>「古典には古典に表現され得ない社会の根底的状況が反映されていない」のところがよくわからないのですが。「古典には古典の社会の根底的
>状況が反映されていない」ということでしょうか・それと、考古学的手法とは具体的にどのようなことなのでしょうか。
比喩としては歴史学と考古学の違いを考えてもらえばよいでしょうか。文字資料だけでは、その時代の全てを明らかにすることはできません。特に庶民社会の構造などはハイ・カルチャーには現れないのです。
従って、文字資料以外の「遺跡(ex.陶器)」を収集し、古典古代を理解しようということになります。近代考古学の前身としての古物収集(antiquarianism)です。
>ルネサンスは古典に戻ったのに対して、デカルトは、古典には戻らずに自分を信じて物事をとらえていったのですね。でも、デカルトは、古代のアリストテレスを
>参考にしたと聞いたことがあるのですが、これはあくまでも参考で、古典をそのまま持ってきたということではないのでしょうか。近代合理主義はルネサンスの
>限界を破って発展させたという認識でだいたいの所は良いのでしょうか。
はい、大体そんなところです。デカルトは、古典を完璧に理解した上で、それに満足せず、そして新たな方法論を打ち立てたのです。そこがデカルトの天才たる所以です。
もっとも、ルネサンスや近代合理主義の評価は、現在でも揺れているところがあるので、私の見解もあくまで参考ということで。
時間がないのでこの辺で。
中途半端に思わせぶりなことを書いて無責任なのですが、1、2週間ほどネットから消える予定なのでよろしくお願いします。
お礼
>比喩としては歴史学と考古学の違いを考えてもらえばよいでしょうか。文字資料だけでは、その時代の全てを明らかにすることはできません。特に庶民社会の構造などはハイ・カルチャーには現れないのです。 従って、文字資料以外の「遺跡(ex.陶器)」を収集し、古典古代を理解しようということになります。 ご回答くださって、ありがとうございます。なるほど、考古学の存在意義というのはそこにあったのですね!!なるほど、確かに文字情報だけだと、庶民の生活はあらわれてきませんね。そこに歴史学と、考古学の違いがあるんですね。とても参考になりました。 >デカルトは、古典を完璧に理解した上で、それに満足せず、そして新たな方法論を打ち立てたのです。そこがデカルトの天才たる所以です。 なるほど、デカルトは古典を理解して上で、新たな方法論をうち立てたわけですね。確かに新しい知の体系を想像するとはスゴイ人だったんですね。