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弓の達人といえば?
弓矢の達人はいろいろいると思います。 アーチェリーでもかまいません。 弓矢の達人の名前を教えていただきたいです。 レアな方でも構いません^^ 日本人、外国人とわずです! 歴史上での達人など知りたいです。 お願いします!
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一弓引きとして、答えずにはいられないですね。 中国ならまず養由基。春秋時代の楚の人で、史記に登場します。百歩はなれて柳葉を射て百発百中したとか。中島敦の『名人伝』にも登場します。 あとは孔子も名手だったという話があります。 当時射は六芸の一つとされ、士以上の教養とされていたので、起居進退の所作に通じていた、という意味ではないかと思いますが。 日本なら、鎧射貫き等の源義家、百足退治の藤原秀郷、鵺退治の源頼政等の伝説が有名ですね。 日本の弓術は室町期に射法の大変革がありまして、それが紆余曲折ありながらも現代にまで続いているのですが、弓引きにとって達人というとそれ以後の人のほうが馴染み深いかもしれません。 日置流祖日置弾正正次(実在しないという説が有力と聞きます)、吉田出雲守重賢(六角佐々木氏家臣で子の重政が#8さん指摘の佐々木義賢に伝授)、吉田源八郎重氏(家康に召しだされ(実際には高齢のため子が仕官)代々将軍家指南役に)、三十三間堂通し矢で有名な星野勘左衛門、和佐大八郎などです。明治以降なら浦上榮氏でしょうか。 達人とはいえないかもしれませんが、武将では細川幽斎、豊臣秀次等が有名です。 村田銃開発者の村田経芳氏はかなりの達人と聞いてます。 アーチェリーなら現代人ですが彼↓かな? 的まで30メートルで10点は直径8センチだったと思います。
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- akiradesumasu
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まだ回答に出てない人で、大島光義はどうでしょう。美濃の人。永正5年1508年生まれ慶長9年1604年没すごい長寿。年代的に応仁の乱から戦国、織豊、江戸幕府成立まで生きた。13歳の時敵を射殺、鉄砲と戦って勝つ。樹の後ろに隠れた敵兵を、樹を貫いてその首にあてた。敵方は、その弓勢に感じて、樹と首を一緒に切って、矢を抜かず光義のもとへ送ったという。信長、秀吉の弓大将。1万2千石の大名。関ヶ原では東軍で参加、家康から1万8千石を賜る。 弓1本で小さいながら大名になったなんて凄いと思います。
お礼
弓の達人はかっこいいですね~ 大島光義さんですか!ありがとうございます! 勉強になりました! 信長の時代なんですね(^^
- tohata
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三国志でしたらわかります。 黄忠、夏侯淵が有名ですね。 日本ですと那須与一が有名どころでしょうか。
お礼
那須与一って有名なんですね^^ 三国志のかたも教えてくださりありがとうございます!
- phantom1
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戦国時代(日本)の武将としては、六角義賢(承禎)でしょうか。下記URLの文章にある佐々木義賢という人の事です。
お礼
佐々木義賢ありがとうございます!^^ 日本の弓引きはかっこいいですね!
- Ren-Ks
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日本では、菅原道真、源為朝、源頼政、浅利与一、平教経も弓の名手と言われています。 また、中国では三国志に登場する黄忠、モンゴルではジンギスカンの次男のジョチ・カサル、ギリシアではアキレスを射殺したパリスが有名です。
お礼
モンゴルとギリシアにも有名なかたがいらっしゃったんですね! ありがとうございました!
- nemosan
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歴史上の人物というよりも伝説の人ですが… 百合若大臣(ゆりわかだいじん)はどうですか? 鉄の弓を使う若者が、自分を罠にかけて恋人を奪おうとした悪人に復讐する英雄物語です。
お礼
読みました! ありがとうございます! 勉強になりました!
- tatsu01
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水滸伝に出てくる人物の一人に、「花栄」という弓の達人がいます。
お礼
ありがとうございます! 調べてみます!^^
- Mock_Hatter
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もう一つ、これはまさに伝説の人物で、実在が危ぶまれている人ですが、イギリスではロビン・フッドが有名ですね。お尋ね者であるため、変装して弓術試合に出場、見事優勝した、という話は、後にウォルター・スコット『アイヴァンホー』でも名場面として出てきます。
お礼
ロビンフッドも弓引きでしたね!! ありがとうございました!
- Mock_Hatter
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那須与一、ヴィルヘルム・テルも有名ですが、確実に実在していた人物では 『史記』に記録のある前漢の将軍・李広 が有名です。
お礼
回答ありがとうございます! 調べてみます!^^
- ryuudan
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弓道ならば、源平合戦の「那須与一」。(下記サイトをご覧ください) アーチェリーならば、ウィリアム・テル。スイス独立の英雄。 <ウィリアム・テル> 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ウィリアム・テル(William Tell、ドイツ語ではヴィルヘルム・テル、Wilhelm Tell)は14世紀初頭にスイス中央部のウーリに住んだとされる伝説の英雄。史料にその名はなく、実在性は証明されない。しかしスイス人の6割は、テルの実在を信じている。 彼はスイスのみならず世界的に有名で、日本でも弓の名手として知られている。 伝承によれば、当時、神聖ローマ帝国のハプスブルク家は、アドルフの時代に強い自治権を獲得していたウーリの支配を強めようとしていた。ヘルマン・ゲスラー(ウーリのアルトドルフにやってきたオーストリア人の代官)は、その中央広場にポールを立てて自身の帽子を掛け、その前を通る者は帽子に頭を下げてお辞儀するように強制した。 しかし、テルは帽子に頭を下げなかったために逮捕され、罰を受ける事になった。 ゲスラーは、クロスボウの名手であるテルが、自分の息子の頭の上にある林檎を見事に射抜く事ができれば彼を自由の身にすると約束した。テルは、息子の頭の上の林檎を矢で射るか、それとも死ぬかを選択することになった。 1307年11月18日、テルはクロスボウから矢を放ち、一発で見事に林檎を射抜いた。テルは、もし自分が失敗して息子を殺していたならば、自分はゲスラーにクロスボウを向けていただろうと言った。 ゲスラーは、その言葉に怒り狂い、彼はテルを逮捕した。 しかし、彼はゲスラーの手を逃れて、逆に彼を射殺した。町へ戻った彼は英雄として迎えられ、この事件はスイスの独立に結びつき、反乱の口火を切った。 スイス人の中には、このスイスの英雄が、下記の通り他国人による作品を通じて世界的に有名になっていることに対して、複雑な感情を持っている人もあると 言われる。
お礼
ありがとうございます! 話に感動しました!スイスの独立に結びついてたんですね!! 覚えておきます! ありがとう!
- o24hi
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こんばんは。 まずは順当なところで、 「那須与一」。源平合戦の,源氏の英雄の一人で,弓の名人です。 あと,次は,例の高校のアーチェリーの先生です(すいません。名前忘れました。顔は思い浮かぶんですが…) http://www.city.ohtawara.tochigi.jp/sub-page/yoichi/
お礼
ありがとうございます! 那須与一は有名なんですね~! ありがとうございました!!
お礼
すごい!ありがとうございます! sammi-2837さんも弓ひいてらっしゃるのですね! かっこいい(^^ たくさん勉強になりました! 一個一個調べていきます!ありがとうございました!