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知覚が錯覚を生じさせなかったらどうなるの?
今錯覚について勉強、調べています。知覚が錯覚を起こさなかったら、私たちの感じる世界ってどういうふうになるんでしょうか?錯視もすぐにわかってしまうとか、そういうだけなんでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 学者ではないので、私の私的な想像として・・ 以下 読んでくださいね。 おおむね質問者さんのお考えとおなじです。 ただし、「錯視」は主観的な感覚なので、一度 錯視を体験して無いと「錯視がわかってしまう」なんて現象も起こりえないのではないでしょうか。 その人にとっては「分かる・分からない」も無い「日常」なのですから。 この質問の重要なキーワードは「私たちの感じる世界」という概念かと思います。 私達は赤外線を「見る」とされる「猫の世界」を知りませんし、複眼で認識される「昆虫の世界」を知りません。 こうだろーなーっと想像はできても「赤外線」がどう視覚化されるか、複眼がどう視覚化されるかは謎。 うまり、私たちの知る「錯覚のある人間の視覚」というやつも、人間の限定された感覚が生み出した現象に過ぎず、「錯覚の無い世界」は常に目の前にあるにかかわらず知らないだけではないでしょうか。 もっと簡単に言うなら、 「錯視」しない人間がいたなら、「錯視」という現象そのものが存在しないので「錯視」がどんな現象かも知りようが無く、そこには我々とは違う錯視の無い「日常」があるだけだと思います。 ーーーーーー ちょっと例えは違いますが・・ 先天的視覚異常をお持ちの方の「見ている世界」を考えてみて下さい。 その人にとってはそれが生まれてからずっと認識してきた世界なのです。 それが「他の人と違う」と気が付くのは、言葉によるコミュニケーションで「自分と違う世界」があると理解した時なのですよ。 我々もまた・・、犬の見えない「色」を見ていますし、豚とは違う3次元感覚を駆使して生きていますが・・・・ 彼ら動物が言葉を話せるなら、人間はそれは奇妙な「見ている世界」を持ってるかもしれないのですね。
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脳が把握できないことで錯覚が起こるのだとすれば、 錯覚が起きない=脳がすべての感覚を正しく、誤差なく把握できる ってことにならないでしょうか? 錯覚が起きないっていうことは、絶対的な感覚を持ち、ミスなく処理できるということになると思います 例えば記憶の錯覚がなくなるとすれば、感覚の情報すべてが、完全なデータとして脳に記憶されることになると思います それができなければ、断片的な記憶しかなく、わかることは正確にわかるが、 わからないこと、記憶しきれなかったに関しては、全くわからないということになるような気がします 錯視も、不完全な処理が原因だと思いますので 錯覚が起きなくなるということは、正確に把握できるか、処理しきれずにどうかなるか、のどちらかではないでしょうか 錯覚は、不完全な情報を埋めるように起きるのだと思います
補足
回答ありがとうございます。 >錯覚が起きなくなるということは、正確に把握できるか、処理しきれずにどうかなるか、のどちらかではないでしょうか そうですね、脳の能力が良いせいで正確に把握できて錯覚をとらえられなくなってしまうか、逆に知覚がなくて錯覚の感じることのできない状態であるかのどちらかということになりそうですね。参考になりました。
錯覚を起こさずに感じるというだけではないでしょうか? 知覚が錯覚を起こさなかったら、錯覚という概念自体がないってことですよね 錯視もおきないんじゃないでしょうか?
- kaitaradou
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No3kaitaradouです。前に書いたことの繰り返しになりますが、3次元の地球を2次元の地図に移すようなことが外界の対象を脳の中に移すことと考えてみた場合、どこかに切れ目とかゆがみを許さない限り地球を把握できる地図は作れないことを、何かを知覚できないことにたとえたわけです。この場合地球儀のほうがより正しいイメージを与えていると思いますが、それでも大きさに関する錯覚(?)がなければ地球のイメージは作ることはできないと思います。何かを犠牲にしなければ対象を知覚できないということをこのように私は考えますが、この場合の犠牲というのが錯覚に相当するのではないかということです。つまり錯覚は正しい知覚を可能にするための必要悪とも言えないでしょうか。
補足
>前に書いたことの繰り返しになりますが、3次元の地球を2次元の地図に移すようなことが外界の対象を脳の中に移すことと考えてみた場合、どこかに切れ目とかゆがみを許さない限り地球を把握できる地図は作れないことを、何かを知覚できないことにたとえたわけです。 よくわかるたとえですね、理解しやすくて助かります!
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
大変興味ある質問だと思いました。素人なりに考えてみたことを書かせていただきます。外界と対応するイメージを脳の中に作った場合、どうしてもはみ出してくる部分がしわのようになったのが錯覚ではないかと思います。いい加減な比喩で済みませんが、地球全体を二次元の地図にしようとするとどこか必ずひずみが出てきます。ひずみがないような地図を描こうとすると全体がおかしなもの(実物と対応しない意味のないもの)になってしまうはずですが、これと似たことではないかと思います。また錯覚が出ないような知覚を持った生物がいるかもしれないことも期待できます。たとえばゴキブリなどは人間が感じる錯覚を持っていないとか、彼らは全然別の世界像を持っているのではないかと思います。人の間でもそういうことはあるかも知れません。錯覚がないような人は結局何も知覚(意味づけ)できないのではないでしょうか。
補足
回答ありがとうございます。 >錯覚がないような人は結局何も知覚(意味づけ)できないのではないでしょうか。 えっと…知覚できないということは結局何も感じることができないということですよね?頭悪くてすみません。
- tsurumiki
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錯覚と言うものは一種の予測とのずれが原因じゃないかと思います。 経験則として曲がっている組み合わせなのに実際はまっすぐであるとか。(ごめんなさい、上手く表現できません。) ですので、錯覚を起こさないと言う事は逆に予測が出来ない事になるのではないかと思うのです。 そうすると当然事故が増えたり怪我をし易くなったりするんじゃないかなと個人的に思っています。 人間の能力はきっと生存に必要なものが残っている筈なのでそう考えてるのかも知れません。 愚考でした。
補足
回答ありがとうございます。 >人間の能力はきっと生存に必要なものが残っている筈なのでそう考えてるのかも知れません。 確かに人間にとって必要のない能力なら錯覚は生じないかもしれませんね!なるほどと思いました。
補足
回答ありがとうございます。 >「錯視」しない人間がいたなら、「錯視」という現象そのものが存在しないので「錯視」がどんな現象かも知りようが無く、そこには我々とは違う錯視の無い「日常」があるだけだと思います。 言われてみれば、錯視は疑わない限りそれを真実と見てしまうんですよね、参考になりました!