- ベストアンサー
原爆慰霊碑の「過ちは繰返しませぬから」の過ちとは?
原爆慰霊碑に「過ちは繰返しませぬから」とあるそうですが、そこでいう「過ち」とは具体的に何を指しますか? 戦争を起してしまったということでしょうか? よろしくお願いします。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
原爆の歌の歌詞などにも「過ち」という言葉がでてきますが 具体的に何が”過ち”であったかということは 作詞や碑文の起草者の意思に反して 曖昧で不明確です。 これらを読む人にとってわかったようでわからない、 伝わったようで伝わらないでは、 明示化せず、論争を避けたこと自体が、 大きな「過ち」だったと思います。 もちろん「戦争」自体を 普遍的な人類の過ちと言っているのでしょうが 見方によっては具体的な過失を意味しているようにも感じれるし、 核兵器だけや、 敗北とか、非人道的行為を非難しているようにもとれる。 起草者はそういう曖昧さを利用して 多くの過ちに対する戒めとしたかったのでしょうが 戦争が現実味を帯びなくなった現代においては 曖昧さがとりとめがないという逆に悪い効果をだして 心に響かなくなっています。 世代を経て、多くが過ちを犯したと言われてもピンときてません。 自分でやったわけでも支持したわけでもないので当然です。 そんな世代に過ちと漠然と言われてもわからないでしょう。 昔から思ってましたが、はっきりと何を戒めるのか 明示すべきです。 「戦争を繰り返さない、核兵器廃絶を目指す」と はっきり書けばいいんです。 それを明示できないこと自体が、過ちを繰り返していることと同じでしょう。
その他の回答 (5)
- aozola
- ベストアンサー率12% (72/563)
人類の過ちではないですかね、やはり核戦争は人類を滅ぼしかねないものですから、核攻撃自体が人類にとって過ちだったということではないかと。
- 2531kbps
- ベストアンサー率13% (183/1333)
「主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」 「碑文の意図するところは、国籍をこえて、この碑の前に立つすべての人間が、自国の間題、人類の1人として、二度と核戦争をしないことを誓うことだ」 http://www.hi.hkg.ac.jp/peace/jp/cenotaph.html
- mn214
- ベストアンサー率23% (306/1302)
どちらが仕掛けたかに関係なく、戦争という状態が起きてしまったことに対して云っているのだと思います。 日本が先に仕掛けようと、相手国が先に仕掛けようと戦争という悲惨な状況は二度と繰り返さないという意味だと思います。
- ajihira
- ベストアンサー率60% (17/28)
安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから 「広島の原爆慰霊碑」は、昭和27年に建立されました。この碑文は当時の浜井信三広島市長の依頼を受けて広島大学文学部教授雑賀忠義氏が書きました。建立当時から「繰返しませぬ」の部分を中心に碑文への疑問、批判が巻き起こったそうです。それを受けて、浜井市長が出したコメントを引用します。 「特に誰の過ちと指摘せず、すべての人が人類の一員として、その責任の一端を担う表現の中に、私は寛容と反省と謙虚に通じる固い決意を見出す。これを偏狭に、広島市民や日本人だけの過ちと解釈する必要はないと思う。また、過ちは繰り返しませぬから という言葉の中に、自らも繰返さないが、ほかの人々にも繰返させないように努力する意味も含まれていなければならない」 ご参考になりましたかどうだか…
- weiemes15
- ベストアンサー率28% (232/828)
慰霊碑を削った右翼はそう解釈したのでしょうね 具体的にすれば必ずどこからか反発を受けるので、主語もぼかしたりして、敢えて抽象的にしているのだろうと思います それぞれが自分の都合のよいように解釈して、できるだけ穏便に、ということでしょう