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姦通罪について
「法律」のカテゴリでも質問させていただきました。 現在姦通罪についてい調べています。 時代が少しさかのぼるのですが、 明治十五年施行の←ここがポイントです 旧刑法353条、「有夫ノ婦姦通シタルモノハ二年以下ノ懲役ニ処ス其相姦シタル者亦同シ、前項ノ罪ハ本夫ノ告訴ヲ待テ之ヲ論ス但本夫姦通ヲ縦容シタルトキハ告訴ノ効ナシ」 を勉強しています。 これは姦通をした妻には罪があります。 (夫が告訴すればですが) 女の浮気相手の男性には罪があるのでしょうか?? >其相姦シタル者亦同シ これは男性のことを指すんですよね?? また世間体(男側)などが悪くなるのでしょうか?? 悪くなるとしたらどのようにでしょうか?? 現在明治29年に起きた姦通の研究をしています。 イマイチ上の訳(?)がわからなくて いろいろ調べたのですが、すべて当時の言葉で書かれてあり、少し苦戦しています。 本などでもどこからきりだして調べたらいいかわからず、 「姦通」で調べても本がほとんどないです。 参考程度にとサイトなどでも検索したのですが、イマイチで… ご存知の方、アドバイスお待ちしております。
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助詞の省略の問題については、法律の条文を書く場合には、等置の助詞を省略することはあっても、目的格の助詞を省略することは、通常ありません(文法用語の誤用があれば、ご海容ください。)。 「有夫ノ婦姦通シタル者ハ」でしたら、「有夫ノ婦〔ニシテ〕姦通シタル者ハ」と読みます。mayuclubさんの補足にあるとおり、相手方の男性も「亦同シ」で処罰されるのであれば、不倫の当事者は双方処罰される、ということであり、文意は明確ですね。 >これは夫が告訴したらこの罪が待っているということですよね?? う~ん・・・。(微笑) 大意は、お見込みのとおりです。ただ、この「待って」は、「告訴」にかかります。「告訴があってはじめて公訴を提起する(=刑事裁判にかける)ことができる」という意味になります。 「縦容」ですが、「縦」=「従」で、現代語の用字法だと「従容」となるはずです。ところが、国語辞典を引くと、「従容」=「ゆったりと落ち着いた様子」で、意味が通らないのです。No.2で、「法律用語かも」と申し上げたのは、現代語の意味と食い違いがあるからです。 もう一つ、補足しておきます。 明治41年刑法(現行刑法は、明治41年刑法を現代語訳したものです。)で姦通罪を規定していたのは、183条です。ところで、この183条のすぐ近くには、淫行勧誘罪(182条)や重婚罪(184条)のほかに、強制わいせつ罪(176条)や強姦罪(177条)が規定されています。さらに、これらの性的犯罪は「第2編 罪」中の「第22章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪」として規定されているのですが、この前後には、「第21章 虚偽告訴の罪」や「第23章 賭博及び富くじに関する罪」が規定されています。 そして、殺人罪(199条)は第26章に、窃盗罪(235条)は第36章に、それぞれ強姦罪や姦通罪からはかなり遠い位置に規定されています。 要は、強姦罪や姦通罪は、女性の性的自由や夫の貞操要求権という、生命や財産と同質の個人的権利利益(法益、といいます。)に対する罪というよりも、むしろ、社会の性風俗という、国家的ないしは社会的法益に対する罪として理解されていたわけです。 明治15年刑法も、この観点から分析されると、おもしろい結果がでてくるかもしれません。 もう一点、相手方の男性が結婚しているか否かで行為の法的社会的評価が異なったのか、というご疑問に関連して。 刑法の規定上は、処罰に差はありません。 ただ、No.2でご紹介した参考文献にもおそらく記載があると思いますが、明治31年施行の民法親族編では、夫が姦通した場合、妻は裁判離婚を請求できる旨の規定がありました。妻の側から裁判離婚を請求できる、数少ない場合の一つだったのです。これが、結婚している間男に対する追加的制裁でもあったわけです。 さて、これと同旨の規定が、明治29年当時の民法(明治23年制定の「民法人事編」)にあったのかなかったのか、あったとして、そもそもこの明治23年「民法人事編」は、施行されていたのかいなかったのか、施行されていなかったのなら、それはなぜか、といった問題が、当時の社会的背景を探るヒントになるかもしれません(私は、一定の回答を持ち合わせておりますが、内緒です。)。 さらに、明治29年当時の「学生」は、現代の「大学生」とは異なり(mayuclubさんとkeikei184さんには失礼ですが。)、非常に高い社会的地位を有していたのではないかと思われます。このことが、かの間男氏の社会的責任にどのような影響を及ぼしていたのか、という視点もありますね。
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こんばんは。 「事件の記録のようなものが載っている本」ですが、判例集のことをおっしゃっておられるのでしょうか。「大審院刑事判決録」や「法律新聞」くらいしか思いつかないのですが、いずれも、当時の文語体で標記されている資料で、現代語訳はありません。また、これらの資料は、公訴が提起されて判決まで至った事例しか収録されていませんので、今回の事件が収録されているとは考えにくい気がします。 むしろ、当時の新聞を丁寧に当たられる方がよいのかな、と思います。(←無責任) さらに、明治41年刑法は、当然、明治13年刑法の問題点をふまえて立法されているわけですから、姦通罪について議論した帝国議会の議事速記録をお読みになれば、社会的背景を含めた問題状況のご理解に資するのではないかと思います(『刑法制定史』という書名は寡聞にして知りません。ただ、根帝国議会の議事速記録が最重要の基礎資料であることは、おそらく間違いありません。)。 白秋については、既に優れた論考があるでしょうから、無名の(と勝手に決めつけてよいのだろうか?)一学徒の不義密通の方が、テーマとしてはおもしろそうですね。 何かのお役に立てば幸いです。
お礼
いつもいつも、アドバイスありがとうございます。 そろそろ自分の中で結論をだせるようにしてみます。 >当時の新聞を丁寧に当たられる方がよいのかな、と思います。 やっぱり新聞ですか… いまはCD-ROMなどにもなっていますが、明治の新聞は少しなれないので 小新聞あたりが適当かな??と思っています。 (となると読売などでしょうね) >姦通罪について議論した帝国議会の議事速記録をお読みになれば、社会的背景を含めた問題状況のご理解に資するのではないかと思います 初めて知りました… 「帝国議会の議事速記録」ですか。 メモしました。 一応白秋で例を挙げたのですが、ありきたりすぎてしまって面白みにかけてしまうんですね。時代が離れていますし… 法学部がないので、あるか心配ですが、探してみます。
shoyosiさんのNo.15のご回答が、私のNo.13の回答にいただいたご疑問への適切な応答になっていると思いますので、shoyosiさんが触れておられない点を若干補足するに止めます。 十分に調べもしないまま、姦通罪に禁固が科されるのは不思議だ、とコメントしてしまったのですが、shoyosiさんがおっしゃるように、単純に重罪か軽罪かで懲役か重禁錮かが決まっていたのであれば、さほど不思議ではない(当時は非破廉恥犯=禁錮という図式は存在しなかったか、または明確でなかった。)ことになりますね。 大正11年刑訴法が明治29年の本件姦通に適用されるのか、というご疑問については、答えは「否」です。ですから、大正11年刑訴法は、今回問題となっている学生さんの運命には、直接の関係はありません。 ところで、No.5で引用させていただいたハンギョレ新聞(だったかな?)の記事が指摘している韓国の現状と同様に、当時の我が国でも、姦通罪での告訴は、夫が妻の不倫相手から慰謝料を取り立てるための脅しとして濫用される傾向があったのではないかと思います。 そのため、夫が裁判離婚を請求した場合でなければ告訴は無効とすることで、こうした濫用的告訴を抑制しようとして、大正11年刑訴法の規定が置かれたのであろうと思います。つまり、妻に対して裁判離婚を請求してはじめて告訴ができるとするとともに、離婚の訴えを取り下げたり、再婚しちゃった場合には、告訴を取り下げたとみなし、さらに、妻について告訴を取り下げれば相手方の男性についても告訴を取り下げたものとみなす(逆もまた然り)、という具合に、制度を変えたのです。 ここからは推測ですが、大正時代は明治時代に比べて、社会風俗全体がおおらかになったといわれていますから、不倫に対する社会の見方もやや優しい方向に変わり、大正11年刑訴法の規定の新設を後押ししたのかもしれません。 白秋の事案ですが、当時の俊子は、既に夫とはいわゆる「家庭内別居」の状態にあったのではありませんか? 「法的に離婚は未だ成立せずと白秋を姦通罪で告訴」ということですから、「婚姻関係が実質的には破綻していようと、法律上、俊子は依然として俺の妻なんだから、白秋の野郎は姦通罪だ!」という理屈で、夫は告訴したと思われます。 そのため、予審(正式な刑事裁判の前に、起訴する(=刑事裁判にかける)価値がある事件とない事件とを振り分ける制度です。現行刑訴法248条は、この振分け権限を、一切検察官にゆだねています。)段階で、「婚姻関係が実質的に破綻している場合には、告訴は無効である」といったような解釈論が弁護側から出され、起訴しないことになったのではないかと想像されます。
お礼
いつも丁寧なアドバイス、ありがとうございます。 >大正11年刑訴法が明治29年の本件姦通に適用されるのか、というご疑問については、答えは「否」です。ですから、大正11年刑訴法は、今回問題となっている学生さんの運命には、直接の関係はありません。 なるほど… 今日も調べてみたのですが、この学生の例は明治29年頃の姦通罪を告訴したという記録をのこしてある本からひっぱってくるのが一番有力かと思いました。 白秋の場合、少し時代が離れすぎてしまっているので、論のなかで効力があまりなくなってしまう感じがして… こういった事件の記録のようなものが載っている本がでていましたよね?? タイトルがわからないのですが、ご存知でしょうか? また、当時の文体で直接記録に残っているものと、なにか本になって現代用語で書いてあるものといのはあるのでしょうか?? やっぱり事件の引用は絶対だなと思いまして… 姦通罪で処罰をうけ、結果的に妻、そして愛人はどうなったのか。 その後の風当たりなどがわかるとなおいいのですが、 都合のいい文献はなかなかないものです* ちょうど調べたい部分がなかったり… 最悪の場合は白秋の例を挙げようと思っていますが、できれば明治29年頃の事件(姦通罪)を引用したいですね。
- shoyosi
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予審について追加します。当時の明治23年刑事訴訟法によりますと、 165条 予審判事は左の場合において免訴の言い渡しをなし、かつ被告人勾留を受けたるときは放免の言い渡しをなすべし。 第一 犯罪の証憑十分ならざるとき 第ニ 被告事件罪とならざるとき 第三 公訴の時効に罹りたるとき 第四 確定判決を経たるとき 第五 大赦ありたるとき 第六 法律においてその罪を全免するとき となっています。この第一により、免訴の言い渡しを受けたものと思います。
- shoyosi
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姦通罪は軽罪なんですか。ちょっとびっくりです。> 明治13年旧刑法は犯罪を重罪、軽罪、違警罪の3種に区分していました。それは主刑がどれに該当するかによって、区分していました。 重罪--死刑。無期徒刑、有期徒刑、無期流刑、有期流刑、重懲役、軽懲役、重禁獄、軽禁獄 軽罪--重禁錮、軽禁錮、罰金 違警罪--拘留、科料 姦通罪の主刑は重禁錮ですので軽罪です。他に軽罪は窃盗、偽証、風俗、逮捕監禁、堕胎など数多く規定されていました。違警罪は現在の軽犯罪法に該当するもので、当初は専門の裁判所が設けられましたが、明治18年以降は警察署長が量刑を処断しました。 姦通罪が受け継がれたということは、明治29年にも当てはめることができると考えてOKでしょうか?? また、夫が告訴をしたら離婚をすることが要求されるとありますが、夫側が離婚をしたくない場合は離婚をしないことも可能なんですよね?> これについては、私はよくは判りませんが、大正11年刑事訴訟法264条の規定に「刑法第183条の罪については婚姻解消し、または離婚の訴えを提起したる後にあらざれば告訴をなすことを得ず。再び婚姻をなし、または離婚の訴えを取り下げたときには、告訴を取り下げたものとみなす」、また268条3項には「刑法第183条の罪につき、相姦者の一人に対して告訴またはその取り消しがあるときには他のものに対してまたその効力を生ず」とありましたが、明治23年の刑事訴訟法には規定がありません。これは、私の判断ですが、当時の刑事訴訟法は現在と違い、検事が起訴した後で、裁判所が公判に付するかどうかを審理する予審があり、そのとき、姦通罪の成立に重大な影響を与える縦容の事実を審理します。大正11年の刑事訴訟法はこの縦容についての従来の判例や判断が明文化されたものと思います。そうしますと、北原白秋の予審審理のとき、これらの事実に、告訴の不備が指摘されたものと思います。そうだとすれば、2週間は適当な期間であったと思います。
お礼
いつもいつも、丁寧なアドバイスありがとうございます。 >北原白秋の予審審理のとき、これらの事実に、告訴の不備が指摘されたものと思います。そうだとすれば、2週間は適当な期間であったと思います。 これについて調べてみました。 はやり身内の弟が説得したことで(うまくいいくるめてくれたので)2週間で済んだとのことです。 けれど明治41年では少しあとすぎるので、現在は当時の姦通罪はどうであったかを資料など(雑誌や新聞)から探してみようと思います。 私的に苦手なのは、あの文字を読解するのがどうもだめですね。。。 まさかここまで法律に手を出す羽目になるとは思ってもいませんでした。 白秋が一番わかりやすいんですけどね。 姦通罪後、風当たりが冷たくなったことも文献にありました。 けれど時代を考えるとやっぱり明治28年~明治30年あたりの資料が 一番適切だなと… どんな資料があるかご存知でしょうか?? 片っ端から調べていかなければわからないでしょうか? 確か「民法制定史」というのがあったと思うのですが 民法がらみだとまたややこしくなってしまうので 「刑法制定史」というのは存在するのでしょうか?? 私もこれから調べてみます。 またカタカナでないといいのですが、どうも当時の文体はなれません。 避けて通れないのですが…
- shoyosi
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本刑の主語は「有夫ノ婦」ですので、女性を罰し、その上で相手方をも罰する規定です。この規定は明治41年の刑法183条に受け継がれました。また、大正11年以降の刑事訴訟法では、夫が姦通罪で妻を告訴するためには、離婚の訴えを請求したり、離婚することが要求されていました。それ以前も同じような習慣はあったものと思われます。「禁錮」が問題になっていますが、明治13年の条文では「重禁錮」となっています。「重禁錮」は軽罪(姦通罪は軽罪)特有の刑罰で「禁錮場に留置し、定役に服す(旧刑24条)」となっていて、懲役刑とほとんど同じです(当時の懲役は重罪特有の刑罰で「内地の懲役場に入れ定役に服す(旧刑22条)」となっていました。また、軽禁錮は定役に服する必要がないので現在の禁錮とほぼ同じです)。明治41年の刑法制定と同時に施行された刑法施行法2条には「重禁錮」は「懲役」とされることが規定されています。 この規定は戦後の男女平等の考え方により、廃止されましたが、日本国の治下でなくなった沖縄県や韓国では男性をも罰する形で残りました(沖縄はしばらくして廃止)。 明治41年に発行された刑法の概説書では「これを罰する所以については古来より各国、競って厳刑を以ってしたりといえども、その後、世の開明に赴くにしたがい、あるいは罰すべしといい、あるいは罰すべからざるといい、学説区々に別れたりというども、未だ全く英国を除きては、いずれの邦国(国家)もこれを罰せざるものなし。」と当時ではごく普通であることを記載し、「近来、男子という点につき、かの有婦の夫が他の女と姦したるときはまた罰すべき筋合いのものたると説くもの輩出す。現に帝国議会にもこの問題あらわれ、政治家法律家しきりに対論ありしところなるも、これもとより、道徳上の議論にして、法律上立論すべきものにあらずとの説、勝ちを制し、ついに談笑の中に埋没したりといえども、なおここに一考を要する問題なるも今は論せず」とあります。 北原白秋は姦通罪で訴えられ、2週間獄につながれました。柳沢白連は、姦通しましたが、夫の告訴はなかったようです。 韓国刑法(241条に規定があります) http://www.geocities.co.jp/WallStreet/9133/keihou2.html
お礼
重ね重ねお礼申し上げます。 >夫が姦通罪で妻を告訴するためには、離婚の訴えを請求したり、離婚することが要求されていました。 姦通罪が受け継がれたということは、明治29年にも当てはめることができると考えてOKでしょうか?? また、夫が告訴をしたら離婚をすることが要求されるとありますが、 夫側が離婚をしたくない場合は離婚をしないことも可能なんですよね? >「重禁錮」は軽罪(姦通罪は軽罪)特有の刑罰で「禁錮場に留置し、定役に服す(旧刑24条)」となっていて、懲役刑とほとんど同じです(当時の懲役は重罪特有の刑罰で「内地の懲役場に入れ定役に服す(旧刑22条)」となっていました。 姦通罪は軽罪なんですか。ちょっとびっくりです。 少し内容が難しいのですが(知識不足でスミマセン)少しやさしめに書いていただけると助かります。 >北原白秋は姦通罪で訴えられ、2週間獄につながれました。 今、白秋の例を出して論じようと思っているのですが、 どうして2週間なのでしょう?? 白秋が2週間の拘束ですんだのは弟の奔走で示談が成立してため、保釈出所、無罪免訴となったと思ったのですが、弟の効力が方に作用したのでしょうか?? どうして罪は罪なのに、弟の奔走で軽くなったのかなぁと… これは明日調べてみようと思います。 私ももっているデーターに、俊子(浮気相手)の夫は法的に離婚は未だ成立せずと白秋を姦通罪で告訴。白秋と俊子は市ヶ谷未決監に2週間拘束されるとあるのですが、 「法的に離婚は未だ成立せずと白秋を姦通罪で告訴」 とはどういったことでしょう??
- keikei184
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justinianiさん、私もそれ、よくあります。(^^; 回答が多い方が質問者さんも安心しますしね。詳しいご回答で私も参考になりました。 ・・・と、ここで投稿すると「質問の回答ではない」と削除されてしまいそうなので、少し補足を(というか、かなり補足です・・・) 明治15年の刑法では姦通を行った妻は罰せられず(353条「有夫ノ婦姦通シタル者」これは妻と姦通した男性を指すと思われます)、41年の刑法で妻も罰せられるようになったようです。この41年(改正は40年)の刑法はフランス刑法からドイツ刑法への過渡期であり、大幅な改正が行われたようです。堕胎罪も母親が罰せられるようになっていました。 私は先ほど、「相姦シタル者」は相手方の男性だと言ってしまいましたが、これは妻を指すのではないでしょうか。「戦前の姦通罪は妻だけ罰せられる」という先入観から古文を読み間違えてしまったようです。「有夫ノ婦姦通シタルモノ」これは「ヲ」が省かれていると解釈して、相手方の男性を指すと思われます。 つまり、15年の刑法の段階では妻は罰せられなかったわけですから、やはり家父長権を厚く保護した規定ではないでしょうか。その後、40年の改正で妻もいっしょに処罰する規定が設けられたように思われます。
補足
度々ご回答、ありがとうございます。 私もアドバイスをしているときに、よく投稿が重なります。 「有夫ノ婦姦通シタルモノ…」ですが、私も調べてみました。 「有夫の女姦通したるものは五ヶ月以上二年以下の重禁錮に処す」 は 「有夫の女、姦通したるものは五ヶ月以上二年以下の重禁錮に処す」 と、読点がつく感じなのでは?と思いました。 いろいろな書物で調べてみると、どうやら 妻を厳しく制裁する制度だったことがうかがえます。 >明治15年の刑法では姦通を行った妻は罰せられず うう~ん。旧民法も調べてみます!
1 現代語訳@justiniani私見 第311条 夫が、妻が姦通していることを察知し、姦通の現場において妻または相手方の男性を殺傷した場合には、夫は処罰しない。 第353条 婚姻して夫を持つ妻が、夫以外の男性と性交をしたときは、6月以上2年以下の重禁錮に処する。 2 若干の補足 311条は、要するに、妻の不倫に逆上して間男や妻(!)を殺傷しても、「妻を寝取られたら、旦那、そりゃ怒るよ。姦通するのが悪いんだ。殺されたりケガさせられたりしたってしょうがないじゃん。」ということで、夫は罪に問わないということを規定しています。昔の不倫は、文字通り「命懸け」だったわけです。 353条の「重禁錮」は、手元に文献がありませんので、未調査です。申し訳ありません。 「懲役」と「禁錮」の違いは、「懲役」は作業(現在の刑務所では、木工や織物、食品製造などですね。)を強制されますが、「禁錮」は作業を強制されずに拘禁されるだけ、という点にあります。「懲役」は破廉恥犯(*1)に、「禁錮」は非破廉恥犯(*2)にそれぞれ科される、といわれるのですが、姦通罪が「禁錮」というのは意外ですね。なぜなのか、お調べになるのもおもしろいかと思います。 相手方の男性は、規定がないのであれば、処罰されません(罪刑法定主義。法令に処罰規定がなければ処罰できないということです。)。 ・・・とここで投稿しようとすると、あれぇ?keikei184さんのご回答とダブってしまいました。keikei184さん、ごめんなさい。 *1 道徳的に非難すべき犯罪。殺人罪、放火罪等。 *2 道徳的に非難することが難しい側面を持つ犯罪。内乱謀議参与罪(現行刑法77条1項2号)などの政治犯が代表的。その他、交通事故の加害者(業務上過失致死傷。現行刑法211条前段)にも、禁錮刑が科される場合があります。
補足
アドバイス、ありがとうございます。 とてもわかりやすいです。 >昔の不倫は、文字通り「命懸け」だったわけです。 この姦通罪は自己申告なので、正確なデーターが残っていないのです。 ということは、夫側が世間体を気にして申告しなかったのでは?? と想定しています。 殺してもいいなんてとんでもない法ですね… >姦通罪が「禁錮」というのは意外ですね。 ホント不思議です。 しかも明治41年施行の方が「懲役」で明治15年施行の方が「禁錮」 というのはヘンだなぁと思ったりします。 普通は昔(ここでは明治15年施行)の方が厳しいですよね。 調べたいのですが、法学専門ではなくて文学専門なので 現段階の範囲では研究対象になりにくいですが、 もう少し上にいったら研究してみたいですね。 今、調べてみたら、続きがありました。 353条 「有夫ノ婦姦通シタル者ハ六月以上二年以下ノ重禁錮に処ス 其相姦スル者亦同ジ 此条ノ罪ハ本夫ノ告訴ヲ侍リテ其罪ヲ論ズ 但本夫先ニ姦通ヲ縦容シタル者ハ告訴ノ効ナシ」 ※姦通は刑法罰にあたる重罪として明文化されていた。 とあり、つまり相手側の男も同じ罪に値するんですね >此条ノ罪ハ本夫ノ告訴ヲ侍リテ其罪ヲ論ズ これは夫が告訴したらこの罪が待っているということですよね?? >但本夫先ニ姦通ヲ縦容シタル者ハ告訴ノ効ナシ 「縦容」とはなんでしょう?? 辞書に載っていませんでした。 奥が深いです。正直驚いています。。
- kawakawa
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再登場です。 明治時代以前において、江戸時代やそれ以前には‥ 姦通が発覚すると、妻及び姦通相手は夫の手によって殺されてしまうということが普通であったと聞いたことがあります。そして、その行為は当然のものと受け止められていたようですネ。 そういった社会的事情も考慮し、姦通を知った夫が姦通相手や妻を殺してしまっても情状酌量とするということなのでしょうネ。 本来ならば殺人罪或いは決闘罪によって処罰の対象となるところを姦通罪が絡んでいる場合には、姦通という事実を優先させて不問とするということなのですネ。 姦通罪の法律が今もあるとすれば‥ 日本の刑務所は囚人であふれており、街のそこかしこで姦通殺人が行なわれているのかもしれませんネ。 以上kawakawaでした
- keikei184
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2回目の回答をさせていただきます。 この条文は男尊女卑という側面もありますが、家父長権保護という側面も持ち合わせています。したがって、相手方の男性は家父長権を侵害したという意味で非難されることになると思います(そのため、「有夫ノ婦」と限定されています)。結婚している男性が他の女性と姦通しても罰せられません。 懲役についてですが、「懲役刑」の説明でよろしいでしょうか。懲役刑とは、刑務所に拘禁して労務作業を課す、自由刑(自由を奪う刑罰)です。同じ自由刑に「禁錮」というものがありますが、これは刑務所に拘禁する点では懲役刑と同じですが、こちらは「労務作業」が強制されません。
補足
先ほどはスミマセンでした。 そしてありがとうございます。 >(そのため、「有夫ノ婦」と限定されています)。 なるほど…ホント男尊女卑ですね。 となると女性も大変ですが、浮気相手の男性側も大変なんですね。 今回のケースの場合、 夫 妻―(姦通)―恋人(男・結婚しているかしていないかはわからない) という設定になっています。 妻の方は夫がやさしい人なので、おそらく姦通がみつかっても大丈夫だと思うのですが、相手の恋人はどうなるんだろうと調べている最中です。 結婚しているかしていないかがはっきりしていないかで罪がかわってくるのかはわかりませんが、どちらにしても恋人のほうにどんな罪があるか?またはないかが今回の重要な点となっています。 恋人はは学生らしく、この姦通が発覚したらお先真っ暗ということになります。 世間的にはどうみられるのかなども調べています。 また、この姦通罪はどのくらいの重さの法律だったのかというのも興味深いところです。 現在の二十歳以下の学生等が煙草などを平気で吸っています。 わりと軽めにみられていますよね。 この姦通罪はどうだったのかも調べています。 資料の探し方が難しいですね。 文献の検索でも「姦通」では少ないし 「家族法」などで文献がでてくるのかな?? と悩みどころです。 また補足になってしまいましたが、 お時間がありましたらお願いします。
- dai-m
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こんにちは。 「姦夫又ハ姦婦ヲ殺傷シタル者ハ其罪ヲ宥恕ス」 ですが、 「姦通者を殺害しても罪に問わない 」 ということだと思います。 宥恕(ユウジョ)は許す、見逃すという意味です。 (もっと)昔から、 「姦夫姦婦をかさねて4つにする」(2人とも真っ二つにするわけです)のは 夫に許されていたことのようですね。
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お礼
重ね重ねお礼申し上げます。 >>これは夫が告訴したらこの罪が待っているということですよね?? >大意は、お見込みのとおりです。ただ、この「待って」は、「告訴」にかかります。「告訴があってはじめて公訴を提起する(=刑事裁判にかける)ことができる」という意味になります。 言葉がちょっと違いましたね。 「告訴」や「公訴」は意味がことなりました(調べてみました) (こういった用語はどうも苦手で…) >社会の性風俗という、国家的ないしは社会的法益に対する罪として理解されていたわけです。 なるほど… 男女の差別というより、そういう世の中だったという感じですね。 >明治29年当時の「学生」は、現代の「大学生」とは異なり(mayuclubさんとkeikei184さんには失礼ですが。)、非常に高い社会的地位を有していたのではないかと思われます。 これはおそらく当時の学生は商売人とは違って 学問を必要とすることから、公務員や会社員などの仕事につきそうです。 卒業後は有望といった感じがしますね。 北原白秋と姦通罪で調べたのですが、北原白秋ここでいう浮気相手の位置にいます。時代は明治40年代なので微妙に異なりますが、 姦通罪事態はあまり変化がないらしいようです。 白秋は松下俊子の夫から姦通罪で告訴され、市ヶ谷未決監に二週間拘留、無罪免訴という結果になったのですが、なぜ2週間なのでしょう?? これは告訴した夫が期間を短くしたんですかね?? 調べてみようと思っています。