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「血のつながり」の由来は?
血のつながり、って言葉がありますよね。要は遺伝的なつながりのことです。 何故、遺伝を「血」で表現するのでしょうか。 例えば、昔の人は「心臓」という言葉通り精神は心臓にあると考えたようですが、おそらくそれはビックリすると鼓動が速くなるとか精神的な活動が心臓にダイレクトにあらわれたからでしょう。 遺伝のことを「血」で表現するのも同様に何かの現象から連想が働いたのではないかと、思うのですがどうでしょうか。 また、英語でもBLOOD(=血)という語で同じように遺伝的な関係を表すようですが、こういう発想は世界的に広く存在しているのでしょうか。
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流動性が高いので、「受け継い」だり、「分け」たりする イメージにピッタリだったからではないでしょうか? また、世界的か?という点に付いては、 中国語の「血」(xue)にも、血統という意味があるようなので、漢字文化圏にはあるでしょう。 また、ラテン語のsanguis にも、その意味があるので、ラテン文化圏にもあると思います。 ドイツ語のBlutでもそうなので、ゲルマン文化圏にもあるのだと思います。 ただし、後者の二つは、キリスト教の影響を強く受けている地域なので、キリスト教にそういう発想があれば、それに影響された可能性があります。 (つまり、それ以前にさかのぼって調べないと、世界的な発想かどうかは分からない、ということ) とはいえ、漢字文化圏、キリスト教文化圏(たぶん)である、ということは、人間がかなり普遍的に感じるイメージであることは確かだと言えると思います。
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- noribou11
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おもしろい質問だったので、私も書込みさせていただきます。 子供ってどうやってできるの?と訊かれたら、「精子と卵子」 という発想は現代人ならば常識ですが、顕微鏡が発達した 時代の発生学でも精子の頭部の丸いところに小型人間が入って いて、それが母体で大きくなるんだという説が大まじめで 語られていたこともあるくらい神秘だったんですね。 そんな時代も現代も妊娠には変わらない現象があります。 それはつまり、妊娠すると生理が止まることです。 現代でこそ、受精しなかった場合の老廃物を捨てる現象と 理解されていますが、当時はあの血こそ妊娠に必要なもの という認識がありました。つまり、子供の身体作りのための 材料が血であるということです。だから、女性の子宮は常に 一定の血液で満たされていて、子種が入ると(魂でも精子でも) そこから子供が出来てくるという発想になったと考えられます。 まあ、実際の医学で言えば、でたらめもいいとこで、 母親の血液と胎児の血液は絶対に混ざらないんですからね。 昔、ドラマで血液型が同じというだけで本当の親を発見なんて ことがありましたが、親子で血液型が違う方が多いんです。 ちなみに血そのものが魂だという意見がありましたので、 私もそれに関して追加すると、昔の戦の戦死の原因は戦闘に 関して言えば、出血多量でショック死がほとんどでした。 そんなとき、死にかけのものを生き返らせる方法として なんと輸血を提案した人がいました。すごい天才です。 実際に王の前でも成功したから、これで戦力倍増の勢いだったんですが 発想はよくても現代医学を知らない悲しさか、足を早くするには ウマの血を輸血すればいいとか言い出して、結局は魔術使いの烙印を おされて、この方法は葬り去られました。 日本軍だって、人の血が足らないときに豚や犬の血で代用できないか 本気で考えていたらしいですから、血液のことが分ったのは ほんとに最近の話しなんですね。
- i-junkie
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肉体が分かれて、子どもが生まれてきます。 でも「肉体のつながり」とか「体がつながっている」というと物理的な話になってしまうので、「血=霊液つながり」という方がいいと直感的に思ったんじゃないでしょうか。「血」は、「赤」というショッキングな色ですし、「液体」というのは流動的で「霊魂」につながるものがありますし、先の方がおっしゃっているように「肉体に不可欠なもの」ですから。 それが「遺伝」であるとかどうとかいうのは、医学が発達して後で判明したことであって、当時は遺伝を「血」と言ったのではない、と思います。
- paatje
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#3への補足です。 調べてみたところ、ギリシャのソフォクレス(495?-406 B.C)の作品の中に、血(αιμα)を血統の意味で用いた ο προσ αιματοσ (one of the blood or race) という表現があるようです。(Greek-English Lexicon, Oxford) また、アイルランドの伝説では、クーフーリンが デボルギラの傷口を吸っているうちに血を飲みこんで しまったので、彼女と結婚できなかった、という 血を親族関係(のタブー)の象徴として使った 表現があるそうです。(「イメージ・シンボル事典」大修館) これらのことから、キリスト教の影響を受ける前の西欧においても、 血を血統の象徴として捉えていたようです。
- ekubo
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誕生の瞬間が大きく影響していると思います。赤ん坊は、まさしく母親の胎内から母の血とともに生まれてきます。古代日本では、同母の兄妹・姉弟の結婚は、たとえ父親が異なろうとも認められませんでした。しかし、異母ならば父親が同じであっても許されました。古代社会に母系社会が多いのもこのことによると思われます。 血と乳がともに「ち」であることは、やはり、母親(女)のつながりに大きな意味があったのでしょう。
質問の中にすでに回答があるようですが、少し補足します。 顕微鏡を知らない古代の人間が血液の何たるかを知る由もなく、血液は心臓(肉体的にも精神的にも最も大切な器官)から流れ出る、その人自身の一部と見なされたのでしょう(事実その通りですが)。それを象徴するのが体の一部を切って血を交える、或いは飲む義兄弟の契りであり、血判の習慣であり、またキリスト教のワイン(キリストの血)パン(キリストの肉体)だと思います。 血の繋がり、血が濃いか薄いかは動物にとっても原始人にとっても重要なことでした。近親結婚を避けるため動物は(人間も)色々な習慣を生み出しています。法律で規制が出来ない動物は、例えば、雄が生殖能力をもつと群れから追い出され放浪の末、他のグループに受け入れてもらいます。 血について昔の人がどのように考えていたかは格言や成句にも現れています。 *血は水よりも濃い *血が通う *血で血を洗う(同胞同士が合い争う、他) *血と成り肉となる *血をすする(心から固く誓うこと) *血を引く *血を分けた
昔の人はたしか、血液を魂の一部だとか、そんなふうに考えていたんじゃなかったかと思います。 たとえば、事故で出血多量になることはイコール、魂が抜ける、なわけです。 昔誰かからか話をきいた話なんですが、この話が正確かどうか忘れてしまいました。
お礼
皆様、回答ありがとうございます。 本来ならば、それぞれの方にお礼をさしあげるべきですが、noribou11さんの場所をお借りして皆様へのお礼をさせていただきます。ご容赦下さい。 ありがとうございました。