍の担当です。 大きい島嶼(ニューギニア、フィリッピンなど)は上陸戦後内陸への進撃は陸軍の担当です。 従って海軍、陸軍にそれぞれ最高指揮官が必要だったのです。 両者は確執などなく協力して作戦遂行にあたりました。 太平洋の戦いは日本軍は両方で敗れたのでどちらかがどうということはありません。

buck
質問者

お礼

確かに海軍だけが負けたわけではないのですが。 回答ありがとうございます。

  • 10pph
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回答No.1

戦争中はマッカーサーが連合国南西太平洋方面司令官、ニミッツが連合国中部太平洋方面総司令官となっていますが、 2人は本来、アメリカ極東陸軍司令官とアメリカ太平洋艦隊司令長官であり、連合国の肩書は名目上のものでしかないと思います。 控えめの性格のニミッツに対して、強引で根回し上手のマッカーサーが最終的に最高司令官の地位を得た要因の一つでしょう。 確かに、転機となった戦いはニミッツ主導のものが多いと思います。 ガダルカナルやサイパン、マリアナ、硫黄島はニミッツの戦場でした。 しかし、天王山となる戦いはレイテを含むフィリピン作戦や沖縄戦であり、最終的にマッカーサーを持ち上げざるを得なかったのではないでしょうか。 ただし、トルーマン大統領も日本の国力を削いだのは通商破壊戦であり、海軍の貢献を軽く見ていたわけではないと思います。 1945年9月2日の降伏文書では、 マッカーサーは「連合国最高司令官」として ニミッツは「アメリカ合衆国代表」として署名しています。 これはニミッツに対する配慮といわれ、降伏の場所にミズーリを選んだのは海軍への配慮でしょう。

buck
質問者

お礼

ニミッツの功績は、やはり、大きいのですね。回答ありがとうございます。