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聖書における仮定法の用法について
New International Version版マタイ伝24章の22節と24節に以下の記述がありますが、何れも未来のことを述べているにも関わらず、前者には仮定法過去完了が、後者には仮定法過去が用いられているように見えます。 仮定法過去完了は過去の事実に反することを仮定する際に、仮定法過去は現在の事実に反することを仮定する際に、用いられると教わった記憶があります。 日本語版聖書の記述からすれば、仮定法など用いず、通常の条件節で十分ではないかとも思いますが、英米の一般英会話の中でも未来のことの記述に仮定法過去完了や仮定法過去が用いられるのでしょうか。あるいは特別な意味を表すためにこうした表現が用いられたのでしょうか。 22:If those days had not been cut short, no one would survive, but for the sake of the elect those days will be shortened. もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。 24:For false Christs and false prophets will appear and perform great signs and miracles to deceive even the elect--if that were possible. にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。 ちなみにNew Living Translation版では次のように記述されています。 22:In fact, unless that time of calamity is shortened, the entire human race will be destroyed. But it will be shortened for the sake of God's chosen ones. 24:For false messiahs and false prophets will rise up and perform great miraculous signs and wonders so as to deceive, if possible, even God's chosen ones.
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22:If those days had not been cut short, no one would survive, but for the sake of the elect those days will be shortened. 「それらの(いずれ来る災いの)日々が(神によって予め)短く切り詰められていなかったのなら(だから実際には神はもとよりそれを短いものとしてすでに計画しているが--だから仮定法過去完了)、(その日々が来る時)誰も生き残らないであろう。だが、選ばれし民の為ゆえにそれら(災い)の日々は(実際には)長からずして治まるであろう。」ということではないでしょうか。 24:For false Christs and false prophets will appear and perform great signs and miracles to deceive even the elect--if that were possible. こちらは現在やこれからのことに対する仮定ですから、仮定法過去でよいわけですよね? 「(…のものを信じてはならない。)なんとなれば、にせものの救世主たちやいんちきな預言者たちがたちあらわれ偉大なしるしや奇跡を行なって--隙(すき)あらば--選ばれし民をたぶらかそうとするからである。」 "if that were possible" というのは、この場合「選ばれし民が欺かれるなどあってはならないが、千載一遇のチャンスをでも捉えて…」といったかんじではないでしょうか…。
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- esistdas
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1611年のKing James Versionではそれぞれ以下のようになっています。 Mat. 24: 22 And except those days should be shortened, there should no flesh be saved: but for the elect's sake those days shall be shortened. Mat. 24: 24 For there shall arise false Christs, and false prophets, and shall shew great signs and wonders; insomuch that, if it were possible, they shall deceive the very elect. shouldは、仮定法の文脈で用いられれば「可能性の非常に低いこと」を示します。KJVでもそれを意図しているのかな?と思います。 > 日本語版聖書の記述からすれば 聖書の日本語訳は、旧約がヘブライ語から、新約がギリシャ語からの訳でしたっけ?たしか英語のことはほとんど考慮せずに解釈していたはずです。これらの言語の詳細は存じませんが、英語ほど明確に仮定表現と時制とを関連付ける言語ではない可能性もあります。そうしますと、問題はただ「反実性の高さ」のみにreduceされやしませんでしょうか。
お礼
早速、有り難うございます。参考になりました。 ヘブライ語やギリシャ語の原典に忠実を期すために、あるいは過去/現在/未来を超絶した霊性体験のようなものを表現するために、敢えて英語文法上問題のある記述を行ったのかなどとも考えたのですが。 ネイティブ・スピーカーは日本の学校英語文法にはないこの種の表現を行うのでしょうか。
お礼
なるほど、そう言うことであれば、文法にもかなっている訳ですね。納得しました。