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太平洋戦争の一発逆転のチャンスは・・・。
8月に入り、TV番組に第二次世界大戦の特集が多くなってきました。この戦争で、日本側は多大な損害を受け、民間人にも大きな被害が出ました。 このような状況になる前に、日本側の一発逆転のチャンスはなかったのでしょうか?苦しい状況ならなんとか停戦に持ち込めなかったのですか?(停戦なんて考えてもいなかったの?)マリアナの海戦に負けた事が、大きな山場の一つだった事は知っていますが、その他の事情はあいまいにしか知りません。 どなたか、こういった歴史に詳しい方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんか?今さら何をと思われてしまうかもしれませんが、思ったままをつつ゛ってみました。よろしくお願いします。
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あまり回答が散漫になっても仕方ありませんので、純粋に質問に対応します。 日本が勝つ=アメリカに攻め入って占領する…というようなことは、さすがに誰も考えていませんでした。日清、日露と同様、有利な状況になったところで停戦して、戦後の権益を確保することが目的でした。 まぁ、そういう意味でも、一発逆転は難しかったとは思いますが、外交が上手であれば、ソロモンの攻防戦くらいまでは、逆転のチャンスはあったと思います。 まずは珊瑚海海戦。索敵と攻撃の機会を逃さなければ、敵機動部隊を相当痛めつけられたはず。そしてミッドウェー。ここは、相手に手の内を読まれていたとしても、横綱相撲があり得た戦いでした。ソロモンでは、どうでしょうね。かなり難しかったとは思いますが、徹底的な追撃と、大和をはじめとする戦力の集中があれば、もしかしたら形勢は逆転できたかもしれません。 いずれにしても、このあたりまでは、アメリカの空母も本当に少ししかおらず、日本の機動部隊が健在であれば、相当いい線行ったと思いますが、それ以降は、アメリカの空母が次々と就役して、もう可能性はなくなりました。 マリアナの時点では、もう無理だったのです。
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- PENPENMAKKY
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No6のdaizen様 硫黄島における艦砲射撃の戦果はいかがだったのですか?それだけの物量をぶちかまして日本軍は上陸前に全滅していたのですか?B29による空襲で日本工業力はゼロになったのですか?B29は無敵だったのですか?三八式歩兵銃とM1ガーランドの性能は歴然としていたのですか? 硫黄島に対する準備砲撃はほとんど戦果がありませんでした。それどころか上陸したら1日数十メートルしか前進出来ない状況だったのです。沖縄も同様で前進すれば米兵が死ぬという恐ろしい消耗戦を強いられているのです。 一方B29の空襲で失った工業力は1年で全体の40%でした。それに対するB29の損害は投入機の1/3に及んでいます。小銃に関しては38歩兵銃の発射速度が11秒に1発に対してガーランドは9秒に1発であり性能差はさほどありません。また、対日戦の主力銃はボルトアクション銃で1903年に開発された銃です。
- phantom1
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No8で回答した者です。じっくり回答者各位の意見を読んで見たので、もう一度書かせて下さい(先程は余り時間が無かったもので)。 国家総動員体制が遅れた事が敗因と仰る方が居ましたが、それは如何なものでしょうか。確かにそれも理由の一つではあると思いますが、それ以前の要素が大きすぎますね。 日本と米・英では、国民一般の基礎的技能レベルに格差が有りすぎたので、数量の面で動員すれば勝てると言うものでは無いと思います。 例えば戦前、戦艦長門に毎年新兵が配属される時、整列した彼等新兵に対し甲板士官が「この中で電話を使った事がある者は手をあげろ」と言うと、百人からいる新兵の中から手を上げる者は僅か2~3人だったそうで、(大概大都市出身者)その2~3人が伝令係に配属されたそうです。 この当時の米国では、大体何処でも朝伝えておけば、夕方には業者が電話の設置工事に来てくれたそうです。 日本には自動車が運転出来ない飛行機乗りがいましたが、これは米軍では冗談のような話でしょう。他にもこの手の譬え話は挙げればきりが有りません。 これが厳然たる日米の国力差と言うものです。
お礼
補足をいただきありがとうございます。このお話だけでも、圧倒的に国力の違いがあらわれていますね。日本はこの程度のレベルで戦争を仕掛けたのですから、敗戦は決定的ですね。
- sqwe-ir
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日本軍がスコップとツルハシでガダルカナル飛行場を建設し完成目前、 米軍の上陸部隊にガダルカナル島を占領されてしまいます。 この時、日本軍の守備隊は数百人の兵力しか無く、簡単に陥落します。 ここでガダルカナルに執着し、奪回を企て、相当数の艦船と航空機、兵力と物資を欠乏させて行きます。 この作戦は、勝っていたはずのソロモン海域をどんどん窮地に追い込む結果になりました。 ミッドウェーの場合、英軍基地のポートモレスビーが陥落すれば、イギリスは、戦争を継続する理由が無くなると思っています。 残る南方植民地はフはィージー諸島、サンタクルーズ諸島のみで、戦争してまで防衛する理由もありません。 講和してインドを守る方が頭が良いのです。 同時にオーストラリアもほぼ米軍との経路を遮断されます。 ホーネットが、陸上爆撃機を搭載してまで攻撃した理由は一体何だったのでしょうね。
お礼
お返事ありがとうございます。やはり戦略の問題もあったのでしょうか?今から思えば、なぜ?と思うような行動をとった場面がけっこうあったそうですね。戦況が変化する機会があったのに、それをいかせなかったらしいです。まあ皆様にご指摘された通り、国力、戦力、技術の差は結局敗戦の道をたどらざるおえなかったのでしょうが。
- phantom1
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他の方々も言われている通り、一発逆転のチャンスなど有りませんでした。 作家の阿川弘之氏は、「太平洋戦争最大の失策はアメリカと戦争した事だ」と言っております。私も同感です。 何とか停戦に持ち込む事も無理でしょう。特に1943年のテヘラン会談以降は絶対に無理です。何故なら、この時ルーズベルトは枢軸国を無条件降伏させる事を基本方針にすると宣言してしまったからです。
お礼
ありがとうございます。とても分かり易いご説明です。そのような宣言がなされたら、停戦はありえなかったのは、あたりまえですね。無条件降伏ですか...。アメリカは徹底的に日本を潰す気だったのですね。恐ろしいですが、これが戦争なのですね。もう人と人の醜い争いはうんざりです。
- fftec
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質問者さんは、「一発逆転のチャンス」を聞いておられるのですか? 「何とか停戦・・・」にウエイトを置いておられるのですか? 全然内容が違います。質問の趣旨を明確にしてください。 「一発逆転のチャンス」なんて有り得なかったことは、A2,A3さんのご回答の通り、厳然たる「国力の相違」です。 国家総動員体制に入るのが遅かった、ゲームレベルの感覚など、何をネゴト言っているか、と思います。 しかし、それにも関わらず、戦争に突入しなければならなかったことに、日本の悲劇があります。 こんなことを質問するより、「なぜ戦争をせざるを得なかったか?」の方に重点を置いて研究してください。 その方があなたの将来にとって、はるかに役立つと思います。 「何とか停戦・・・」の方は、いろんな人が面白おかしく言っていますが、こんなこと言ってみても仕方のないことでしょう。 とにかく、アメリカは日本を叩き潰す必要性があったので、難しかったとは思いますが、ないと断定できるほどの根拠もありません。 しかし、わたしは戦争の是非もありますが、この戦争でアメリカがとったあの残虐な行為は歴史に残る(残さなければならない)と思っています。 原爆投下や沖縄戦での民間人の殺戮、また終戦直前の日本大都市の空襲(66箇所の都市)による大虐殺等、戦争に必要ない残虐行為がいっぱいあります。
お礼
厳しいご指摘をいただきましてありがとうございます。愚問と知りつつ、あえて質問投稿しました。先ほども回答欄に記入しましたが、一発逆転のチャンスという表現はかなり大げさすぎる言い方になってしまい、誤解をうんでしまったようです。失礼しました。皆様のご説明通り、停戦に持ち込むのも難しい状況だったようですね。この戦争の悲劇は、人類が消してはならない永遠の記憶として、語りついでいかなくてはならないのですね。
- daizen
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質問者:yungqi様および回答者:PENPENMAKKY様 >大東亜戦争を国力の差で負けたという人がいますが、それは大きな間違いというかゲームレベルの会話です。軍艦だろうが、飛行機だろうが大砲だろうが、コンピューターが動かすのではありません。人が動かしているのです。 ■その人にも限りが有ります。また、軍艦だろうが、飛行機だろうが大砲だろうが、次々と失っては訓練された人がいくら居ようとも丸腰では戦えないのです。 昨日もNHKで放送していましたが、無差別爆撃の有効性をヨーロッパ戦線で確認した米国は、急遽1000機にも及ぶB29爆撃機をは発注してライン製造しています。太平洋戦争中にも大小の空母を次々と製造し戦線に投入しましたね。 たかだか南方洋上の戦い等は、所詮狭い範囲の局地戦でしかなかったのです。日本はそれが精一杯で力尽きて壊滅の道を辿ったのです。 早くから国家総動員体制に入っていたところで、単発式の三八式銃を持った兵隊と、この一発は天皇陛下から賜った貴重な一発と惜しみながら使うのと、雨、あられの如く爆弾を降り注がせる戦略の結果の差ははっきりしています。硫黄島攻略などは、沿岸にウンカのごとく艦船を配備し、藁半紙1枚の面積に1個という割合で爆弾を使っています。 零戦も被弾し易いという欠点をすぐに見抜かれ、貫通力の強い機関砲や、反対に貫通力に対して強い鋼板の対抗機を戦争開始後に作っていいます。 日本は鉄も無くなり、お寺の鐘までかき集めていますね。 木造漁船まで徴用していますね。 燃料がなくなり片道出撃や、アルコールまで使っていますね。 糊張りした紙風船に爆弾を付けアメリカ本土に放っていますね。 前線への補給物資もなくなり、現地調達を課して多くの餓死者を出していますね。 ◎勝敗は、尽きる事のない国力、生産力、技術力の相違以外の結果の何物でもありません。
お礼
ご説明いただきまして、ありがとうございます。確かに国力も生産力も技術力も何も無いのですから、アメリカに戦争を仕掛けた事事態無謀といわざるおえませんね。勝算もありえない、絶望的な戦いをしなければならなかったのですね。ところで、NO.12に回答来てますよ。
- caesar-x
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近代戦争に一発逆転なんてありません。 総力戦ですから。 一発逆転を信じたヒトラーがどうなったか 考えて見ましょう。 神風が一発逆転どころか ただの人間利用の誘導ミサイルだったことも忘れずに。 停戦の可能性は0%です。 チャーチルの言うところの絶滅戦争だったわけで、 どちらかが無条件降伏するまで戦争は続きました。 日本軍首脳部もソ連を仲介とした和平協議を 望んでいましたが、そんなことは到底実現不可能でした。 イタリアのように早めに降伏することは、 日本軍部にとっては受け入れがたいものだった以上 戦争は勝敗が決した後も一億玉砕につきすすむわけです。 マリアナ海戦の頃、日本には全く勝算がありませんでした。 戦争に勝利するなど思いも付かないほど戦況は絶望的でした。 日本が目指した最低限の目標は絶対国土防衛圏の維持、 それだけです。 基本的に太平洋戦争のターニングポイントは ミッドウエー海戦のおこなわれた1942年です。 しかしこのターニングポイントは 単に攻守が入れ替わっただけを意味します。 つまり日本軍は空母機動艦隊と優秀なパイロットを多数失っただけでなく 主導権を失い、永遠に回復することはありませんでした。 要するにミッドウエーで勝っていても 日本が勝利したわけではないのです。 また次の障害が現れるだけで、架空戦記のように 何もかも都合がよく動いたりはしないので どのみち敗北したでしょう。 というのは、日本軍にはサンフランシスコを 占領するだけの物資と船舶と燃料がなかったからです。 つまり相手を無条件降伏に追いやるだけの力がないということは どんなに抵抗しようとも、 いずれは自分が無条件降伏に追いつめられるということだからです。 総力戦では物量がものをいうので、 永遠に戦争を続けることは不可能ですから 終戦は力が弱いほうに不利になるのは明らかです。 ともかく一発逆転なんてありませんが、 ま、架空戦記のおきらくな物語でも読んで 溜飲をおろしてください。 現実はそんなに甘くないので。
お礼
ありがとうございます。どうも一発逆転という表現が適切ではなかったようですね。申し訳ありません。戦況が変わるような出来事がなかったのか?という事をお聞きしたかったのですが...。確かに現実はそう上手くはいかないし、甘くもありませんね。そうですね、お気楽な架空戦記でも読んで、せめてもの慰めとします。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
日本とドイツの最大の敗因は、国家総動員体制に入ったのが遅すぎたことです。 ドイツの場合、41年段階で閣僚から総動員体制に入るべきであると提案されたのですが、WW1の敗北の遠因に国家総動員があったためヒトラーが反対して44年になるまで実現しませんでした。皮肉なことにあれだけ空襲を受けたのに42年と44年では44年の方が生産量が上でした。 日本も同様で、国家総動員法は存在したものの実施には至らず、41年段階で、海軍航空隊の募集人員は25名という定数のままでした。大東亜戦争勃発後も、総動員体制には移行せず開戦前の建造計画のまま推移しました。その転機はミッドウェイの敗北とガダルカナルの撤退です。ミッドウェイの敗北で空母を一挙に失ったため建造計画を変更し、当初1隻のみ建造であった雲龍型を9隻に変更(僅か2年で3隻完成、3隻完成直前)、国民に対して国家総動員体制に入るよう指示します。これにより43年夏に予備役召集が実施され、11月には文系大学生の学徒出陣になります。44年には朝鮮籍国民の徴兵を開始します。 一方米国は、41年の開戦と同時に国家総動員体制に移行し、学徒動員を実施しています。ブッシュパパはこの時に志願しました。 大東亜戦争を国力の差で負けたという人がいますが、それは大きな間違いというかゲームレベルの会話です。軍艦だろうが、飛行機だろうが大砲だろうが、コンピューターが動かすのではありません。人が動かしているのです。そして技術職は今日明日で使えるようになるのではありません。米国は42年初頭から2年かけて人材を育成し、マリアナ・フィリピンの反攻作戦を実施しました。それに対して日本は緒戦の勝利に酔い、消耗戦が始まった時に慌てて人材の確保をし、僅か半年で前線に送り込み、教育が行き届いていないから敵艦に突っ込むしか能のないパイロットとなり、神風という作戦に繋がるのです。
お礼
とても細かい説明をありがとうございます。色々と良くご存知で、とても勉強になります。皆様が戦争に負けたのは国力の差だとおっしゃっていますが、お一人だけご意見が違うようで、興味深く拝見しました。確かに日本側の戦略に問題があったという人が、私の知人にもおります。どうも後半はやぶれかぶれで、計画せいも何もない戦いになっていかざるおえなかったようですね。こんなおろかな国の勝利を信じて、多くの方が亡くなったのですから、やりきれませんね。
- daizen
- ベストアンサー率38% (383/1000)
一発逆転は有り得ませんでした。 国力、工業生産力の違いは如何ともし難いものです。 当時アメリカはヨーロッパ戦線の終結に総力を挙げており、対日総力戦は後廻しにしている状況でしたので、一時的に日本が優位に立つ場が有ったとしても、それは、ほんの局地戦での場にしかならず、最終的には日本は壊滅させられるだけっだったでしょう。 日本は、僅かの駐留軍しかいない東南アジア諸国や、武力も持たない現地人、島を抑えて「勝った!勝った!」と言っていた現実に気付いて下さい。 植民地主義、覇権主義を排除する民主主義国家を掲げるアメリカは、アジア覇権を狙う日本からの宣戦布告に対して、停戦も受け入れられるはずもありません。
お礼
ありがとうございます。勝利する事も出来ず、停戦も出来ず...。もう、何のために多くの犠牲者を出してまで挑んだ戦争だったのか分かりませんね。所詮島国の人間はその程度でしかなかったのでしょうか?こんな悲しい泥沼の戦争なんか、二度としてほしくありません。日本が壊滅しなかった事だけが救いでしょうか。
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
結論から申しますと、一発逆転は無理です。当時のアメリカと日本の国力比は、だいたい今のアメリカと韓国の国力比程度です。アメリカという巨人と正面からことを構え、かつ日本側にアメリカの本土を攻略して降伏させる力がない以上、戦争がどのような経過をたどっても最終的には日本側が降伏して終わらざるを得ません。 昭和19年から20年の惨劇(フィリピン戦、沖縄戦、本土空襲、原爆、ソ連参戦)を未然に防ぐ道があったとすれば、 (1)昭和16年秋に、「ハルノートを受諾します。その線で交渉しましょう」とアメリカに伝え、交渉を始める。アメリカは、ハルノートを日本が受諾するなどとは思っていなかった形跡があるので慌てるでしょうが、交渉に応じざるを得ません。この段階では日本には「アメリカを含めどの国も日本を攻撃できない」程度の戦力を持っていますので、アメリカ側から開戦することはありません。交渉の結果中国本土から撤退するとしても、敗戦よりははるかにましなことになったでしょう。ただ、個人的には「帝国陸軍が現在に残存している」というのはとても嫌です。 (2)ご指摘の通り、マリアナ沖海戦で負けてサイパン喪失が確実になった時点で、大東亜戦争は「勝負あった」になりました。その後は、いわば「殲滅戦」です。詳しいデータはありませんが、大東亜戦争での日本の死者300万以上のうち、200万以上がこの後の約1年間で生じたと思われます。 この段階で、日本が放送を通じて 「大日本帝国はアメリカ合衆国に降伏する。ただし、大陸の部隊と居留民は当面そのまま、順次撤退」 ことを表明すれば、その段階での停戦は可能だったと思います。ただし、まだ米ソ対立の前ですから、その後の日本がどうなったかは全てIFの話になりますが。 幸い、この時点では、 (A)ソ連はまだドイツと欧州戦線で死闘を繰り広げており、極東方面の戦力は手薄。 (B)ソ連に備えた関東軍の戦力は健在。ソ連側から侵攻されても撃退可能。 サイパン喪失後、関東軍の戦力は次々にフィリピン方面に転用され、その過程でアメリカの潜水艦等で多くの部隊や装備が海に沈み、辛うじてフィリピン方面に到達した関東軍部隊は、米軍の圧倒的な戦力の前で消滅しました。 であり、昭和20年に満州の日本人を襲った、日本史上最大の惨劇は回避できます。戦争での直接死者は150万くらい減り、本土空襲も沖縄戦もありません。結果として日本の戦争被害は事実よりかなり少なくて済んだと思われます。 私が考えうる最良のシナリオはこのくらいですね。 改めまして、戦火に倒れた300万の日本人に合掌。
お礼
とても丁寧なご説明をいただきまして、ありがとうございます。しかしこれは最良のシナリオであって、実際にはこうは上手くいきませんよね。でも私のいまいち主旨のはっきりしない質問にもかかわらず、ここまでお考えいただいて、感謝しています。もう二度とこのようなおろかな戦争が、起きない事を切に祈ります。
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お礼
お答えいただきましてありがとうございます。勝利は難しいでしょうが、チャンスはあったのですね?非常にあいまいな質問でしたが、私のお聞きしたかった事を的確に分かり易く御回答いただきました。ここだという時の日本の戦い方にも問題があったのですね?いずれにしろ、最終的には負け戦は決定的だったわけですね。とても良く分かりました。どうかいつまでも平和な世であってほしいものです。こんな過ちはもう繰り返してはいけませんね。