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新撰組局長の芹沢鴨

新撰組局長の芹沢鴨について調べています。 彼が局長になったあたりからは小説などでたくさん出てきますが、子供時代の芹沢鴨を全く知りません。 参考資料や、「芹沢鴨にはこんな一面があった」「こんな女性関係だった」などの豆知識、何でもいいので教えて下さい。お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • toshizoh
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.4

鈴木亨著「新選組100話」によると、 芹沢は常陸国行方郡芹沢村(茨城県行方郡玉造町)の豪士、芹沢貞幹の三男として文政十三年(一八三〇)に生まれた。幼名は竜寿、のち光幹といった。芹沢家は芹沢城下の末えいで、貞幹は三十六代目に当たる。 そのほかに同書には、 天狗党へ参加の時、部下三人と意見が合わず、首を刎ね飛ばしてしまった。その後鹿島神宮に詣でたとき、拝殿の太鼓が大きすぎて目障りだといって鉄扇で叩き破った。 その後滝ノ口の評定所で取調べを受け、部下三人の件で死罪となったそうです。そこで芹沢は絶食して果てようとし、差し入れられる握り飯など見向きもせず、小指を噛み切って滴る鮮血で辞世をしたためた。ですが、いろいろあり、死罪を免れて浪士組に参加しました。 芹沢鴨という人物は昔から、乱暴な性格の持ち主だったんですね。

kopachicco
質問者

お礼

細かい回答有り難うございます。参考にさせていただきます。

その他の回答 (3)

回答No.3

新撰組局長芹沢鴨は新撰組に入隊する前は、水戸藩の人です。尊皇攘夷を目的とした水戸天狗党の一人でした。 新撰組入隊後に関してはかなり多くの本が出ていまさので、そちらを読まれるのが良いと思います。 女性関係については、吉原の太夫(芹沢鴨よりも身分は上です)を無礼討ちにしたという話を聞いたことがあります。

kopachicco
質問者

お礼

回答有り難うございます。参考にさせていただきます。

回答No.2

「新選組始末記」子母沢寛 「新選組顛末記」永倉新八 この2冊読めば新選組に関しては網羅できる。 小説などはほとんどが上記の本を参考に書かれてるからね。 新選組(を中心にした)関する史料や古文書ってのはほとんどないのです。

kopachicco
質問者

お礼

回答有り難うございます。この二冊はまだチェックしていませんでした。早速読んでみたいと思います。

  • sorutan11
  • ベストアンサー率13% (64/471)
回答No.1

こんな,urlが有ります。

参考URL:
http://www.toshizo.com/
kopachicco
質問者

お礼

回答有り難うございます。参考にさせていただきます。

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