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朝鮮人慰霊碑を撤去せよと言う人たち
TBS「報道特集」を見ました。 ある地方の町で、強制連行された朝鮮人労働者が亡くなった工事現場 があったそうですが、数年前にその御霊を癒やすために慰霊碑が立て られたそうです。 しかし、その町の人たちが「慰霊碑を撤去せよ」と裁判に訴えて地裁 は却下、高裁は勝訴という判決が出たそうです。 その裁判を起こした人たちは、なにを考えて訴えたのでしょうか? 過去の先人の過ちを認めたくないのか? それとも、自分らの損になると思ったのか? それともなけりゃ、子供たちに見せたくないと思ったのか? どれも、自分が中心。唯我独尊の思考です。 そんな歴史は無かったなどありえません。 日本の国土のそこら中に朝鮮人労働者の労働の足跡があるのです。 それを分からせないように画策するのは、どんな意思かそれとも謀略 か。どう思いますか。 また、問題の慰霊碑は群馬県にあります。 群馬県知事は皆さんも良く知っている有名人です。 この問題が出てからというもの、大して行動や声明などは起こして いません。 どういうことなのでしょうか。 それも、疑問ですね。 御解答お願いします。
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- kuni-chan
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- sokohakatonaku
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お礼
回答ありがとうございます。 アメリカ、イギリス、フランスの港湾とアフリカ、ガーナの 港湾との三角貿易は黒人奴隷と小麦、トウモロコシの輸出で のことです。 日本の港湾と統一朝鮮の港湾での朝鮮人の貿易は中国大陸 からの穀物、鉄鋼などの資源、物流の意味合いから、日本 国内での労働者の補充として併用してやっていたようです。 それは、軍や軍属が直接関与している訳ではなく、企業側 が積極的に募集して雇い入れたか、それとも、借金の形で 連れてこられたか、それとも、強制的にトラックに乗せ られたかは資料が無いので分かりませんが、かなり強引な やり方だった。と言われています。 大正時代のタコ部屋労働は、昭和の戦後まで続いていたと 言われています。当時の企業自体、生産性を効率よく上げ るために、人を使い減らししていたようです。 また、薬局では現在違法薬物とされているモノまで売ら れていて、企業は大量に買い入れて労働者に注射をして いたようです。これもタコ部屋で働いていた人の証言のみ ですから、詳しい資料は残っていません。 どうも、回答者さんは何も知らされていないようで、また 自分で調べると言っても、知り合いからの受け売りだった りしているようです。 それでは、一方的な物言いになるのも仕方ありません。