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仏伝の宗教的意義について。
こんにちは。 タイトルの通りなのですが、質問させてください。 私が考える仏伝の宗教的意義なのですが・・・ 仏伝とは仏陀が母親から生まれるときに右脇から生まれたなどの神話を、縁者が物語を通して伝えたものである。そして、仏伝とはさとりとは何かを感じとらなければならなく、宗教の言葉ではわかりにくいため、日常的な言葉で誰にでもわかるように伝えた。 これであっているのでしょうか??? また、もっと関連することを入れたいのですが、どういうものを入れて、意義を説いたらよいでしょうか? よろしくおねがいしますm(__)m
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こんばんは。。 レポートか何かですかね? 自分は、ただ自己流に本を読んだり、人に聞いたり(仕事でお寺さんと接する機会が多いので)しているだけで、体系だって学んだわけではないので、参考程度にしてください。 仏伝は、現在残るまとまった形に整備されるまでは、釈尊入滅後、百年ぐらいは後だと思います。ですから、「縁者」というよりは「弟子たち」が口伝えで語られてきた物語を、ある程度、型にはまった伝記として文字化したものだと思います。 先駆者が聖人化されていくこと自体は、釈尊に限ったことではありませんし、現在でも見受けられることですが、当時でもインドで一般に広く信じられていた輪廻を前提とした前世物語が作られるに及ぶと、「成るべくして成った聖人」というイメージが植え付けられ、釈尊の「教え」そのものは一般の人から、かえって遠くなってしまったのでは?と思います。(←これはあくまで現在的な見方ですけど・・・当時としては釈尊や仏教に人々の関心を向けさせる効果があったのでしょう。たぶん。) 仏伝が、釈尊の「さとり」を「誰にでもわかるように伝えた」かは、私個人の印象としては???です。 初期の仏教経典は仏伝の部分でなくても、十分に釈尊の「教え」は伝えていると思います。他方「さとり」の内容そのものを釈尊自身はあまり説いていない(少なくとも弟子たちが十分だと思うほどには説いていない)と思うのです。 また、釈尊自身が、自分の人生を多彩な装飾を交えて語ってほしい、とは望んでいなかったと思いますしね。「さとり」と仏伝とはとりあえず分けて考えた方が、かえってアプローチしやすいか?と思いましたけど。 「仏伝の宗教的意義」というテーマは、存外、難物だと思いました。どういうところに落としどころを見つけるかは、お考えいただくとして、(←回答になってねー)前述した、「先駆者(釈尊)の聖人化」がもたらす弊害については一文入れていただければ、と思います。 参考になればよいのですが。では。
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- overtone
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中村元先生の 本を読んでみよう! パーリ語の原始仏典の日本語訳解説書なんか面白いですよっっ!!
お礼
回答ありがとうございます^^ 本ですか!! 面白いなら、読めるかな♪ 探してみますね^^ 回答ありがとうございました (*゜▽゜*)
お礼
回答ありがとうございます!! 遅くなってすいません(><) 実はテストに出る問題で、ノートにメモっていたものをまとめたら、あんな感じの文になり、こちらで質問しました。 les-minさんの回答を読み、何だか私の文はおかしいな、って思いました^^; 私は仏教徒なのですが、仏教のことをよくわかりません。 でも、勉強してきて深いなぁ~と思いました。 また何かありましたら、よろしくお願いします^^ 回答ありがとうございました (*゜▽゜*)