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大正末期の娘さんの生活について教えて下さい。
関東近辺の都会の大きな商家に生まれ育ち、15歳で嫁入りしたお嬢さんとなると、どのくらいの教育を受けているものなのでしょうか。 女学校がある時代ですが、15歳までには卒業できないと思います。 15歳くらいまでに卒業できる花嫁学校(?)みたいなものはあったのでしょうか。 『はいからさんが通る』で女学校に通っていた紅緒さんは15歳以上だったような気がしますし・・・。 お金持ちのお嬢さんなので、読み書き算盤など最低限の教養は身に付けると思うのですが、そういうものはどこで身に付けるのでしょうか。 当時の風俗に詳しい方、どうぞ教えて下さい。 宜しくお願いいたします。
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戦前の風俗に興味があったので、浅学の素人ながら投稿させて頂きます。 戦後の画一化された6・3・3・4制と違って、戦前の学校制度は多元的でした。背景としては、戦前の社会が貧富の差による階層社会であり、それに応じて選択肢の幅が大きかったということだと思われます。 ご質問の時代に適合する学校制度は、参考URLの第4図です。義務教育は、尋常小学校(6年制)のみで、その後の女子の定型的な進路は、高等女学校(4年制)か、または高等小学校(2年制)への進学でした。前者は、裕福な家庭の娘か、強い向学心のある女子の進学先で、進学率は2割程度だったかと思います。それ以外の者は、後者に進学していました。こちらの進学率は、私見では6~7割?あったかと思います。(正確なデータは未確認のため、御容赦下さい) 15歳で結婚した場合だと、あくまで一般的な推測になりますが、(1)高等女学校在学中に結婚したため退学した、(2)高等小学校を卒業し1年間は花嫁修業をして結婚した、という2例が考えられるかと思います。 高等小学校卒業であっても、義務教育ではないので、当時としては、ある程度の教養は身に付いたようです。 ちなみに、ご質問の時代よりは10年くらい下り、しかも田舎ですが、私には大正生まれの伯母が数人おります。その中で高等女学校に進んだ者は一人だけで、それなりの旧家に嫁ぎました。それ以外は高等小学校卒業で、嫁ぎ先は一般の農家でしたが、身内の目から見て、われわれ戦後世代(高卒)よりも、それ相応の一般常識はあるように思えます。概して、戦前の教育内容は、現在と比べてレベルが高かった(強制的な教育方針)のかとも思われます。 以上、推測を前提にした回答になってしまいました。ご質問の本旨に幾分かでも合った部分があれば幸いです。
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- choijiwoo
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現在、NHKのBSで「あぐり」が放送されています。参考になります。 でも、このサイトより図書館へ行った方が・・・。
お礼
「あぐり」ってそういう内容だったんですね。 今度図書館で原作を借りてきます。 どうもありがとうございました。
お礼
とても参考になりました。 どうもありがとうございました!!