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童謡「唄を忘れた金糸雀」はどうして唄をおもいだすのですか?

童謡の「唄を忘れた金糸雀」というのがあります。 それの最後は次のような歌詞です。 唄を忘れた金糸雀は 象牙の船に 銀の櫂    月夜の海に浮かべれば 忘れた唄をおもいだす どうして、象牙の船に銀の櫂を作って月夜の海に浮かべれば、忘れた唄をおもいだすのでしょうか? 意味がわかりません。 カナリヤは鳥ですから、船や海と関係があるとは思えません。 月夜というのはロマンティックでいいのですが。 どなたか、合理的な解釈ができるひといますか? よろしくお願いします。

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  • chatea
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回答No.1

以前、国語の先生に聞いた話ですが、このカナリアは、作者の西条八十自身であり、創作活動に行き詰まりを感じていた当時の心境を歌詞にしたものだそうです。 それからすると、どんな詩を作ればいいか分からず「唄を忘れたカナリア」になった彼は、詩を捨てたほうがいいのだろうか、ひっそり消えて忘れられたほうがいいのだろうか、それとも無理にでも詩を作ったほうがいいのだろうかと悩みます。 しかし、そんなことではいけない。世界には、まだまだ詩となるべき美しいもの、素晴らしいものが満ちているはずであり、自分はそれに気が付いていないだけだ。それを見つけることができたなら、忘れていた唄をまた自然と歌えるようになる(=詩を作れるようになる)という思いを込めて、この童謡を作ったのでしょう。 つまり象牙の船も、銀の櫂も、月夜の海も、詩人の創作力をかきたてる材料の象徴なのだと思います。 この歌詞が、誰かそういう材料を与えてくれとせがんでいる気持ちの表れなのか、苦しみながらも、自分でそれを見つけようとしているのかは分かりませんが、彼のその後の生き方を見ると、なんとなく後者のような気がします。

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