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教王護国寺について
教王護国寺は 普通、東寺とも書きますが、 国語辞典や広辞苑、仏教辞典でも、なぜそういう名前があるのかのっていませんでした。 空海が天皇から簡単言えば、真言宗だけの お寺を任せられたとありますが、 教王護国の由来や意味がよくわかりません。 詳しい方いらっしゃいましたら、お願いします。
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東寺と言うのは、平安京創建当時に羅城門を挟んで東側にある寺という意味で付けられた名前で、正式な名前です。 では、教王護国寺はというと、空海の遺言書と言われる『御遺告』に「空海自ら名付けた」と書かれていて、これも正式な名前なのです。つまり、東寺・教王護国寺と二つの正式名称を持つお寺で、例えば金閣寺のように、正式には鹿苑寺なのだが、舎利殿の金閣が有名になって呼ばれる様になったものとは違うのです。 教王護国寺という名前は真言密教の根本道場という意味で空海が付けたのですが、その後に後醍醐天皇が鎮護国家のための名前だと言い出したため少々複雑になってしまったようです。 一般的には東寺の方が通りが良く、お土産屋さんなども東寺前と言った方が判りやすいので、そうしているようです。 空海と言うより、弘法さんと言った方が通りが良いのと一緒ですね。
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京都市内でタクシーを拾って、「教王護国寺!」と言ってもまず通じないでしょうね。最寄の駅(近鉄京都線)は「東寺」、バス停も「東寺東門前」「東寺南門前」などです。 東寺に対してかつてあった西寺について少々補足します。 都を日照りが襲ったとき、弘法大師と「西寺」の僧が祈祷をして、弘法大師が雨を降らせるのに成功したということがあり、西寺の僧がこれを嫉んで弘法大師を弓矢で襲ったとき、お地蔵様が現れて弘法大師を守った、という伝説があります。 羅城門遺跡のすぐ隣に今もある「矢取地蔵」の縁起です。もとは東寺と同じ規模だった西寺はこの後衰退しました。 なお、西寺の遺跡を示す石碑のある公園(西寺公園)の近くに、現在も「西寺」という寺院が存在します。
- mach_me
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西寺に対して、東寺です。 現在、西寺は遺跡しかありません。 東寺の正式名称は『秘密伝法 弥勒八幡山 普賢総持院 金光明 四天王 教王護国寺』 (=うろ覚え)だったはず。略して教王護国寺です。 と、高校の時に習いました (^0^)