平安中期以降になると、荘園は、寄進が中心ですね。
その一方、税金は国司が取り立てます。
本来、国司にとって荘園は邪魔なものです。国司は律令制の国の長官で、税や地方政治を束ねますが、荘園は私有地で、律令制からはみ出たものなんですから。
というわけで、取り立てようとする国司と、取り立てられたくない荘官や豪族の間で対立があります。国司の取り立てを免れるには、彼らの上司である中央の有力貴族の力添えがいります。それで自分の土地を、有力貴族に寄進する形にして、国司の徴税権の外に出ようとしました。
これが寄進地系荘園と言われるものでしたね。中央の貴族は、だまって荘園をもらっていたようでも、彼らの権利を保護するという利益を満たしてやっています。地方豪族は、国司の税金から逃れられたのですから。
こうして、かりに有能な国司でも、国司が取り立てる税金がないので、国の財政が逼迫しますし、悪逆な国司はひどい収奪するので、地方が乱れて武装化したというのが、平安後期の歴史でしたね。
さて、話をもとに戻すと、中央の貴族は、そういう権益と保護を与えることで、自分も権益を得ていました。そのためには、高い官職につく必要があります。具体的には天皇に近い位置にいる必要があります。このため、歌や儀式で恥を「かかせる」ことが重要になりますし、自分は恥をかいては失脚します。政治権力は、官位の高さで決まるので、朝廷での位置は決定的です。結婚だって、好きでやっているだけではとてもつとまりませんし、政略結婚などは当たり前です。そのためにあの手この手で、有力者とのコネを結ぶ必要があります。楽しくて遊んでいるばかりではなくて、宮廷政治の原理に則って、遊んでいるのです。遊ぶのが嫌いな人もいたと思いますよ。でも、これも仕事だからと言って行っていたのだと思います。
なお、国政はやらないわけではないでしょうが、自分の権利(私有地の荘園)と国庫(国有地、国衙領)との利害が対立するのです。まじめに議論する人は、一部ですよね。だれが、自分の領土を削って、国庫にあてる議論をまじめにするものですか・・。うまい解決案を探しても、根本的に無理がありました。ということをやっているうちに、官吏に出す給料すらまかなえない状態になってしまったのです。
お礼
なるほど、中央高官がお手盛りで私腹を肥やしていると 言っても過言ではない時代だったのですね。 ご説明を聞くと、詩歌管弦の遊びに盛を出すのも 納得できます。詳細なご回答、ありがとうございました。