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統一原理に詳しい方に

統一原理(統一教会の教義)に詳しい方に質問です。 救いの法則として、(1)真の愛を身につけること、(2)トウゲン条件を立てること、がありますが、この関係がいまいち分かりません。(1)は分かりやすく、非常に納得がいくのですが、(2)については、どう考えればよいのでしょうか?(1)と(2)はかなり異質です。(1)と(2)に主従の関係はありますか?天法として、もともと2つの法則があるということなのでしょうか?

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  • redhook
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回答No.2

> 十字架におけるたった一度の会話だけれども、そこにいたる過程に本来のトウゲンが隠されていると考えるべきなのでしょうか。 そう思いますよ。右の強盗の例は生活の中にも見られます。この前は、タイミングよく慰められたとき、その人物への好感度はすごくアップしました。タイミングよく傷つけられたら、仕返ししたくなりますし・・・ でも、「積み重ね&蕩減問題」は、別の問題になると思います。

age1118
質問者

お礼

ありがとうございます。

age1118
質問者

補足

>>「積み重ね&蕩減問題」は、別の問題になると思います。 どういう意味ですか?

その他の回答 (1)

  • redhook
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回答No.1

統一神学校(アメリカ)学生です。 RSSリーダーに偶然引っかかり、ご質問を目にしました。私の考え方ですが、お答えします。 蕩減(トウゲン)という概念があります。宗教者がストイックな生活を自身に課しつつ、「罪」と闘うこと。他人のものを壊して、ごめんと誤ること。などを蕩減と言います。(罪を減じる的意味かな・・・) 宗教的な感性を持って生活を深めるほど天(神)や人の前に謙虚になるとともに、天に対する「畏れ」多さをたくさん感じるようになりますが、その状態で神に対して感じる申し訳なさを、私は罪だと思います。 救いとは、個人的な罪意識や、連帯的、血統的、原罪も含めた本質的な「申し訳なさ」からの開放であるならば、救いの法則に(2)トウゲンがあってしかるべきでしょう。真の愛を身につけるとは、その結果の自然現象として出てくるのかな?

参考URL:
http://plaza.rakuten.co.jp/bijinnet
age1118
質問者

補足

UTSから返信があるとは、思ってもいませんでした。どうもありがとうございます。 トウゲンが主体・原因であり、真の愛が対象・結果ということですね。なんとなく分かります。 真の愛には、積み重ねというイメージがあります(私だけ?)。トウゲンにも、そういうイメージがあるのですが、一方、十字架の右の強盗のように、一瞬にして、とんでもない条件が成立することがあるようにも思います。でも、強盗自身の内的な変化はその前後において特にないように思います。これは、十字架までにおける強盗の人生というものが、そういう結果(条件成立)をもたらしたのであって、表面的には、十字架におけるたった一度の会話だけれども、そこにいたる過程に本来のトウゲンが隠されていると考えるべきなのでしょうか。

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