• ベストアンサー

情けは人の為ならず(○^▽^○)

こんばんは。 情けは人の為ならず・・・と言いますが、 情けは、人の為にもなると思います。 みなさんは、どうおもいますか? また、人の為になるのは、なんですか? ★聞いたからといって、実行するわけではありません。☆

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yuu6139
  • ベストアンサー率8% (12/136)
回答No.5

こんばんは (質問者さんはこの諺の意味を正しく理解したうえでの質問でしょう) 確かに「情け」は自分だけでなく、まわりの人を助けることが多いと思います。 かと言って[give and take 」の「take」を期待しすぎると、トラブルの 元だと思います。

w_letter
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 ちょっと、飛んだ解釈になるかもしれませんが、 情けは人のためだけでなく、めぐりめぐって我にかえるが、かえりを期待しすぎるとトラブル発生!! というような感じでしょうか。

その他の回答 (12)

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.13

>私は、文章を読むときに、その文章を国語的に正しく解釈することだけが重要であるとは、思っていません。その文章に対して、どのように感じ、どのように思うか、それは人それぞれだと思っています。 それなら、ご自身が私の最初の回答を曲解してもそのままにしておけばよかったのでは? 私は誰かが書いた文章を読む場合、相手が何を伝えようとしているのかできるだけ正確に解釈するよう努めます。 その伝えたい内容について、どのように感じ、どのように思うかは人それぞれだと思いますが曲解してそれで良しとは思いません。 この点こそが大きな違いですね。 人それぞれ、色々いるから面白い。www

w_letter
質問者

お礼

再度、ご回答、ありがとうございます。 >それなら、ご自身が私の最初の回答を曲解してもそのままにしておけばよかったのでは? 意味が、よくわかりませんが、最終的に、回答者さんがナットクされたのなら、それでよろしいと思います。

noname#193975
noname#193975
回答No.12

質問と併せて補足も伺ったうえで回答します。 まさしく相手次第。 ザルの如きひとの実在する悲しさですね。 ただ己を律するに心に留め置くのは良いかもしれません。 人の為になるのは温もりだと思いますが、この温度が難しいものです。

w_letter
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >人の為になるのは温もり これって、温もり=情け、と受け取ればいいのかなぁ。それとも、温もり≠情けなのかなぁ

回答No.11

情けは人の為に、なりますよ。 だってそうじゃないですか 例を挙げるならば、いわゆる社会資本 これって、この地域は交通の便が悪いからって事で その地域に新しい道なり、橋なりを造る事により 最初に言い出した人だけでは無く、それを使う全ての人に恩恵が与えられる そこにはその社会資本を、整備した人間も含まれますから だからこそ「情けは他人(ひと)の為ならず、廻り廻りて(めぐりめぐりて)我が身の為に」なんです

w_letter
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 情けを、社会資本と考えるわけですか。 このように、感じたり、思ったことはありませんでした。 新たな、見識を1つ与えてくださり、ありがとうございます。

  • ok2775
  • ベストアンサー率20% (102/487)
回答No.10

情けは人の為ならず・ このことわざは自分としてはこんな解釈をします。 それは、人に情けをかけるということは、自分の心の充実感(満足感) ではないかと思います。 大体回答者NO1様と同じように考えてしまいますがそれも合っていると思えますが 人に恩(情け)をかけてあげておけばいつかは自分の身にも帰ってくるということを 期待するのは本当の情ではないと思えるからです。 たとえばバスに乗っているとき見ず知らずの人が財布を忘れて乗ってきて困っている 時その人のバス賃を出してあげる(金額では300円くらいまで)。 この時の出してあげたバス代は戻ってこないでしょうし、事によればだまされたかも しれませんが、バスの中で黙って見過ごすことがいいのか、あるいはバス代をだしてあげる ほうが自分にとってどちらがその日一日気持ちがすっきりするかということです。 ですから情けは自分の心の充実に継がるのではないでしょうか。 また、「人の為になる」とは見返りということを全然考えないでする行為のことではないかと 思います。 これもたとえばですが、親友の困ったときの話を聞いて相談に乗ってあげるなどは身近の 「人の為」の例と思います。(見返りなんかは全く頭にないから) あまり適切な例ではないかもしれませんが自分の考え方を述べさせていただきました。

w_letter
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >「人の為になる」とは見返りということを全然考えないでする行為のことではないかと思います。 たしかに、そうですねぇ。 やはり、この句は、色々な解釈ができます。その結果、人によっては、感じることが大きく違ってきますねぇ。 参考になりました。ありがとうございます。

  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.9

人のためになるのが情けだと思っています。 単純に…。 はなっから、「めぐりめぐって…」という邪念が入ると、情けではなくなる気がします。

w_letter
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 下の句があるから、その邪念によって、 「情けは人のためならず」 になる、と思うということでよろしいですか。 邪念がなければ、情けは人のためになる。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.8

ご自身のご質問文はかなり簡略化されて回答者に読解力を求める割に、回答の方はきちんと読み取ろうとされないのですね。 (いや、別に不快に感じているわけはなく意外だったので。) ちょっと整理しますね。 >情けは人の為ならず・・・と言いますが、 >情けは、人の為にもなると思います。 ここを意訳して読むと 【『人に情けをかけるのは人の為になるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。』・・・と言いますが、『人に情けをかける』のは人の為にもなると思います。】 こうなります。 どうですか? ご自身でもおかしな話になっていると思われるでしょう。 もしかして本来の意味を 『人に情けをかけると、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。情けは人のためではなく自分だけのためだ。』 と中学生あたりがよく間違う偏った形で覚えていたのではないでしょうか? >人の為になる情けは、その人の親に限るということですか。 いいえ、違います。 そもそも、日本語的には「情けは他人のためになる」という前提があるからこそ挙げられている「情けは人のためならず」という逆説的な話になるわけです。 前提を考えず「情けは人のためならず」だけに囚われ過ぎですね。 >あかの他人に対する情けは、その人のためにならない、という考えでよろしいのでしょうか? よろしくありません。 冬空に捨てられている赤の他人の子どもに情けをかけて、立派に育てる話も日本の文学では珍しくありませんよ。 >それとも、ならないこともある、という考えでしょうか? 人の情けが相手のためにならないことがあるとすれば、それは多くの場合は受け取り手側の問題です。 最近言われるような『同情』と『情け』を別物と考えられなければ理解は難しいかもしれません。 >ならないとお考えであれば、情け以外の何が、人のためになるとお考えでしょうか(質問文に書いた、2つ目のアンケです。)? なりますからココはパスですね。 >常に、人のためになるようなものない、その場その場でかわるものですか? その場その場で変わるのではなく、受け取り手の姿勢で変わることが多いでしょう。 過度のなにかを与えられ、それに甘えて駄目になる者もいれば、自分には過分だとそれをまた他人に与えて人のためにできる者もいます。

w_letter
質問者

お礼

再回答、ありがとうございます。 >【『人に情けをかけるのは人の為になるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。』・・・と言いますが、『人に情けをかける』のは人の為にもなると思います。】 そのように、意訳されてもかまいません。 でも、 >『人に情けをかけると、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。情けは人のためではなく自分だけのためだ。』 とは、解釈していません。 そして、回答者さんは、 >そもそも、日本語的には「情けは他人のためになる」という前提があるからこそ挙げられている「情けは人のためならず」という逆説的な話になるわけです。 >前提を考えず「情けは人のためならず」だけに囚われ過ぎですね。 と書かれました。 ところで、私がアンケしているのは、 「情けは人のためならず、めぐりめぐって我にかえる。」 (私が記憶している句の文言であり、間違っていたらすいません。) そして、No3さんのお礼欄に記載したとおり、 ただ、国語的にたずねる気はなく、みなさんがどのように感じているのかを、アンケしているだけです。 別に、私が、この句をどのように解釈しているのかを、みなさん推測してください。というアンケをしているつもりはありません。 「情けは人のためならず・・・」という句を、みなさんはどのように感じるのですか、というアンケをしております。 回答者さんは、ご自身が述べられている前提で、この句を解釈されていることはわかります。 ただ、それは、回答者さんの知識に基づくものであって、他の人がどのように感じ、どのように思うかは、その人の知識の差に関係なく、別だと思います。(知識に差がなくとも、感じ方が同じになるとは限りません。)感じ方は、人ぞれぞれですから、この質問には正解はありません。これが、国語のカテに投稿しないで、アンカテに投稿している理由です。より多くの人から、各人がどのように感じるのかを尋ねているだけです。 すなわち、回答者さんは、その前提を知らない人や、さらには、下の句をも知らない人が、どのように感じるかについて興味はないし、国語的に誤った解釈をした人の感じ方にも興味はないと思います。そこが、回答者さんと、私の違いだと感じています。(回答者さんが、国語的解釈を述べられている点で、このように感じています。) また、質問文に下の句を記載せず、「・・・」としたのは、下の句を知っている人もいれば、知らない人もいるので、この下の句を知っているかどうかによって、感じ方がかわるのだろうかということも知りたかったからです。 回答者さんがいわれるように、質問文を簡略化したことは、そのとおりであります。そのため、 >みなさんは、どうおもいますか? と書いたアンケに対して、下の句とともに、この句の国語的解釈を回答された回答者さんもおられました。すなわち、この句に対する、感想(どのように感じ、どう思ったか)を書いていただけなかったと判断し、斜め読みした回答があることも事実です。 私は、文章を読むときに、その文章を国語的に正しく解釈することだけが重要であるとは、思っていません。その文章に対して、どのように感じ、どのように思うか、それは人それぞれだと思っています。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.7

     ああ弟よ君を泣く 君死にたまふことなかれ   末に生まれし君なれば 親の情けはまさりしも   親は刃をにぎらせて 人を殺せと教えしや   人を殺して死ねよとて 二十四までを育てしや 与謝野晶子氏のコレを引用するまでもなく、親の情けはほとんどの場合、子ども(人)のためになるものだと日本人なら思うのではないでしょうか。 このご質問文にはかなり無理を感じます。 (本来の意味を知っているとしても。)

w_letter
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 人の為になる情けは、その人の親に限るということですか。 あかの他人に対する情けは、その人のためにならない、という考えでよろしいのでしょうか? それとも、ならないこともある、という考えでしょうか? ならないとお考えであれば、情け以外の何が、人のためになるとお考えでしょうか(質問文に書いた、2つ目のアンケです。)? 常に、人のためになるようなものない、その場その場でかわるものですか? 補足要求ではありませんので、再回答するも、しないも回答者さんのご判断にまかせます。

noname#173463
noname#173463
回答No.6

私は 情けは人のためにはならないと思っています。 並がどんどん悪人側へと引きずられていくなかで、いい人はどんどん減っていっています。 周りを見ても悪そうな人間ばかりです。世の中はいい人向きの世界じゃないんです。 人に情けを掛けても利用されるか、寄生されるかではないでしょうか。 人のためになるのは 定期的な絶望です。 知り合いが雲を見て そろそろ来るぞ みたいな事を言っていましたが。

w_letter
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 なんか、ネガティブな感じですねぇ。 絶望、しかも、定期的な絶望が人の為になるとは、、、 ところで、この絶望は、他人が感じる絶望、それとも我が感じる絶望、どちらなのでしょうか?

  • jamamono2
  • ベストアンサー率25% (117/463)
回答No.4

例えば金が無くて困ってる人に金を貸すより仕事を紹介した方が本人の為…かも?… 変に情けを掛けて金を貸しても相手は返せないかも?…逆にストレスを増やすより仕事を…と言う事ですね。 情けは必要だが掛け方も問題ですね。 それに貸した金が返って来ない!と腹を立て恨む自分は情けを掛けたのに情け無いですね。

w_letter
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >情けは必要だが掛け方も問題 そういう考え方もありですねぇ。 >それに貸した金が返って来ない!と腹を立て恨む自分は情けを掛けたのに情け無いですね。 下の句についての考えもありがとうございます。

noname#246942
noname#246942
回答No.3

あ、いや、「情けは人の為ならず」と言うことわざは知ってますが、「情けは人の為にならない」と言う意味では無いですよ? 人に情けをかけるのは、情けをかける人の為だけではなくて、いずれ回りまわって自分の為になると言う意味のものです。 そういう意味では、「人の為」と言うこと自体、情けに限らず全て自分の為になることではないかと思います。

w_letter
質問者

お礼

回答者さんの言うように考えると、 情けは人の為だけでなく、めぐりめぐって我にもかえる。 というべきではないでしょうか? この句は、なんか解釈が、勝手に一人歩きしているように感じています。 ただ、国語的にたずねる気はなく、みなさんがどのように感じているのかを、アンケしているだけです。

関連するQ&A