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父を一人で死なせてしまいました
私の父は75歳、会社の社長をしておりました。 私は父の一人息子です。母は離婚して今は別居中です。私も独身でしたがわけあって別居しておりました。 大変元気で、死の一週間前に会食したのが最後でしたがステーキを一緒に食べていました。3日前には電話もしております。もちろん変わった様子はありませんでした。 警察から私の職場に電話があり、父が亡くなっているのを管理人が発見したと聞いたときは目の前が真っ暗になりました・・・。風呂上りに急性心不全で亡くなったのではとの監察医の言葉が虚ろに聞こえました。 独居老人の孤独死はニュースでは聞きますが、まさか私がその当事者になるとは思ってもみませんでした。 監察医の話では「この年齢の急性心不全は、たとえだれかがそばにいてすぐ救急搬送してもほとんど助からない」と言ってくれましたが、父を一人で死なせてしまった罪の意識から抜け出せません。どのように気持ちを整理したらよいのでしょうか・・・
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なんと優しい方なのでしょう。 私もこれまで身近な人を何人も亡くしてきました。一番最近では、昨年、養父を亡くしました。 養父は何度か入退院を繰り返した後、自宅療養中でした。私たちは自営業で同居で暮らしていましたが、その日は物凄く忙しい日でした。少し、手が空いたので養母が様子を見に行ったときには既に呼吸心拍ともに止まっていました。最初、養母はその数時間前に、往診で点滴を打って貰ったので、よく寝ていると思ったようです。(肺に水が溜まっての呼吸困難による心不全だと思います。) で、慌てて人工呼吸をしつつ、救急隊に来ていただきまして、直ぐに病院に搬送され息を吹き返しましたが、2週間に亡くなりました。結局、意識は戻りませんでした。そんな訳で、私も、同居していても、養父は独りで亡くなったのだと思っております。 そして別の意味での罪の意識ってのは有ります。何故なら、逆に救急車を呼ばないでおこうか?とまで一瞬思いましたもの。下手に助かって後遺症で苦しんでいる方も居りますから。 でも、結局はその人の寿命なんだと思います。 少しくらい罪の意識は有っても良いのではないのでしょうか?そして、それを元に故人を偲べば、それも供養の一つなんだと僕は思っています。
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私の父も2ヶ月前に「1人」で亡くなりました。 ご質問者様のお父様とほとんど状況が似てます。 (父の場合は寝てる間(朝方)に・・・) 私も、わけあって一緒に暮らすことが出来ませんでした。 私の場合は前日に一緒に食事をしたんです。 それでも同じように「一人で死なせてしまった」、「なんで一緒にいてあげられなかったんだろう」と、「一緒にいればもしかしたら・・・」とかすごく自分を責めました。 私は母も病気で亡くしていますが(6年前程)、今でもその時の罪の意識みたいなのは蘇ってきます。もっと早く病気に気が付いていれば助かったんじゃないか・・・って。 大事な肉親を亡くせば、どんな状況でもそうなんですよ。 >>>>罪の意識から抜け出せません。どのように気持ちを整理したらよいのでしょうか・・・ 無理に今罪の意識から抜け出さなくてもいいと思います。 だって無理ですから。 私はそう感じた時は、仏壇に手を合わせたり、お墓参りにいったり。楽しかった頃を思い出してアルバムをめくったりします。 それから。 お墓参りなどで手を合わせてる時は必ず「ありがとう」って感謝の気持ちを込めます。 その方が両親が喜ぶような気がして。
- kaokaokao417
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お気の毒に・・・。言葉もありません。 罪の意識を感じているとのことですが、そのように感じることで、天国のお父様もきっと、「息子にいらぬ心配をかけてしまった」と心配していることでしょう。天国のお父様に心配をかけないためにも、はやく立ち直ってくださいね。それが今のあなたにできる最大のお父様孝行かと思います。
どのような状況でも親の死に立ち会えなかったことは誰もが傷つき、罪の意識を感じるのだと思います。本当におつらいですね。 お父様は社会的に成功している方ですよね。そのような立場の方が独りで亡くなったのは確かに孤独であったかもしれません。監察医の方の話では、急性心不全は救急搬送してもほとんど助からないとのことですが、せめてお父様が亡くなるときに立ち会えていたらpapaXさんの罪の意識も緩和されていたかもしれませんね。 死の一週間前に会食し、3日前には電話もしていらっしゃるのは、お父様にとって楽しいひと時であったと思います。あの世に逝かれる前にpapaXさんと楽しいひと時を過ごせた事はきっと嬉しかったと思います。 お父様のご冥福をお祈りしています。
- you-go
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突然の別れでは心残りは沢山ありますよね。 当方は結婚8ヵ月後に実父を交通事故で、義父を4年後に亡くしました。実父は一人で旅行に言った先での事故で家族の誰一人、末期に間に合いませんでした。義父は一年に一度会えるかどうかの遠距離に居た為、医師による家族の集合連絡を貰ったものの、事情により訃報より5日も過ぎてからの対面になりました。 実父は60の還暦を迎え、今まで胸に抱いて来た夢を実現させるんだと卒業までクラスメートで居られなかった負い目から始めて参加した同窓会で意気揚々と語った数ヵ月後でした。車同士の接触から2時間後、家族の居ない旅先の病院で死亡宣告を受けました。出掛ける時は「行って来る」と言って出て行ったのに、白い箱に入って帰って来たのです。悔やみました。1300ccクラスの車で出た為に側面からの接触で父の車の運転席のドアは衝撃で全部剥がれました。当時、当方が乗っていた車がスカイラインだったので「もし父に自分の車を貸していたら一命は取り留められただろうに…」 反目する事が多かった御親子でしたが、喪ってから父親の存在を、重さをヒシヒシを感じました。近くでの事故であったら駆け付けられたかも知れない、それを思わずして過ごせた日など殆ど有りませんでした。悔しかったです。悲しかったです。空ろになりました。食事もどうでも良くなりました。そして時間も経ちました。現在、他界して10年が経ちます。未だに困難にぶつかると「我が父だったら何て言うんだろう? 親父が生きていてくれたら、助言を貰えたんだろう…」 当方もそこそこの年にはなりましたが、やはり父の懐が恋しくなります。父に会った最後は事故の一週間前、「じゃあね」が当方からの最後の言葉… 義父の別れ際には地理的な問題から、集合の連絡が入っても動けませんでした。病室に駆け付けた我が相方の兄弟たちは義父の枕元で「(相方が)来てるよ」と方便をしてくれたそうです。最初の電話連絡から数時間後、「安らかだったよ」と連絡が入りました。見る見る形相が崩れていく我が相方の顔。一人にして欲しいと部屋に篭り、ドアの向こうから聞こえてきたのは悲しみの雄叫びでした。二人とも悲しみに疲れ果てて眠った翌日、我が相方に言ったのは「これだけ子供が悲しめるのは、それだけお父さんとの交流が深かったからだよ。自分たちも最期に子供が大泣き出来る程に深い関わらなくてはお父さんに申し訳ないよね。」そして再び二人で泣きました。 現在 当方夫婦の両親は皆揃って石の下に居ます。 60歳の誕生日を迎えて数ヶ月でこの世を去った我が父から見たら、質問者さんのお父様は長生きされ、それだけ長く交流のチャンスがあった事は正直な所、(言い方は悪いかも知れませんが)羨ましいです。人の始まりは予兆があるから判ります。人の終わりに予告は無かったりします。喪って胸に残るのは後悔の念が多いのは普通です。気持ちの整理なんか付きません。何をしても心に出来た穴はふさがりません。振り返って涙を流す時間が多くあっても仕方ないです。泣いて下さい。自分が無くなるほどに、子供に帰って思い出に浸って泣いて下さい。質問者さんがどれだけ悲しみに打ちひしがれて、自責の念に囚われていても日は昇ります。そして日は暮れます。取りあえず、今日一日を生き抜いて下さい。そしたらその翌日も、その翌日も生き抜いて下さい。心の汗を流したら、チョッピリだけ前を見てください。 思い出すとやっぱり胸が痛み、今だ感傷に浸ってしまうので上手に伝えられません。何の慰みにもならないのでしょうが…
- ebichu
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えーと、シチュエーションとか違いますが、 何か感じるものがあるかも…。 http://www.chironoworks.com/yuell/html/4-1.html (フラッシュ「母さんが死んだ」 注:音が出ます) 多分、どんな逝かれ方をしても、 気持ちを整理するには時間が必要かと思います。
- plasticpp
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1週間前に食事を共にし、3日前電話で話されて お父様は独居老人の孤独死だったのでしょうか? 幾ら毎日病院に付き添っていたとしても 死は突然で 結局、寂しいけれど死ぬ時は一人なんだと思います。 何で家を出たか分かりませんが 子供が親から自立して生活をしていくのは当然の事ですし どんな状態にあっても死は必ず訪れる事で病死や老衰は誰かのせいではないと思います。
- gamasan
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ご愁傷様です。 心不全としかわからないのですか。。。 心臓に関して病院にかかっていたというなら 悔いも残るでしょうが 突然の不幸ですので 同居していたとしても 時間帯によって気がつかないうち 例えば夜中とか仕事に出たあとなど どうしようもない こともある と割り切るしかないでしょうね 不遜な言い方かもしれませんが 寿命だったんです お父様の。 その時は苦しかったでしょうが 物は考えようです 私の母は癌で昨年末亡くなりました 日に日に弱って行くのを見るのは辛かったですし ある日突然目は開いてるのですが 一点を見つめる ようになり息子の私がきてるのもわからなくなり 次の日の未明に亡くなりました 人の死はあっけないものです。 長期間苦しまなかっただけでも よかったでしょう あとは 事情があり別居という部分の 事情の部分だけでしょう 親孝行したい時には親はなし と言います。 こればかりは墓前で謝ってください きっと許してくれると思いますよ。親なんですから
- sa-marurokku
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父に恥じぬように生きていけばそれでいいじゃないですか!
お礼
この場をお借りして、皆さんにまとめてお返事をする身勝手をお許しください。 今にして思えば、あれほどきれい好きだった父の部屋が、死後入ってみるとけっこう荒れていたのは、そういうところに気を回せなくなるほど弱っていたからだったかも知れません。社長をしていたと言いましたが、後から聞くと決して順調だったわけではなかったようです。 一見元気そうに見えたのは、心配をかけまいとする親心からだったのではと思うと、決して弱音を吐かなかった誇り高き父の生き様を垣間見るような気がして、やっぱり親父ってすごいなと思ってしまいます。 最期を看取ってあげられなかったのは悔いが残りますが、やはり天命だったのでしょう。はからずも納骨までしばしの同居をしている親父と、思い出話でもして静かに送ってあげたいと思います。 心温まるアドバイス、本当にありがとうございました。