• ベストアンサー

金融と経済成長に関する疑問。

金融の世界では、為替や株など色々な取引で利潤を生み出しますが、このような利潤は物を生産して利潤を得るのと違い、社会全体では豊かさが増したとは言えないような気がするんですがどうなんでしょうか? 経済学についてはあまり勉強してないので、単純な疑問として見てください。その上で、何か参考になるような本があったら是非教えてください。お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

金融とは文字どおり、「お金」を「融通」するということです。つまり、お金が余っている人から、お金が必要な人に、貸し借りを行うことです。 あなたが大きなビジネスのアイデアをもっていたとしましょう。でも、お金を持っていなければ、それを実現できません。一方で、お金が余っているけど使い道の無い人がいた場合、この人が何もしなければ、お金からは何も生まれません。ここで、あなたのアイデアと、余っているお金が出会えば、新たな生産活動ができるようになり、社会の豊かさが増すのです。これを仲介するのが、金融の世界なのです。 さて、ある人が、余っている資金があるとしましょう。でも、この人は、半年後に大きな出費が必要だとします。そうすると、実現に5年かかるビジネスプロジェクトに出資することはできません。しかし、そのプロジェクトが株式会社によって行われているのなら、この人は、今株券を買って、半年後に売ってしまえばいいのです。このように、株式という制度があるおかげで、資金とアイデアがうまくマッチできる可能性が高まり、社会全体の豊かさが向上しているのです。

その他の回答 (3)

回答No.4

今日は少し違うお話をしてみましょう。 大昔、 と言っても日本の場合ですと弥生以前ですが、 (縄文時代ですね(^。^ゞ) 労働人口100人あたりの食を確保する為に およそ100人の労働力が必要でした。 また、必要な食が確保出来なければ 餓死して人口が調整されていました。 その時代は狩りや果実の栽培や収穫を行い、 食をやりくりしていました。 弥生に入って一気に生産性が向上し、 専ら農業に従事する者、 道具を作る者、 政を司る者、 等が発生してきました。 生産性が2倍に向上すると 100人の食を50人でまかなえます。 更にその倍向上すると 100人の食を25人でまかなえます。 そうして社会が発達し、 文化文明が発育して参りました。 食べる為だけに生活が存在していた時代と異なり 余暇が発生し、 職種も多様化して参ります。 この時代になると特産品が発生し、 同時に流通が確立してきました。 貿易が始まったのもこのころです。 今、アメリカは農業大国であり農業輸出大国でもあります。 これは、広大な耕作地を大規模に運用している結果であり、 生産性が大変に高くなっているわけです。 数人のスタッフだけで 何万人分もの農業生産が出来るようになったからこそ、 残りの人間が、生産以外の職業に従事出来るようになったのです。 それらは2次、3次、4次産業と発達して参りました。 1次産業の生産性向上、2次産業の生産向上が有って初めて、経済は発達出来るわけです。 これが社会全体の豊かさであり、 『物を作る事が経済活動の中心になっている』 と言う生産効率や経済効率の低い状態ですと、 娯楽、レジャー等のサービス業は存在し得ず、 貨幣経済は成り立たず、 例えば、 自分の作った米を持って、 他の人が作った鍬や鋤と交換してもらうという状況になります。 貨幣経済による利潤が、 次の消費や投資に廻る事により、 さらに次の経済活動を発生させ、 社会を豊かにしていきます。 このとき、物を作るという行為が経済の基幹であるならば、 その社会における消費は、 まさしく物質の消費社会になり、 社会全体、地球全体に対し望ましい事ではありません。 さて、物理的な生産物を直接生み出さない経済活動の代表に貿易があります。 世間一般では貿易は大変儲かると言われており、 実際、貿易は大変な利潤を生み出します。 日本で申しますと 古くは倭国や奴国の時代から 富の源泉でした。 もし機会が有れば次回は「貿易は何故利潤が出るのか」 について。 こちらが儲かるという事は 向こうは損しないの? と言う疑問を持った事はありませんでしょうか? 実は双方儲かるのです。 その双方の儲けが経済を発達させ、 社会を豊かにするわけです。

noname#173609
noname#173609
回答No.2

こんにちは。 素人考えですので、求めておられる回答にはなっていないと思いますが。 恐らく、質問者さんの思っておられる通りだと思います。 「虚業」と「実業」という言葉がありますが、金融とか証券の世界はまさに虚業であるという認識が必要です。 仮に質問者さんが株に10万円を投資して、11万円回収したとすると、儲けの一万円はどこかからやってきたのでしょう。 質問者さんが労働を行なっていない以上、必ずその裏には世界のどこかで損をした人がいる筈です。 虚業は何かを生み出すのではないのですから、仰るように社会全体でみれば行って来いの世界だと思います。 「豊かさ」ということで言えば、国と国、地域と地域、会社と会社で「豊かさ」を取り合っているのでしょう。 先ほどの株の例でも、質問者さんらの投資によってその会社が金銭的に潤い、 事業を継続・拡大することができるようになったかもしれません。 これは、質問者さんの周り(日本)においては豊かになったといえますね。 もちろん、損をした人はどこか遠くにいるのですが。 また逆に、日本の会社に投資する人がいなくなれば、会社は倒産して失業者も増えることになります。 ただこれも、世界全体でみれば、このお金が他所に回って同じぐらい得をした人もいるのでしょう。 現在ではこの虚業が実業を隅に追いやり、国を盛衰を左右するほどのパワーを持っていることも事実です。 世界がそうやって動いている以上、仕方の無いことかもしれませんが、 人間の根源的な活動からは少し外れているような、多少の虚しさを感じることがあります。 ほら、答えになっていないでしょう。 長文申し訳ありません。

回答No.1

経済活動とは、決して何かモノを作ったり、モノを消費したりすることだけではありません。 モノを作るという経済活動は2次産業と考えて良いわけですが、 農業などの1次産業、 工業などの2次産業、 金融やレジャーなどの3次産業、 M&Aのようにノウハウや知識を提供するなどして業務を行う4次産業と分類してみましょう。 そのとき、どの産業が最も盛況であるかを考察します。 1次が盛況な社会よりも2次が盛況な社会の方が、 社会や経済は豊かです。 2次よりも3次が盛況な方が社会は豊かです。 金融やレジャーが広く大きく成り立っている社会は、 金融やレジャーを享受する人間が多くいるという事ですね。 そしてはやり3次よりも4次と言えます。 1次が盛況な社会は日本で言えば 飛鳥から江戸の初期でしょう。 2次が盛況は社会は 明治維新から昭和初期でしょう。 或いは戦後間もないころ、 日本の基幹産業が 蚕(絹)や造船だった頃まで含んで良いかもしれません。 その後、マスコミが発達したり、 レジャーが普及したりして3次産業のウェートが増してきたわけです。 そして今、 ネット上で商いする場を提供したり、 情報を提供する事を中心に据えた産業は 4次産業と呼んで良いと思います。 今が豊かかと聞かれると考察が非常に困難ですが、 デフレ傾向にありながら、 日本国民の可処分所得は 年々バブル期よりも上昇してきておりますし、 精神部分を除けば、数値的には豊かと言う事も出来ます。 さて此処に限界消費性向と言う言葉があります。 これは、収入の内、どれだけを消費に回すかという割合を指すモノです。 例えば、月収が10万円のとき、9万円を使い、1万円を貯蓄すれば、その人の限界消費性向は9割です。 また、月収100万円の時、30万円を使い70万円を貯蓄すれば、その人の限界消費性向は3割です。 バブルの頃はこの割合、今より少し高かったように感じますが、 概ね日本人全体を平均してみた場合、限界消費性向を7割程と仮定しましょう。 で、これを前提に、消費活動と経済効果を考察してみましょう。 例えばあなたが、マッサージさんに肩を揉んでもらうサービスを行ってもらい、その代金として1000円を払ったとします。 マッサージさんはその収入1000円の内、700円を使います。 観光地で人力車に乗せてもらって700円を払ったとします。 すると人力車さんはその内、490円を使います。 人力車さんから490円を受け取った人は 又何らかに343円を使うでしょう。 最初にあなたが払った1000円は、 この時点で2533円の経済活動を生み出しました。 そうする事によって、経済は廻っていくのです。 書籍ですが、 例えば『サミュエルソン経済学』は如何でしょう。 これなら誰が読んでも簡易に理解出来ますし、 この本の良い所は、 1948年に初版が発行されて以降、 その時々の情勢の変化や考察の積み重ねにより、 50年に渡って定期的に改訂され続けている事だと思います。 では、参考にならなかったかもしれませんが…お許し下さい。

関連するQ&A