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倫理学の根本問題
倫理学の役割と問題を教えてください! 分からなくて困り果てています・・・ ちなみに倫理学の中で、正義って何ですか? 倫理学の授業なのですが教科書がなくて・・・(+!+) 分かる方がいらっしゃいましたらお願いします!!
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- zenzenzen
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無我,中庸なる立場によってなされる 調和への努力 の道. 平和への道具として. 己が器として利用される為の.
- ghostbuster
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ちょっとことばが足りない部分があったので、少し補足しておきます。 #1の回答で >人によって、場面によって、意味を変えていくことばを使っていては、学問としての倫理学や哲学は成立しません。 と書きましたが、この部分は問題があるので、ちょっと書き直します。 倫理学として「優しさ」という問題が扱えなかったとしたら、たとえば医療倫理などを考えていくときに、さまざまな立場にいるひとの気持ちを汲み取っていくことができなくなります。そうした人間に関わる曖昧な領域をもすくい上げていかなくては、実践に応用できませんね。 規範自体は、普遍妥当性を目指すものですから、できるだけ厳密なことばづかいが求められます。けれども、その規範が根拠をもったものであるかどうか検証していくときは、事実に関するできるだけ広範で正確な知識が求められます。そのときは、厳密には定義できない感情なども汲み取っていくことが求められていくと思います。
- ghostbuster
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倫理学とは、人間の行動の規範を考える学問です。 わたしたちを取り巻く社会には、さまざまなルール(「規範」)があります。 してよいこと、してはいけないこと、そうしたルールを決めるときの「根拠」を考えるのが、倫理学です。 ある「ルール」を作るとします。 たとえば、“自分のモットー”のように、自分ひとりにしか関係がないルールであったとしても、それは最低限、自分自身を納得させるものでなければなりません。 大勢の人に当てはまるようなルールを考えるときは、さらにその「根拠」は重要になってきます。 その「根拠」が「わたし」ひとりにとって「正しい」ものであっても、ほかの人を納得させることができなければ、ルールを支えることはできません。 ですから、その「根拠」はできるだけ筋道の通った、論理的なものであることが必要になってきます。 共同体の規模が大きくなればなるほど、個人の価値観や考え方、習慣や生活、あるいは宗教といった、さまざまな要素が加わってきますから、いっそうルール作りはむずかしくなっていきます。 そういうとき、筋道の通った、論理的な考え方をしていくための道標を提示するのが、倫理学なんです。 倫理学では(哲学でもそうですが)、多少普段とちがうことばづかいをします。 たとえば、この質問の少し上のほうで、「優しさ」がどうとかという質問が出ていますが、倫理学や哲学では「優しさ」ということばは扱えません(※その質問自体を批判する意図は毛頭ないことを念のため申し添えておきます)。 それは、ある行動がたとえ「優しさ」に基づくものである、と、そのときの「わたし」が思ったとしても、受け手の側がそう理解するかどうかはわかりません。あるいは、後になって考えてみれば、わたしは「優しさ」でやったつもりだったけれど、実際は別に動機があったんだな、と気がつくような経験はだれしもあるでしょう。 そのように、人によって、場面によって、意味を変えていくことばを使っていては、学問としての倫理学や哲学は成立しません。 したがって、倫理学ではまずことばの定義から始めていきます。 「善」とは(それに対する「悪」とは)なにか。自分は何を「善い」ものとするのか。 「正義」とはなにか。何を「正しい」とするのか。 これは人(哲学者or倫理学者)によってちがいます。 それを明らかにする、そうして、なぜそう言えるのか、そう定義することが普遍妥当性を持つのかを論証するのです。 つまり、ここでは「ことば」と「思想」が非常に密接な関係を持っています。 >倫理学の中で、正義って何ですか? 上にも書いたように、これは人によってちがいます。 アリストテレスの「正義」とロールズの「正義」はまったくちがうものですが、ともに、それぞれの思想の核心部分でもあります。 倫理学を学ぶ、ということは、こうしたことばと論理の展開のさせ方を学んでいくこと、そうして、具体的なもんだい(たとえば人をどうして殺してはいけないのか、といった問題や、臓器移植などの問題)に応用できるようにしていくことだと思います。 教科書がないとのことですが、 加藤 尚武『現代倫理学入門』(講談社学術文庫) トマス・ネーゲル『コウモリであるとはどのようなことか』(永井均訳 勁草書房) あたりがおもしろいのではないかと思います。