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アングロ・サクソンとアングロ・ノルマン
アイルランドに興味があります。 もともといたケルト人に後から入ってきたノルマン人によってアイルランドが形成され、サクソン人によってイングランドが作られたと解釈しているのですが、そもそも、アングロ・サクソンとアングロ・ノルマンとの違いはなんなのでしょうか。
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ノルマン、アングロ・サクソン、アングロ・ノルマンはそれぞれ異なります。 ノルマンは、ヴァイキングとも呼ばれ、スカンジナヴィアやバルト海沿岸に居住する北方ゲルマン人をさします。彼らは8Cころより11C初めまでアイルランドにたびたび浸入します。 アングロ・サクソンは、今のデンマーク、ドイツ西北部辺りに現住していた部族で、アングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称です。 彼らが、5Cローマ帝国が去ったブリテン島に進出し現在のイングランドの元となります。「アングロ」は「アングリア=アングル人の国」という意味です。 アングロ・ノルマンは11Cに、イングランド王位継承争いの中で「ノルマンジー公ウィリアム(ノルマンジーはフランス西北地方)」が王位につき「ノルマン朝=ノルマン人(フランス封建貴族)による支配」を始めます。ノルマン朝はアイルランドへも支配を及ぼしますが、このノルマン朝時代のアングロ・サクソン(イングランド)を歴史的には「アングロ・ノルマン」といいます。 分かりにくい説明で申し訳ありませんが、参考になりますでしょうか?
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- pyon1956
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#1さんの説明でほとんど尽きていると思われますが、少しだけ補足。 そもそもノルマンというのはノル(北の)マン(人)で、フランク人たちがデーン人やノルウェー人をそうよんだ、というものです。で、その一派ノルウェーの人ロロ、というのが現在のフランス、ノルマンディーに住み着いて、「フランク」王に臣従礼を立て、ノルマンディー侯になります。その子孫ウィリアムがイングランドを征服し、イギリス王にもなる(でも主にフランスの大貴族ですが。当時イギリスは辺境ですから、フランス王と同格の王ではありません)。 その時点で、イギリス王家はノルマン系のフランス貴族のものとなり、アングロ・サクソンの王家はなくなりました。(むろんアングロ・サクソンのひとたちはイギリスに住み続けているのですが) なお、アイルランドについては、1169年あたりから、イングランドに住むノルマン人「ストロング・ボウ」(リチャード・フィッツギルバート・ドクレア)が移り住み、強力なものとなり、それを征伐すると称してイギリスが侵攻、以後ずっとややこしい関係が続いている、ということでしょうか。 「アイルランドを形成した」バイキングの一派は795年から居座っていたようですが、これと「ノルマン」は別です。北欧から直接来たやつらと、イングランドに移り住んだ後、さらにアイルランドに来たやつらとの違いですね。
お礼
丁寧な説明有難うございました。 分かりやすい説明で、民族の流れがよく分かりました。ヨーロッパが、EUとして上手く機能していくのも、長い歴史の中で、こういう民族のつながりがあるからでしょうか。(イギリスは入ってませんが)
お礼
丁寧な説明を有難うございました。 とてもよく分かりました。 ノルマンとアングロ・ノルマンを混同していたため、何だかよく分からなくってしまったのですが、やっと頭の中が整理できました。 縄文人、弥生人で民族的な分類がほぼできてしまう日本人から見たら、本当にややこしいですが、逆に興味は尽きません。