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清の拡大
清代のヌルハチ、ホンタイジ、順治、康熙、雍正、乾隆の時に清は大きく領土を拡大しましたよね? このことは今現在の中国では、どのように受け止められているのでしょうか?大きな栄光となっているのでしょうか?気になったので質問してみました。回答よろしくお願いします。
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「漢民族」について考えてみたらよいと思います。「漢民族」というのは古来、黄河中流域の一帯、すなわち「中原」というところに住む人々のこと指していました。それは現在の「中華人民共和国」の領域と比べてとても小さなものです。紀元前の大昔を遡れば長江流域も四川省(三国志の劉備による王朝「蜀(蜀漢)」があった一帯)も全て異界の地でした。ですから「秦の始皇帝」も「呉の孫権」も実は“眼の色が蒼(青)かった”という伝承があります。これはもしかしたら彼らの体内に「異民族の血」が流れていたかもしれない…ということなのです(…「英雄」とされる人々特有のエピソードなど別な理由も考えられますが)。そのような意味で漢民族は人種的なものではなく“「(漢民族固有の)文化」を共有した人々であるか否か”の違いなのです(現代では先の2人[始皇帝&孫権]も当然“漢民族”という位置づけです)。 異民族王朝としてその後も元や清が挙げられますが、その実この二つばかりではありません。そのルーツなどを含めれば隋や唐などその他にもたくさんあるのです。 この主に中国を征した王朝はもともと北方より襲来して成立したものが大半ですが、その北方の地をみるとモンゴル系やらツングース系など多岐に渡ります。これらの人々の子孫は現在でもほぼ同じところに住んでいますが、彼らは現在「中国人」です。 どういうことかといえば「(文化の中枢である)中原を征することができたものしたものは皆、中国人」という発想が中国にはあり、この論理に従ってもともとは異民族であったものが時代を経るごとによって同じ「中国人」として結果的には“呑み込まれてしまう”カタチになるのです。 さて清代に至り中国は、歴代王朝の中でもその領域を最大版図に拡げる訳ですが、この領域はその後の中華民国、そして現代の中華人民共和国に“思想的”にも“現実的”にも「(その最大領域を受け継ぐべくて受け継いだ)同じ『中国』の正統なる後継者」として受け継がれています。またそうではないチベットなどの(「分離・独立」を訴えるなどする)地域に対しては“同じ論理”を盾に力ずくで奪ってきました…そのような意味で、“異民族に漢民族が屈した屈辱の歴史”などでは決してなくあくまで“歴史の一部分”として認識されていたと思います。