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太平洋戦争の一発逆転のチャンスは・・・。
8月に入り、TV番組に第二次世界大戦の特集が多くなってきました。この戦争で、日本側は多大な損害を受け、民間人にも大きな被害が出ました。 このような状況になる前に、日本側の一発逆転のチャンスはなかったのでしょうか?苦しい状況ならなんとか停戦に持ち込めなかったのですか?(停戦なんて考えてもいなかったの?)マリアナの海戦に負けた事が、大きな山場の一つだった事は知っていますが、その他の事情はあいまいにしか知りません。 どなたか、こういった歴史に詳しい方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんか?今さら何をと思われてしまうかもしれませんが、思ったままをつつ゛ってみました。よろしくお願いします。
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あまり回答が散漫になっても仕方ありませんので、純粋に質問に対応します。 日本が勝つ=アメリカに攻め入って占領する…というようなことは、さすがに誰も考えていませんでした。日清、日露と同様、有利な状況になったところで停戦して、戦後の権益を確保することが目的でした。 まぁ、そういう意味でも、一発逆転は難しかったとは思いますが、外交が上手であれば、ソロモンの攻防戦くらいまでは、逆転のチャンスはあったと思います。 まずは珊瑚海海戦。索敵と攻撃の機会を逃さなければ、敵機動部隊を相当痛めつけられたはず。そしてミッドウェー。ここは、相手に手の内を読まれていたとしても、横綱相撲があり得た戦いでした。ソロモンでは、どうでしょうね。かなり難しかったとは思いますが、徹底的な追撃と、大和をはじめとする戦力の集中があれば、もしかしたら形勢は逆転できたかもしれません。 いずれにしても、このあたりまでは、アメリカの空母も本当に少ししかおらず、日本の機動部隊が健在であれば、相当いい線行ったと思いますが、それ以降は、アメリカの空母が次々と就役して、もう可能性はなくなりました。 マリアナの時点では、もう無理だったのです。
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- mitsuruw
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マリアナではなくミッドウェーでしょう。 映画でも良くやっていますが、空中戦に変化を始めている中、日本は大型戦艦に固執したのが、ミッドウェー海戦での敗因だと思います。 又唯一の停戦推進者の山本五十六が戦死してしまったのも原因でしょう。 一説には止められなくなってしまった軍部上層部に悲観して自殺同様に戦死したと言うことも言われてます。。 もともと総合力が違ってましたし、真珠湾攻撃の時も、情報は殆ど察知されて、空母は真珠湾には居なかったという事です。 真珠湾攻撃は米国の大戦への参戦の名目を作ってしまった訳です。
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お返事ありがとうございます。当時アメリカは日本まで直通で飛行機を飛ばせなかったと聞いて、どうしてもサイパンを手に入れなくてはならなかったのだと思って、マリアナと記憶してました。御指摘ありがとうございます。戦艦大和の事はNHkの歴史番組でやってましたので、少しは分かります。停戦推進者があの狂った日本にもいたことはいたのですね。とても参考になりました。
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お礼
お答えいただきましてありがとうございます。勝利は難しいでしょうが、チャンスはあったのですね?非常にあいまいな質問でしたが、私のお聞きしたかった事を的確に分かり易く御回答いただきました。ここだという時の日本の戦い方にも問題があったのですね?いずれにしろ、最終的には負け戦は決定的だったわけですね。とても良く分かりました。どうかいつまでも平和な世であってほしいものです。こんな過ちはもう繰り返してはいけませんね。