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「~してもらう」「~してあげる」って どういう意味合いなのでしょうか?
とりあえず 国語のカテで ご質問させて戴きます。 日本語的?には 「もらう」「あげる」とは どのような意味合いで 使うものなのでしょうか? ======================================= 医師に診察されたり 処方されたりすると、「診てもらう」「薬をもらう」と言っているような人が多いような気がします。 また、「学校で教えてもらう」と言っている人もいます。 診察料や処方料は 支払っていますし、学校は 学びに行っているので 教えてもらっている わけでもないと私は昔から感じています。 何故 このような 言い方をする人が多いのでしょうか?(多いと思うのは 私の勘違い??) ==================================== また、逆の立場となると 「~してあげる」となりますが 対価などを受け取りながら 「~してあげる」と言う言葉を使う人も いるように感じています。
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現代社会で生活していると、『社会システム』に慣れてしまい、その基本となる『対話』を忘れてしまっています。 理髪店に行って髪を切ってもらえるのも、「労働契約が交わされた従業員」がいるからで、自営業者の理髪店は拒否できます。 公務員の「教諭」も、システマティカルな指導要綱に沿い、均一な教育を与えているだけです。(学習塾の先生を想定してください。) サービス業は、自らの都合でネグレクトできるのですが、社会的信用や、安定した仕事量確保のため、画一化されているのです。 拒否できるのがよいのではなく、省略せず、高度なサービスを提供できるのが良いのです。 社会システム以前から、言葉は存在しているのです。
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- hakobulu
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#5です。ご返事ありがとうございます。 読み直してみて、うまくまとめられなかったきらいがあるので、もう一度「言い直し」させていただいてよろしいでしょうか。 では、(と返事を待たずに進めてしまう強引な回答者をお許しあれ)。 「~してもらう」 :本来は#9の方のおっしゃるように、相手が尊敬できる仕事をする人物であれば使っていた言葉だと思います。 しかし、現在では「長いものには巻かれろ」的な島国根性丸出しの卑屈さゆえに、「立場の強い者」に対するへつらいの精神が根底にあるように思われます。 確かにお金を払っているからといって不遜な態度をとる必要はありませんが、「へつらい」であると断定するのは「平等さに欠ける」からです。 相手の値踏みをしてから物を言う、といったような深層心理が垣間見えると思うのは私の考えすぎでしょうか? そうやって強い者に対して何でも「~してもらう」と下手に出ている人間に限って、ちょっとしたことで人を軽蔑したり横柄な態度を示したりする場合が多いような気がします。 考えてみれば当然のことかもしれません。 本来使わなくていい気を始終使っているのですから、些細なことをあげつらっては人の弱みを見つけ、溜め込んだ抑圧を吐き出さなければ割りに合わないのでしょう。 ちょっと穿ち過ぎですか? いや、そんな事は無いと私は思います。 (と、自問自答するテンション上ってしまったオヤジ) 誤解の無いよう補足しておきますが、私自身も同類なのであって、何の抵抗もなく理屈に合わない「~してもらう」あるいは全く逆の意味で「~してあげる」という言葉を使用してしまう発端には、このような気持ちがあったのではないかということです。 また、本来の意味での「尊敬」逆に「労わり」を現わす言葉として使用される場合もあることを否定しているわけではありません。 >飲食店から出るときは 「ごちそうさま~」 店頭で物品やおつりを受け取る時には「ありがとう」 って 必ず 言っちゃいます。 :いいですね。 顔見知りの店以外でもこのように言えるようであれば、まさに地球人。 そして、公的機関にはへつらうことなく当然の権利を要求する。 こういった大らかな大陸的気性をさりげなくまとった人々がもう少し増えると、この島国根性の国も少しは風通しの良い、世界を視野に入れたものの考え方ができるようになるのかもしれません。
お礼
再度 ありがとうございます。 ですよね~。 ============= 顔見知り以外の店でもですよ。 海外でも(って英語くらいしかできませんが) "Nice, tasty"(変な英語かも) とか "Thank you" は 欠かせません。 こども達も そうなってます。 (ごちそうさま は 大きな声で言わないとだめなので恥ずかしくて できないといっておりますが) 私の親は 言ってませんでしたが。 何故 私が言うようになったのかは 自分でもわかりません。大学生くらいで 外食をするようになってからだと思います。そう言うのが「大人」(大人気ある)と思い込んでいたんでしょうね。(今も) こっちが 「ごちそうさま」とか「ありがとう」って言っても 何も言わないお店には 2度と行きませんけどね。(「この店、何もいわねぇよ」って 聞こえるように言う場合もありますが。)
補足
昨晩 こどもとこの話題 話したんですが、 勤労感謝の日 に話題が飛んで・・。 毎年 勤労感謝の日が近くなると カレーのCMでこどもが両親に感謝するって あるんですが(今年もやるかな?)あれは おかしいよねって。 「あれじゃぁ 親に感謝してて 勤労には感謝してないんじゃないの?」とこどもの突っ込み。 私も毎年思ってて。 「それこそ 自分に対してしてくれたこと 「全て」に対していつも 感謝の念を忘れないことが大切だよね」と きれいにまとめましたけど。 (公共の福祉を考えるためにも 感謝の念って必要だと思いますし。) 勤労感謝の日、中元・歳暮、誕生日、結婚記念日・・。 別に節目を否定するわけではないですが、メディアに踊らされずに 本質を考えることが 必要と思ってます。(自省も含めて)
- kanpyou
- ベストアンサー率25% (662/2590)
「医師」「理髪店」「先生」は、独立した意思を持った職業の方々ばかりで、本人の意志しだいで、その顧客の要求を『拒否:ネグレクト』できるという点があります。(先生は公務員で、ある程度の義務がありますが、一定以上のことをすると、教育水準格差云々で大変なことになります。) その拒否しなかったということに対して、感謝の念を込め、その気持ちを「もらう」ということにならないでしょうか? これに対して、コンビには、「販売する」ことを基本としていますので、そこに、相手を”思んばかる”という意味合いは無いと思います。
お礼
ありがとうございます。 えっ 理髪店で、 「この髪型にして」 「お客様にはお似合いになりませんのでカットできません」 なんてことは ないと思うのですが・・・。 医師は、患者が治療を断った場合・治療の意志がない場合でも 強制力を持つのでしょうか? 先生と言う職業はありませんので 教諭などと思いますが、「独立した意志」を持っているのでしょうか? 行政の指導に従い 教育に従事している部分が大きいと思うのですが・・・。 また、義務教育では 拒否などできないと 思いますが・・・。 「相手を思んばかる」=慮る、思いをはかる は 大切なことだと思いますが、それは 相手の人格からであり、職業で 一律に思い込んでしまうのは 誤っていると考えております。
- WATAnBE
- ベストアンサー率25% (3/12)
No.3の者です。 医者・教員はサービス業です。参考URLを見てください。 自分が選んでない物に「もらう」がつくのは「持ってきてもらう」や「選んでもらう」の意味が含まれているのではないかと思います。
- 参考URL:
- http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%B5%A1%BC%A5%D3%A5%B9%B6%C8&kind=jn&mode=0&type=stick
お礼
ありがとうございます。 私も 対人商売は サービス系と考えております。 なので 医療も教育もサービス系と考えているのですが 辞書でもそう書いてあるんですね・・・。 でも、「サービス業格付け」には 医療は含まれていないみたいですし、いわゆる学校(除く:各種学校など)は 含まれてないみたいで面白すぎますよね。 本屋でも 「この本 あったら 持ってきてくれませんか?」 って 店員さんに頼んだりしますよね。 「選んでもらう」は 気づいていませんでした。 薬は 選んでもらって 処方してもらっているってことですね。
- kanpyou
- ベストアンサー率25% (662/2590)
吉田松陰「松下村塾」、大隈重信「早稲田大学」、福沢諭吉「慶応大学」のように、学校を設立した人は、皆、偉人です。 「寺子屋」以前の公の(市民)教育は、無いに等しかったのでは? 医業も同様に、そのような対価を払うことにより受診できるシステムができたのは、歴史的に見ても、つい近年ではないでしょうか? そのような意味において、『もらう』という用例は無形の念というか、魂のような言葉が秘められているような気がします。
お礼
ありがとうございます。 ごめんなさい。アドバイスされている内容をどううけとってよろしいのか わかりません。 100年くらい?それとも 戦後 60年 を「つい近年」と 表現されておられるのでしょうか? 無形の念・魂 とは、どのような意味合いでございますか? 貴重なお時間を割いて ご記入していただいているのに ほんとうに 言葉がわからない馬鹿で申し訳ございません。
補足
すこし わかったかもです。 もしかして、 「制度は変わっても、人の心はそうすぐには変わらない。言葉は 言霊とも言われるので 人の心が反映されているのだから 言葉も すぐには変われない。」 のような 感じでしょうか? (違ってましたら 申し訳ないです。)
- gon_70
- ベストアンサー率50% (76/151)
辞書には、「~してもらう」に、利益、恩恵を受けるという解説があります。 口にする人の意識とすれば、その利益、恩恵に対する感謝の意、その行為をした人への敬意が含まれていて、対価の有無とは直接関係ないと思います。 医師や学校に対してそういう言い方が多く感じられるのは、医師、教師、役所などに対して自分より偉い人、目上の人という意識がかなり強くあった(今は前より薄れていますが)ためでしょう。 「あげる」はその逆の意識ですね。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、医師や教師や役所が 自分より「偉い」「目上」と 考えている人が多いのですね! 官と民の 関係みたいなものでしょうか? 戦後の教育では、職業に上下はないとか 言ってるのにぃ~。(私の勘違いかも??)
医者に診てもらう (別の表現はありますか? 「診させる」では、あまりにも・・・・(笑)) 床屋で髪を切ってもらう。 (これを「もらう」を使わない、別の表現はありますか?) 薬をもらう。 (薬を買いに行っているのではない。薬が出るのは診療行為に含まれたもの) 買う (お金を払って商品を受け取ることなので、「金を払う」と「物を貰う」の2つの動作を表している) 既にお金を払っているものなら、「もらう」(受け取る)でも良いのではないでしょうか? >学校は 学びに行っているので 教えてもらっている わけでもないと私は昔から感じています。 「先生に学びに行く。」と言えばいいのでしょうか? しかし「先生に教えてもらっているわけではない。」ということは、 「先生は、教室で寝ていてもいい。生徒が勝手に学ぶ」ということになりませんか?
お礼
ありがとうございます。 医師の診断を受ける。 床屋で散髪する。 ともいえませんでしょうか? なるほど 処方箋のある薬は 「もらう」のですね! 薬局で風邪薬を処方箋なしでは 買うわけですね!! そうかも しれません(気づきませんでした) 学校に学びにゆくですよね。 これは 私の書き方が変でした。ごめんなさい。 意識としては、教えてもらうでは 弱いと考えてますが・・・。
- kanpyou
- ベストアンサー率25% (662/2590)
インフォシーク 国語辞典より「もらう」 http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?pg=result_k.html&col=KO&sm=1&qt=%A4%E2%A4%E9%A4%A6 (1)他から与えられて自分のものとする。 「手紙を―・う」「くれる物は何でも―・う」 (3)人を自分の側に帰属させる。一員とする。 「嫁に―・う」「我がチームに―・いたい選手だ」 (9)(補助動詞) 動詞の連用形に助詞「て(で)」を添えた形に付く。 (ア)他人の好意により、または自分から依頼して行われた行為によって自らが利益を受ける意を表す。また、単に、依頼して他人に行為をさせる意を表す。 「医者にみて―・う」「植木屋さんに庭の手入れをして―・う」「隣のお姉さんに遊んで―・う」 ☆薬をもらうは、(1)(3)のようなよう例ですが、診てもらうや、教えてもらうは、(9)(ア)のような使い方です。 ==================================== インフォシーク 国語辞典より「あげる」 http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?qt=%A4%A2%A4%B2%A4%EB&sm=1&pg=result_k.html&sv=DC&col=KO (12)「与える」「やる」の丁寧な言い方。《上》 「この本、あなたに―・げます」「ほうびを―・げる」 (22)(補助動詞) 動詞の連用形に接続助詞「て」の付いた形に付き、主語で表されるサービスの送り手が、他人のためにすることを、送り手の側から表す。(普通は仮名書き)《上》 「友達に本を貸して―・げた」「お宅まで送って―・げましょう」 〔「…てやる」と異なり、受け手に対する軽い敬意がこめられている。目上に対しては「さしあげる」を用いるのが一般的〕 ☆(12)と(22)のような使い方の違いです。
お礼
ありがとうございます。 gooの国語辞典でしょうか? (9)では、隣のお姉さんには 対価は支払っていないですよね。 コンビニで物を買っても その物から利益をうけることは ないか・・・。 私が用法を間違ってるんだと思いますが、 「お宅まで送りましょうか?」になっちゃいます。 「あげる」と使うと 敬意よりも 好意を押し売りしている感覚になっちゃうので・・・。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
「~してもらう」 :一種の謙譲語では? つまり、自分より相手が精神的に優位に立っていると感じた場合、あるいは自分が相手に何となく気兼ねを感じている場合、無意識に使う言葉のような気がします。 「~してあげる」 :「~してもらう」と全く逆で、相手より精神的に優位に立っていると感じた場合に使う言葉のように感じます。 * 昨今の「金さえ払えば文句はないだろう」的な風潮(と感じるのは私だけかもしれませんが)が敷衍されると、良きにつけ悪しきにつけ、いずれはこういった言い回しも消えていくのでしょうかね。 どちらも根拠はありませんので、悪しからず。
お礼
ありがとうございます。 いえいえ 私は逆なんです。 コンビニとか 店頭で買っても「もらう」って表現をたくさんするのが良いと 思うんですが、何故か 医療機関や役所等に対してのみ「もらう」なんて 使う人が多いような気がするんです。 でも 逆の立場の人は「してあげてる」なんて 意識を持ってはいかんですよね。 対価を受け取っているんですから・・・。
補足
関係ないですが、 飲食店から出るときは 「ごちそうさま~」 店頭で物品やおつりを受け取る時には「ありがとう」 って 必ず 言っちゃいます。 40代のオヤジです。
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
興味深い問題だと思います。ひとつには人間の関係はもののやり取りによって確実になるということがいえると思います。これは形のない好意のようなものでも、やり取りで表現すると関係が緊密になるように感じられることにもあります。ご好意を賜ってというような言い方はよく使われます。 もうひとつのお金が関係するほうですが、これはお金というものが元来物と物の交換を能率よく行うために作られたものであることと関係してお金は物とは扱われていないのではないでしょうか。お金は払うものです。埃を払うというような使い方がされます。お金を崩すともいいます。お金自身は存在しないようにみなすのが人間関係としては重要な意味があるのではないでしょうか。今でも商店などでもお客はこれをくださいとかこれをもらいますと言いませんか。昔は子供が駄菓子屋などで小銭を握りしめながら「頂戴jな!」と大きな声を出して店の人を呼んでいました。いずれもお金のことは考えていない表現です。面白いことに売るほうはあげるとは言いません。売るほうはお金を意識しているのではないでしょうか。お金がからむ関係であげるもらうというのは普通の関係ではないようにも思います。医療機関や学校でも人間関係の現場ではお金が動いていないかのように表現してはいませんか。先生に対して、頻繁にお礼のことばを述べることがあるのはそのひとつだと思います。
お礼
ありがとうございます。 そうなんですよね。「これ ちょうだい」って 言いますよね。 >面白いことに売るほうはあげるとは言いません。 でしょうか? 「なんども 教えてあげているのに」 「診てやっているのに」 と言う 意識が皆無とも 思えない言動を聞くことはありますが・・・。(私だけかも) もちろん 「先生」と呼べるような 尊敬できる方・自分に影響を与えた方には お礼のことばを述べたりします。そう言う気持ちも あります。 (でも 教師だから 全員が「先生」って わけではないですよね。国会議員も みんな 先生?)
- WATAnBE
- ベストアンサー率25% (3/12)
あまり自信はありませんが、サービス業に対してそのような言葉を使っていると思います。 また、薬に対して「もらう」という言葉を使うのは、自分で選んで購入した物ではないからだと思います。 参考になったら幸いです。
お礼
ありがとうございます。 医師・教員は サービス業と とらえておられますか? 自分で 選べないものは 薬以外にもありそうですね。 ============= 自分で質問しながら なんですが、 ・店頭で 「これと同じので 黒いのもらえる?」 ・「昨日さぁ、ダスキンさんに掃除してもらって」 など 自分でも使ってました。
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お礼
何度も ありがとうございます。 >現代社会で生活していると、『社会システム』に慣れてしまい、その基本となる『対話』を忘れてしまっています。 同感です。 ============= 実際に拒否はすることは ないでしょうか、理髪店は できますね。(権利と言うこと??) 学習塾の講師なら なんとなくですがわかります。 ============== >拒否できるのがよいのではなく、省略せず、高度なサービスを提供できるのが良いのです。 >社会システム以前から、言葉は存在しているので す。 同感です。 そうなので、コンビニだって 拒否はできると考えます。 医療・行政(教育も) などが 特別な感覚で見られているのが 不思議であって、店頭でも 飲食店でも同じなんだと感じています。 逆に 医療や行政に特別な感覚を持ち、「もらう」意識があるために サービス提供者側が「あげる」感覚になってしまっていて サービスレベルが 下がっている(全てが低下しているわけではないです)と考えております。
補足
で 特別な感覚をなくすために、 「もらう」を徹底的に使わない 方法もあるでしょうが、 私は どなたに対しても どんどん使う方向がよろしいと考えております。 と言うよりも 何故か 小さい時から よく使っている。 逆に 学校や医療関係には 使わないようにしてます。 ============= 40代のオヤジです。 学校だと こどもにとっては 先生ですが、私からは 自分のこどもの先生 ですから・・・。 「さん」で失礼では まったくないと考えますし、医者も同じですね。 尊敬してれば 別ですが・・・。 尊敬してないで「先生」なんて呼んだ時は馬鹿にしているのが ばれてしまいそうで・・・。